根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実連載第18回証言者・鹿取義隆(3) 打球は右中間に飛んだ。瞬間、…

根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第18回
証言者・鹿取義隆(3)

 打球は右中間に飛んだ。瞬間、スリーベースと判断した鹿取義隆はベースカバーに入るため三塁方向にダッシュ。ライトとセンターが必死に飛球を追うシーンが思い浮かんだが、振り返るとセンターの秋山幸二がグラブを構えている。そしてライトの平野謙がしっかりバックアップに入っている......。「本当かよ⁉︎」と鹿取は驚いた。

 1990年4月20日の近鉄戦。巨人から西武に移籍した鹿取が、初めて西武球場で登板した時のことだ。キャンプ中から野手の守備レベルの高さを感じてはいたが、公式戦で身に沁みて思い知った。助けられた本人が当時を振り返る。



2017年から2年間、巨人のGMを務めた鹿取義隆

「それまでのキャリアだったら間違いなくスリーベース。だからカバーに走ったんだけど、秋山が捕りに行っていて、『平野さん、えっ、バックアップ?』って。これはもう投げている者にしかわからないけど、完全な長打コースがアウトだから。すごいチームに来たな、と思った」

 新たに西武の抑えを任された鹿取だが、数多く三振を取るタイプではなく、バックの力に頼らざるを得ない。その点、当時の西武は内外野ともに鉄壁の守備力を誇り、鹿取とすれば「ホームランとフォアボールさえ避ければいい」と考えて登板できた。

 結果、移籍1年目に24セーブポイントを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得。2年ぶりの優勝に大きく貢献した。

「2年目のキャンプの時、夜のミーティングでみんなに話す機会があって、『守備範囲にしても肩にしてもすごい。スローイングも正確だし』って言ったんだよ。そしたら『いやいや、普通ですよ』って返してくるから、『あなたたちはわかってないと思うけど、普通じゃないから』ってやり取りをしたことがある。
 
 彼らは『当たり前のことをやってるだけ』なんだよね。でも、外から来た僕は『すごい』、『うまい』となる。別に巨人のレベルが低いと言うわけじゃなくて、とにかく西武の守備力が高かった。内野も清原(和博)だってうまかったし、辻(発彦)、田辺(徳雄)、石毛(宏典)、キャッチャーの伊東(勤)、みんなすごかった」

 そう思える選手たちをしっかり獲ってきたのが西武のスカウトであり、そのいちばん上にいたのが根本陸夫、浦田直治だ。

 たとえば、全国的には無名だった西武の若手が第一線で活躍すると、鹿取は同僚にスカウティングの話を聞いていた。すると決まって根本、浦田の名前が出るので、いつも感心しきりだった。これも外から来た選手ならではの感覚だろう。

「当時の西武、強さの要因は守備力だと思うんだけど、これはもちろん、スカウティングの段階から守れる選手を獲っていたということがある。それプラス、選手を育てていく過程で、守備に関するコーチの指導もよかったんだと思う」

 1990年の日本シリーズは巨人が相手となった。敵地・東京ドームで連勝スタートとなっても、「いやいや、こんなチームじゃないよ」と鹿取は言った。前年まで巨人でプレーした選手としてナインに忠告したのだが、結局、4試合で終わってしまった。

「勝ってうれしかったけど、巨人に対しては『こんなチームじゃないはずだ』と思うだけだった。だから、巨人以上に西武が強くなっていたと。90年から日本シリーズ3連覇、リーグ5連覇だからね。それほど強い西武に入ったことで僕自身の集中力が増して、コンディションはずっと現状維持ながらも長く頑張れたと思う」
 
 巨人で11年、西武で8年。通算755試合登板で91勝46敗131セーブ、防御率2.76という成績を残し、鹿取は97年限りで現役を引退。翌年から古巣に戻ってコーチとなり、二軍では自らパソコンで選手のデータを管理し、動作解析プログラムを導入して技術指導に活用。今ではどの球団も採用する合理的かつ科学的な手法を、先走るほど早くに取り入れた。

 2000年、2002年と巨人の日本一に貢献し、2001年にはドジャース傘下1Aでコーチ留学。2006年は第1回WBCの世界一を支え、2014年から侍ジャパンのテクニカルディレクターに就任すると、U−15代表監督も務めた。さらには定期的に大学生投手を指導するなどアマチュア野球への理解も深いことから、2017年4月、巨人のGM特別補佐に任命された。

「その時はスカウトと一緒に球場を回ったんだけど、ネット裏にはもちろん他球団の人間もいる。そのなかで西武だけが少し離れた場所にいて、いろんな所から見ていた。もちろん巨人も他球団も正面で見たり、横で見たりしてるんだけど、西武だけ最初からネット裏にいないんだよ。これはやっぱり、今でも根本さんの教えが続いているんだろうな、と思った」

 根本はスカウトたちに告げていた。「他人がいたら一緒に見るな。ひとりで見て、自分の判断で評価しろ。絶対に群れるな」と。この教えは、「根本さん一家は何か別のところを見ている」という鹿取の直観にも通じる。当時から30年が経過しても、西武のスカウティングの基本は変わっていない、と気づかされた。

 そんな出来事があって2カ月後の6月半ば、鹿取は巨人のGM兼編成本部長に就任した。シーズン途中で編成部門のトップが交代するのは極めて異例だったが、前任者はチーム不振の責任を取る形での退任。「球団初の選手出身GM」として注目され、周りの期待は高まった。まず、何から着手していったのか。

