追憶の欧州スタジアム紀行(28)連載一覧>>ウェンブリー・スタジアム(ロンドン) 日本代表はウェンブリーで試合をしたこと…
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ウェンブリー・スタジアム(ロンドン)
日本代表はウェンブリーで試合をしたことがある。1995年6月3日、アンブロカップと名付けられた国際トーナメントのオープニングマッチだ。相手は開催国のイングランド代表だった。
その1年半前、日本代表はドーハで悲劇に見舞われ、1994年アメリカW杯への出場を逃していた。W杯にまだ一度も出場したことがない、まさにサッカー後進国だった日本が、イングランドの他にブラジル、スウェーデンが参加したこの冠大会になぜお呼びが掛かったのか。理由は定かではないが、欧州の一流の舞台に初めて立った記念すべき瞬間だったことは確かである。

2003年に着工、2007に完成した現在のウェンブリー・スタジアム
土曜の昼下がり。開始前、雨がしとしと降っていた。エルトン・ジョンの『ユア・ソング』や、ビリー・ジョエルの『ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー』等々、スタジアムに流れるポップスの名曲が、閑散としたスタンドにいい感じで反響していた。
雨に濡れた緑鮮やかなピッチ上に、加茂ジャパンの選手たちが登場した。分不相応な場所に立ち、緊張したような面持ちにも見えたが、ボールと身体が、上等なピッチの上で触れ合う瞬間を、愉しんでいるようでもあった。Jリーグが開幕して3年目。当時の日本は芝の面でもまだ後進国だった。選手たちにとってウェンブリーは、天国のような場所だったのではないか。
7万6000余人収容のスタンドは結局、2万1142人しか埋まらなかった。実際はもっと少なかった気がする。その後、新スタジアムも含めて十数回、ウェンブリーを訪れているが、他はいつも満杯。ガラガラのスタンドを見るのは、これが最初で最後の体験だった。
ウェンブリーの長閑さに面食らったのは、イングランド代表選手のほうだったのかもしれない。格下相手に全力で戦うのは格好悪い。軽く6~7割でプレーして2-0ぐらいで勝ちたいと楽に考えて戦っているように見えたが、彼らも実際、そこまで芸達者ではない。
後半3分、ダレン・アンダートンが先制したまではよかったが、日本に後半17分、三浦知良のCKから井原正巳に同点ヘッドを許すと、母国イングランドのプライドは空回りすることになった。日本を舐めたツケを味わうような、スタンドの満杯率20数パーセントにしては、面白すぎる試合展開になった。
終了3分前、アンダートンが放ったシュートをゴール前で柱谷哲二がハンド。このPKをデビット・プラットが決め、イングランドは2-1で勝利した。恥をかかずにすんだ試合だった。
とはいえ、68%対32%という支配率が示すとおり、日本は満足にパスを繋げず、出たとこ勝負のカウンター攻撃にしか活路を見出すことができなかった。蛇足ながら、それから四半世紀が経過したいまなお現役でいるカズが、試合後、ポール・ガスコインとキスまで交わしながらユニフォームを交換する姿に、気恥ずかしさを覚えた記憶は鮮明だ。
このイングランド戦の前日練習の際に、筆者はウェンブリーのピッチレベルに降りている。横幅が規定の68メートルより2メートルほど広いと言われたピッチを取り囲んでいたのは、陸上トラックではなくダートだった。
かつてアレーナが完成する前、アヤックスがチャンピオンズリーグを戦う時、アムステルダム五輪スタジアムをホームとして使用していたことがあったが、そのピッチ回りは、自転車走行用のバンクに囲まれていた。クロアチアのザグレブでもバンク付きスタジアムを見たことがある。だが、ウェンブリーに付帯していたダートは、なんとドッグレース用に作られたものだった。
ドッグレースをその何年か後、実際にウェンブリーで観戦したことがある。ジョッキーもいないのに犬が勝手に走り、レースが成立していること、その走りが異常に速かったこと、さらにはそれが公営ギャンブルとして成り立っていることにも驚かされた。
ピッチの脇には人間が何人か入れる穴があった。1970-71シーズンのチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)決勝。アヤックス対パナシナイコス戦の前夜、先輩カメラマンのTさんは、オランダ人の友人カメラマンと一緒にそこにじっと潜み、一夜を明かした。決勝戦を撮影するために――というエピソードを、Tさん本人から聞かされたのもその時だった。
