追憶の欧州スタジアム紀行(29)連載一覧>>カンプノウ(バルセロナ) 欧州で初めてサッカーの試合を観戦したスタジアムがカ…
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カンプノウ(バルセロナ)
欧州で初めてサッカーの試合を観戦したスタジアムがカンプノウだった。1982年スペインW杯開幕戦、アルゼンチン対ベルギー。バックスタンド最上部を、山の稜線のように見上げた記憶は鮮明だ。
カンプノウが、クラブサッカーの欧州一を懸けた戦いの舞台になったことは過去2度ある。1988-89シーズンのチャンピオンズカップ決勝(ミラン4-0ステアウア・ブカレスト)と、1998-99シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)決勝(マンチェスター・ユナイテッド2-1バイエルン)だ。
ミラン監督アリゴ・サッキがプレッシングという戦術を初めて掲げて戦い、ミランが欧州一に輝いた今から31年前の一戦と、試合終了間際にまさかの逆転劇が起きた21年前の一戦である。

現在、改修工事が進められているバルセロナの本拠地カンプノウ
いずれも、サッカー史を語るうえで外せない決勝である。筆者が立ち会ったのは後者の現場だ。試合は後半45分まで、バイエルンがマンUを1-0でリードしていた。スコアこそ1-0だったが、バイエルンが70対30以上の割合で試合を優勢に進めており、事件が起きにくそうな展開だった。
89分、時間稼ぎを兼ねた交代でハサン・サリハミジッチと入れ替わり、ベンチに下がったマリオ・バスラーが、茶色い瓶の栓を抜き、終了の笛を待ちわびながらビールらしき液体をラッパ飲みする様子は、記者席からもしっかり確認できたほどだった。
そこからマンUが2ゴールを奪うとは。マンUサポーターでさえ想像していなかったであろう、まさに神がかり的な逆転勝利だった。
この決勝戦。オープニングセレモニーのハイライトは、フレディー・マーキュリーとモンセラート・カバリエがデュエットする、1992年バルセロナ五輪のテーマ曲『バルセロナ』が流れた瞬間だった。
『バルセロナ』は1991年に亡くなったフレディーが、1988年に発表したオリジナルアルバムで、代表作『ボヘミアン・ラプソディ』を彷彿とさせるロックオペラである。
バルセロナ出身の高名な女性オペラ歌手、モンセラート・カバリエさんは、その時、カンプノウの舞台にいた。そしてこの五輪のテーマ曲を彼女は、大型ディスプレイに映し出された生前のフレディーと、シンクロするような仕掛けで熱唱したのである。
試合終了間際に待ち受けていた壮大なスペクタクルは、このオープニングセレモニーで披露された神秘的な演出に導かれていたような気がしてならない――とは、その時、カンプノウで抱いた実感である。
もっともこの演出は、モンジュイックの丘にある五輪スタジアム(かつてのエスパニョールの本拠地)で行なわれた、バルセロナ五輪の開会式でも用いられていた。CL決勝のオープニングセレモニーを見ながら、5万円ぐらいでチケットを購入して観た五輪開会式を想起したのだった。
そのバルセロナ五輪で、カンプノウは、サッカー競技のメイン会場となっていた。8月8日。ジョゼップ・グアルディオラを擁したスペインが、決勝でポーランドを3-2で降した舞台も、カンプノウだった。
スタンドは満員に膨れあがっていた。五輪代表チームとはいえ、スペイン代表とほぼ同一のユニフォームを身に纏う集団だ。「我々はスペイン人ではありません」という横断幕が掲げられるカンプノウで、いわゆるスペインの"代表チーム"が試合をしたことは、この時が最初で最後ではないだろうか。
それは、バルセロナがロンドンのウェンブリーでサンプドリアを倒し、初の欧州一に輝いた直後の出来事だった。その時、FKで決勝ゴールを奪ったのが、現監督のロナルド・クーマンになる。
1998-99シーズンに話を戻せば、バルセロナが欧州一に輝いた経験は、その時点では1991-92シーズンの1度しかなかった。対するレアル・マドリードは、その前のシーズン(1997-98)に、アムステルダムのアレーナで行なわれた決勝でユベントスを下し、22年ぶり通算7度目の優勝を飾っていた。