「チームに入って中を見て、どういう状態なのかを把握する。たとえば、名前があっても実際にはかなりへばっている連中もいれば、若手で伸びているけどチャンスがないっていう選手もいる。そのへんをどうやってうまく入れ替えて、チームをどう変えていくか。変えた時に、誰を入れないといけないのかを考えて、必要ならばトレードしなきゃいけない。

 それはもうチームを俯瞰して、人を見て、年齢を見て、結果を見ていくと、ある程度、答えは出てくると思う。ただ、答えが出ても、獲った選手が機能しなかったり、時間がかかったりする。絵を描いても、すべてそのとおりにならないから難しい。そこで何がいちばん大事になるかというと、若手をしっかり育成することなんだよね」

 当然ながら、ドラフトから育成の方針まで、鹿取には明確なビジョンがあった。ただ、就任直後に1件、翌年のシーズン中にも2件、選手の不祥事が発覚するなど、チーム内でのトラブルも数多く起きていた。それらの事後処理に時間を取られてしまい、「GMって本当はこんな仕事じゃないはずだ」と嘆かずにいられない時もあった。

「でも、そこを改善するのもGMの仕事だと思い直してね。やっぱり、不祥事とかトラブルが多いのはそこまでの体制が悪かったからであって、チームを変えなきゃいけない時だった。悪くなった責任は現場にもあるけど、戦っている監督に負担をかけるわけにはいかない。記者会見で頭下げるのもフロントの仕事で、最終的には、チームを運営するGMの仕事だなと」

 2017年は4位に終わり、投打とも即戦力補強を行なって臨んだ2018年も3位。10月初め、高橋由伸監督の辞任発表後、「監督だけの責任じゃない。バックアップできなかった責任は感じている」とコメントして鹿取も退任した。

 あらためて、日本プロ野球における理想のGMとは?

「何事もGMだけの判断では動けないから、理想を言うのは難しい。球団にはオーナーもいて、会長も社長もいて、選手を獲るにもチームを運営するにもお金が要るわけだから。『この枠でやってくれ』と十分な額で任せてくれるのがたしかに理想だけど、その枠を取るにも全体のバランスを見ていって、了解を得なきゃいけない。そこがなかなか難しい。

 その点、僕が聞いた限りでは、比較的、今の12球団でうまくいっているのは西武じゃないかと思う。GMが『こういう方針で行きます』と、社長もしくはオーナーに出したものが大きく変わらずに通っている、という意味で」

 西武のGM、渡辺久信は現役時代に根本の薫陶を受けている。西武以外にセ・リーグのヤクルトに在籍し、台湾プロ野球を経験し、西武二軍の指導者として育成にも携わり、一軍監督としても成功。人脈も広く、編成としての実績もあるだけに、日本では渡辺のような選手出身GMが理想なのか、とも思えるが、実際はどうなのか。

「選手上がりのGMが理想ということはないと思う。結局のところ、日本のGMはスカウティングだと思う。たとえば、ソフトバンクみたいにスカウティングが結果的に成功すれば、編成トップの三笠(杉彦)さんが評価される。その三笠さんにGMの肩書が付いたのは去年だったけど、そこでGMとして、あらためて評価が高まったんじゃないかな。

 それに、ソフトバンクの場合は育成から上がった千賀(滉大)、甲斐(拓也)といった選手たちが頑張って日本一になっているから、大成功ということで余計に評価された。育成システムとして三軍制度を構築した、当時のフロントの判断もすばらしかった。となれば、コーチも含めて人数を増やして、福岡の筑後に新しくファームの練習施設をつくろう、となるよね」

 その原点には根本の存在がある。ダイエー時代に築き上げたスカウティングシステムが継承され、今に生きている。三軍制度にしても、もともと西武時代に根本が構築しようとしていたものだから、遺産といってもいい。そして、練習施設という意味では、根本が自ら動いて計画した宮崎のキャンプ地は「最大の遺産」と言えるものだ。

「遺産なんてもんじゃないでしょう、あんなにいいキャンプ地。室内を含めればグラウンドが4面あって。メジャーは普通に8面あるから半分だけど、あの場所、生目の杜運動公園で大正解。一軍から三軍まで全員が一斉に練習できて、首脳陣とすれば本当によく目が届くからね。巨人も一応4面あるけど、メイン球場だけ離れているから」

 今から30年前に巨人から西武に移籍し、「根本さん一家」によるスカウティングのすごさを体感。その鹿取が巨人でGM=編成のトップを経験したことで、あらためて、実質GMだった根本をリスペクトする。筑後の練習施設も、宮崎キャンプを基盤に発展したと見ている。

「筑後には科学的な設備が揃っていて、アメリカではどこの練習施設でも入っているものだった。一度、GMの時に巨人から何人かのスタッフに見に行かせて、レポートしてもらったからわかったんだけど。別にアメリカがいいんじゃなくて、若い選手を育成するためにいちばんいい、最新の設備が揃っていた。巨人には入っていないものもあったし」

 選手の育成に関しては「巨人だって負けてはいない」と言う鹿取だが、ソフトバンクに学ぶべきところは多々あるという。それは他球団にも通じることだろう。

「当然、どの球団もいい選手をたくさん獲って、育成して、上げていこうと考えていると思う。いずれは全球団が三軍を持つとして、そのために何が必要なのか。スカウティングだけじゃない、育てるには施設も設備も大事なんだ、と根本さんが教えてくれたと思うね」

つづく

(=敬称略)