取材申請がトラブルでうまく通っていなかったからだそうだが、現場で聞いた24年前の話(現在からは49年前の話)には、これ以上ないリアリティがあった。ヨハン・クライフ時代のアヤックスを激写するために、ウェンブリーのピッチ脇にある穴に潜んで一晩過ごした日本人カメラマンがいた。日本代表がウェンブリーの土を踏む24年も前に。これは大層な話だと思う。
ウェンブリーは、地下鉄ジュビリー線とメトロポリタン線のウェンブリー・パーク駅の改札を抜けると、目の前にその姿を捉えることができる。オリンピック・ウェイという名前が付いた500~600メートルある一本道を、地下鉄を降りた観衆が、一斉に、道幅いっぱい埋め尽くすように歩いて向かう。これこそ、ウェンブリーならではの光景だろう。
観衆は、明治神宮を訪れた初詣の参拝者のように、係員に誘導されながら、数メートルごとに刻むように前進していく。2003年に取り壊された旧ウェンブリーは、その先にツインタワーがスタジアムの門のようにそそり立っていた。観衆は、頂上部に英国国旗が掲げられたそれぞれのタワーの間を通り抜けるように、スタジアムに入っていく。神社の鳥居をくぐり抜け、本殿へと向かう参拝客とイメージは重なる。
ウェンブリーはサッカーの聖地と言われるが、その感覚を実感できるのはもしかしたら日本人の方なのかもしれない。
アンブロカップが行なわれた翌年、ウェンブリーはユーロ1996(当時は欧州選手権と言っていた)のメイン会場として稼働した。開幕戦と決勝戦を含む計6試合を行なっている。
イングランドは準々決勝、ウェンブリーでスペインを延長PK戦の末に下し、96年6月26日、準決勝でドイツと対戦した。舞台は再びウェンブリー。7万5862人の観衆が見守る中、この試合も延長PK戦にもつれ込んだ。先攻のイングランドは5-5の状況から、ガレス・サウスゲート(現イングランド代表監督)が失敗。後攻のドイツはアンドレアス・メラーが決め、その瞬間、イングランドの敗退が決まった。水を打ったように静まりかえるウェンブリー。そのスタンドに向け、拳を突き上げるメラー。
イングランド対ドイツと言えば、想起するのは1966年イングランドW杯の決勝戦だ(ドイツは当時西ドイツ)。2-2で迎えた延長11分、イングランドのFWジェフ・ハーストが放ったポスト直撃弾は、その勢いで真下に落下。審判団はゴールラインを完全に割っていたと判断し、ゴールを認めたが、実際は微妙だった。
ラインを割っていなかったのではないかとする声の方が多数を占めるほどだが、1966年大会決勝の明暗はこの判定で決まったようなものだったので、判定を巡る論争はいまなお続いている。サッカー史に刻まれる微妙な判定であり、不利を被った側のドイツ人にとっては、恨みを伴う判定となっている。メラーがウェンブリーを埋めたイングランド人サポーターに向け、拳を高々と突き上げた理由である。
新スタジアムの完成は2007年。旧スタジアムを完全に取り壊し、同じ場所に9万人収容の新スタジアムを建設した。天井は開閉式。スタンドの前列は可動式で、陸上競技にも使用できる。建設中、現場の担当者に話を聞けば、トイレの数、とりわけ女子トイレの数をしきりに自慢していた。「その数は全部で2618あり、そのうち女子トイレは60%以上を占める」と。
「世界のスタジアムを見ると女子トイレに行列ができることが当たり前になっているが、これは今日的な姿とは言えない」
その話を聞いたあと、横浜国際競技場(日産スタジアム)に行くと、ハーフタイムの女子トイレにはゆうに50メートル以上の列ができていた。2002年日韓共催W杯のロシア戦。後半6分に稲本潤一が決めた決勝ゴールを、現場に行きながら見逃した女性は実際、相当な数に及んだのであった。
新スタジアムについて、ひとりの日本人として唯一残念に思うのは、旧スタジアムに存在したツインタワーが取り壊されたことだ。精神的な拠りどころが失われたような印象を受ける。
最後に観戦した試合はもう7年前になる。2013年10月15日。2014年ブラジルW杯欧州予選のポーランド戦だ。イングランドが2-0で勝利を収め、本大会出場を決めた一戦である。
感激させられたのは、ウェンブリーのスタンドから沸き起こった数々の歌声だった。イングランドの本大会出場が決まったも同然になると、満員のスタンドは誰もが知るポップスを次から次へと大合唱してくれたのだ。「この大合唱を録音して帰りたい」。ノートにはそう記されている。
くり返すが、日本代表が1995年6月3日、初めてウェンブリーの土を踏んで25年が経過した。だがその後、このサッカーの聖地に足跡を残した日本人はいるだろうか。該当者を見つけることはできない。2012-13年シーズンのCL決勝はバイエルン対ドルトムントだったが、香川真司はその前のシーズン、ドルトムントを離れていた。
ウェンブリーでプレーする日本人選手をもう一度見る機会は、いつ訪れるだろうか。