サッカー名将列伝第19回 ヴァイッド・ハリルホジッチ革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせて…

サッカー名将列伝
第19回 ヴァイッド・ハリルホジッチ

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回は2015年から18年まで日本代表を率いたヴァイッド・ハリルホジッチ監督。現在のリバプールやバイエルンの戦術を用いる先見の明があったが、本領発揮の前に日本を去ることになった。

 勝利至上主義者で、戦術的にはプラグマティスト的だった。ボールポゼッションを基盤にした日本のスタイルがアジア予選で行き詰まりをみせると、躊躇なく方針を転換している。世界の動向変化にも鋭敏だった。

 Jリーグの「デュエル不足」を何度となく指摘していたのは、欧州から来た指導者はだいたいそう思うところだが、それ以上に日本のサッカーがこのままでは周回遅れになるという危機感を持っていたからだ。

 ハリルホジッチが日本代表に導入しようとしたのは、現在のリバプールやバイエルンのスタイルと言っていい。ある意味、先見の明はあった。ところが、それは日本選手の資質や嗜好性にまるで合っていなかった。

 みすみす相手ボールになるとわかっていてロングボールを蹴らなければならない意味が、当時の選手にはまったく理解できていない。それで効果があるならともかく、むしろ墓穴を掘るような展開なのだから、監督の方針に疑問を抱くのも当然と言える。

 ハリルホジッチ監督も、アレルギー反応が出るのは予想していたに違いない。そこをどう修正するかにも自信はあっただろう。しかし、もうその時点で選手側からは見限られていたわけだ。監督か選手か、JFAは選手を温存したのだと思う。あの段階で選手の大半を入れ替えるギャンブルは打てなかった。

 ブラジルW杯でアルジェリアを率いた時は、試合によってかなりメンバーを入れ替えていた。ラマダンの影響もあったかもしれないが、対戦相手に応じてバランスを変えていた。一方で戦い方の基盤のところは不変で、システムもほとんど変えていない。

 代表チームのつくり方としては理にかなっていて、基盤がしっかりしているので大胆な変更も効く。ロシアW杯で日本を率いていたら、勝負師としてどんな采配を見せていただろうか。

 それを見たかった気もするが、日本代表の場合は基盤のところがかなり壊れてしまっていたので、どのみち難しかったのではないかと思う。

 後任となった西野監督が、日本選手のある種の土着性を生かしてチームをつくったのは、ハリルホジッチ監督とは正反対のアプローチだった。ベスト16に入ったことで「ジャパンズ・ウェイ」として高評価を得たわけだが、それが大事だったのなら、なぜハリルホジッチを招聘したのだろうとは思わざるを得ない。

ヴァイッド・ハリルホジッチ
Vahid Halilhodzic/1952年5月15日生まれ。ボスニア・ヘルツェゴビナのヤブラニツァ出身。選手時代はFWとしてヴェレジュ・モスタルやフランスのナント、パリ・サンジェルマンでプレー。旧ユーゴスラビア代表として82年スペインW杯に出場している。90年にヴェレジュ・モスタルの監督をスタートに、フランスのリールやパリ・サンジェルマンなど、多くのクラブの監督を歴任。14年ブラジルW杯ではアルジェリア代表を率いて、同国を初のベスト16に導いた。15年から18年まで日本代表監督。19年8月からはモロッコ代表監督を務めている。