スペインに700万人いるとされるカタルーニャ人は、全員が全員、ユベントスを応援した。ユベントスの応援グッズを買い、家々の窓辺にはユベントスのフラッグを掲げて決勝戦を観戦したと言うが、その甲斐なくレアル・マドリードに優勝されてしまった。
翌シーズン(1998-99)、バルセロナはCLのグループリーグでバイエルン、マンUと同組に振り分けられた。両チームは決勝を争った2チームであり、バルサはグループリーグ敗退の憂き目に遭っている。
とはいえ、3つ巴となったこのホーム&アウェー戦はすべて好勝負だった。ホームでマンUに3-3で引き分けたその最後の一戦は、名勝負の域に達しようかという一戦だった。カンプノウの観衆は、グループリーグ敗退が決まっても拍手を送ったほどだった。
「つまらない1-0で勝つくらいなら、いっそ2-3で敗れた方がマシ」とは、ヨハン・クライフの言葉だが、それを地で行く反応を示したカンプノウのファンに、こちらは感激させられたものだった。
しかし一方、同様にグループリーグで苦戦を強いられていたレアル・マドリードは、スパルタク・モスクワをその最終戦で破り、インテルに続き2位通過を決めた。
バルセロニスタは大いに慌てた。きれいごとを言っている場合ではなくなった。先述のとおり、1998-99のCL決勝が、カンプノウで開催されることに決まっていたからだ。さらに言えば1999年は、バルサにとってクラブ創設100周年に当たる記念の年でもあった。
「クラブ創設100周年に、レアル・マドリードが我々の聖地、カンプノウでCL優勝を飾ることになったら、別のルポを書いた方がいいと思う。スペインの市民戦争についてだ。そうなったら(バルサの)ホセ・ルイス・ヌニェス会長(当時)は、亡命して日本に逃げるしかないだろうな」
その時、話を聞かせてくれた現地の新聞記者は、自虐的に嘆いたものだった。
レアル・マドリードは準々決勝で、アンドリ―・シェフチェンコのいたディナモ・キエフに合計スコア1-3で敗れたため、バルセロニスタの心配は杞憂に終わった。しかし、両クラブの歴史的関係について、いまひとつ実感が湧かない日本在住のライターにとっては、不謹慎ながら「レアル・マドリードがカンプノウで優勝する姿が見たい」との思いが去来したことも事実だった。
1998-99は、スタジアムに手が加えられたシーズンでもあった。最も変わったのは記者席で、正面スタンド1階席後方にあったそれまでから、2階席最上部に設置された箱状のゴンドラ内に移動した。
「俯瞰する」とは、とりわけサッカーで使用される頻度の多い言葉になるが、カンプノウの記者席から眺める眺望こそ、それは最適な表現だと言いたくなる。ここからピッチを眺めると、サッカーを見る目が変わること請け合いだ。ゲーム性について論じたくなる環境が用意されている。
9万8000余人を収容する欧州最大のスタジアムの、最上階にあたる場所からピッチを見下ろせば、その選手が誰なのかという関心が、少しばかり低下する。たとえば、リオネル・メッシに対しても、「わー、メッシだー!」と、変に感激しなくなる。特定の選手に肩入れすることなく、フラットに眺めることができる。ゲーム性、集団性に自ずと関心は向く。冷静になって観戦に集中することができる。
カンプノウの観客が、他のスタジアムに比べて圧倒的に静かなことと、それは関係しているのかもしれない。彼らの視線は鋭いのだ。チャンスに湧く歓声より、およそ10万人の観衆が、惜しいシーン、際どいシーンで一斉に吐く溜息に圧倒される。選手には瞬間、観衆から目を凝らされているという緊張感が植え付けられることになる。応援団らしき集団がスタジアムに存在しないに等しいにもかかわらず、だ。
カンプノウは現在、大規模改築工事に入っている。
世界的なコンペを勝ち抜き、建築デザインを担当することになったのは、東京・千代田区に本社を構える日建設計だ。
「光と風とオープンスペースを意識したメディテラネオ(地中海)らしいスタジアム」「スタジアムの外側にテラス状の開放的なコンコースを纏わせ、流動性を兼ね備えた快適な滞留空間を設けることで、スタジアムをスポーツの枠を超えた開放的な公園とすること」とは、同社の村尾忠彦バルセロナ支店長にうかがった話だ。
完成予定は2024年。1階席2万、2階席4万、そして3階席が4万5000の計10万5000人収容のスタジアムにスケールアップする。完成が待ち遠しい限りである。