去る、2016年9月25日、一人の選手がフィールドを去った。大村三郎=サブロー。大きなタイトルを獲得したことはないが、ロッテには欠かせない選手だった。やはり、この男はマリーンズの太陽だ。太陽を見た時にはいろいろ感じる。真っ赤に燃えさかるもの…

去る、2016年9月25日、一人の選手がフィールドを去った。大村三郎=サブロー。大きなタイトルを獲得したことはないが、ロッテには欠かせない選手だった。やはり、この男はマリーンズの太陽だ。太陽を見た時にはいろいろ感じる。真っ赤に燃えさかるものや、青く冷静に見えるもの。この選手は後者に近いプレースタイルだった。

■サブローはマリーンズの太陽!?

 去る、2016年9月25日、一人の選手がフィールドを去った。大村三郎=サブロー。大きなタイトルを獲得したことはないが、ロッテには欠かせない選手だった。

 やはり、この男はマリーンズの太陽だ。太陽を見た時にはいろいろ感じる。真っ赤に燃えさかるものや、青く冷静に見えるもの。この選手は後者に近いプレースタイルだった。

 当日、QVCマリンに訪れた人にとっては、前者だったのだろう。試合後、引退セレモニー。それまで曇りだったり、たまに太陽が顔を出していたりしていた千葉の天候。「こんな私ですが22年間と長い間、愛してくださって本当にありがとうございました」。サブローが話している際は、夏のような太陽が顔を出し、汗が吹き出すような快晴になった。

 マリーンズが変わる時代。95年、ボビー・バレンタインが監督に就任したシーズン、ドラフト1位として入団した。名前に合わせて登録名も「サブロー」。背番号も「36」。細身の身体ながら懸命にプレーした。

 そこから努力を重ね、身体を大きくし、現在の位置にたどり着いた。入団当初から走攻守、すべてにおいて抜きん出ていた。感情を表に激しく出すタイプでもない。「スマートな選手」という印象。とはいえ、本人もいろいろと試行錯誤した時期もある。

■ラストゲームでスタンドが熱気に包まれた場面

 一時期、スイッチヒッターに挑戦した。持ち前の俊足もあるから、それを活かさない手はない。だが、それはうまくいかず、現在のように右打ち一本でプロ生活を全うした。

 状況をしっかり見極めた打撃はチームに勝利をもたらしてきた。北京五輪出場をかけた予選、サブローはチャイニーズ・タイペイ戦で1点を追う7回無死満塁でセーフティスクイズを敢行。これが成功して同点となったのちに、日本代表は打線が爆発。一挙6点を奪い、試合も10-2で快勝して北京五輪出場を決めた。

 常にフィールド上では、冷静にプレーしてきたサブロー。チームの勝利のため黙々と全力を注ぎ込んで来た印象がある。しかし別の顔を見せることもあった。

 05年日本一になった際、当時、ロッテのイメージキャラクターだった女優の上戸彩さんがファン感謝デーに来場した。「可愛いっすよね。でも、まだ若いっすもん(笑)」。とてもくだけた話をしていたのを覚えている。別人のサブローがいた気がした。

 そして、ついにこの日が来た。引退試合。サブローは全打席、バットを思い切り振る。3打席三振。9回にはDHから守備に着いた。その前に、ウォーミングアップでキャッチボールをしたのは福浦和也。ずっと一緒にプレーしてきた戦友。マリーンズ一筋、地元・習志野高卒、23年目のフランチャイズプレーヤー。その瞬間だけでも、スタンド中が熱気につつまれた。

■巨人の選手も惹きつけたサブローの人格、野球への取り組み

 向かったのはレフトのポジション。オリックスファンからも大きな声援が送られ、サブローは帽子を取って頭を下げる。そして、1アウトになると今度はライトへ。マリーンズ・ファンから大きな声援。涙をこらえきれないサブローだった。

 9回裏、最終打席が回って来た。サブローらしい右中間を抜ける二塁打。「これぞサブロー」。そんな現役最終打席だった。

 当日は阿部慎之助、坂本勇人など、ジャイアンツの選手も来ていた。巨人に在籍したのは本当に数か月。CSを争うシーズン中に関わらず、足を運んでくれた。それだけサブローの人格、野球への取り組みが他の選手を惹きつけたのだろう。

 試合後のセレモニー、「僕の夢は千葉ロッテマリーンズを日本一の球団にすることです」。超満員のQVCマリン、盛り上がりつつ、どこかセンチだった。

 どこかの歌にもあった。「太陽は何度も夢を見る…」。君の夢を一緒に見たい。サブロー、君は、マリーンズの太陽だ!

 そして、「さよならは始まり…!」。この先、君が必ずマリーンズへ帰って来ることを誰もが信じている。旧くて青臭い言葉かもしれないが、これは君への「ラブレター」だ。

サブロー/大村三郎
1976年岡山県出身。右投右打。PL学園から95年マリーンズ入団。11年ジャイアンツ移籍後、12年マリーンズ復帰。プロ通算1781試合出場1362安打127本塁打655打点。

◆山岡則夫 プロフィール
1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページ(http://www.ballparktime.com)にて取材日記を定期的に更新中。

山岡則夫●文 text by Norio Yamaoka