「ATP500 楽天ジャパンオープン」が最初に開催されたのは1972年。アジアでのツアー大会としては最も長く続いており、日本で行われる唯一のATPツアー大会である。新型コロナウイルスの大流行がなければ、大会は今月開催されているはずだった。A…

「ATP500 楽天ジャパンオープン」が最初に開催されたのは1972年。アジアでのツアー大会としては最も長く続いており、日本で行われる唯一のATPツアー大会である。新型コロナウイルスの大流行がなければ、大会は今月開催されているはずだった。ATPTour.comがこの大会について知っておくべきことをまとめた。【動画】2012年錦織が楽天オープン優勝のハイライト【動画】昨年楽天オープンでジョコビッチと練習で有名になった吉田伊織さん

「楽天ジャパンオープン」のレジェンドたち

これまでの48回の大会で、シングルスで優勝した選手のうち11人は世界ランキング1位になったことのある選手だ。その11人が、合わせて17大会でチャンピオンの座についている。

その中でも複数回優勝しているのは次の3人だ。ステファン・エドバーグ(スウェーデン)は1987年と1989〜1991年の4大会で優勝し、最多記録を持っている。そして1992〜1996年の5年間は、92年と95年がジム・クーリエ(アメリカ)、93、94、96年がピート・サンプラス(アメリカ)で、この2人が独占していた。

エドバーグは91年にダブルスでも優勝しており、そのパートナーだったトッド・ウッドブリッジ(オーストラリア)はさらに96年にもダブルス優勝を飾っている。その他のシングルス世界1位経験者でダブルス優勝を果たしたのはアンディ・マレー(イギリス)のみだ。アンディ・マレーは兄で元ダブルス世界1位のジェイミー・マレー(イギリス)と共に、2011年に優勝トロフィーを獲得した。

ビッグ4大活躍

「楽天ジャパンオープン」では、“ビッグ4”と呼ばれるロジャー・フェデラー(スイス)、ラファエル・ナダル(スペイン)、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)、そしてアンディ・マレーがそれぞれ優勝を果たしている。このようなツアー大会は、全部で8大会しかない。

ビッグ4のうち最初にトロフィーを獲得したのは2006年にただ一度出場したフェデラーだった。ナダルが優勝したのは2010年。2011年にそのナダルを決勝戦で下し、マレーが優勝。ジョコビッチがビッグ4による東京制覇を完成させたのは去年のこと。初出場の年だったが、全試合ストレート勝ちで優勝トロフィーを手中に収めた。

錦織が40年ぶりに

1972年、初開催の「楽天ジャパンオープン」の決勝戦は日本人同士の対決だった。その40年後の2012年、やっと日本人3人目のファイナリストが現れた。初代チャンピオンの坂井利郎(日本)、準優勝の九鬼潤(日本)の後に続いた錦織圭(日本/日清食品)は、1回戦と2回戦は1セットダウンから勝利を掴み、2008年優勝のトマーシュ・ベルディヒ(チェコ)とマルコス・バグダティス(キプロス)を下し決勝へと駒を進めた。

ミロシュ・ラオニッチ(カナダ)とのフルセットの戦いに勝利した錦織は、自身初のATP500大会のタイトルを獲得し、大会で優勝した2人目の日本人となった。2年後、再びビッグサーバーのラオニッチとの決勝の舞台に立った錦織は、またもフルセットの末、ここで2つ目のトロフィーを手に入れた。

2019年、日本人選手が快挙達成

2012年に錦織がようやく日本人2人目のシングルス優勝者となったが、去年の大会でもう1つの節目となる出来事があった。2019年の大会で、1972年以来初めて2人の日本人選手が準々決勝に進んだのだ。

ダニエル太郎(日本/エイブル)の2018年までの「楽天ジャパンオープン」での戦績は0勝4敗だったが、ワイルドカードで参戦した2019年は第2シードのボルナ・チョリッチ(クロアチア)とジョーダン・トンプソン(オーストラリア)を下し、ベスト8に進出した。

同じく準々決勝に進出したのは7回目の挑戦となった内山靖崇(日本/積水化学)。内山は予選を勝ち抜き、本戦でも自信に満ちたプレーで第4シードのブノワ・ペール(フランス)をストレートで下し、ラドゥ・アルボット(モルドバ)にも勝利を収めて、準々決勝へ進出。

1998年に準々決勝に進出し、現在は10歳から18歳の子供を対象にテニスキャンプを運営している松岡修造さんにとって、これは長く待ち望んだ瞬間だった。「ずっと夢見ていました。これこそ僕が20年前にジュニアの育成に関わり始めた理由です。(日本の)男子テニスが一みんなで開花してきています」と松岡は語った。

ジョコビッチの最大のファン

ATPツアーでも、日本のファンの熱心さは群を抜いている。「楽天ジャパンオープン」に初めて出場し日本を訪れたジョコビッチは、吉田伊織さんと面会した。吉田さんは2011年に憧れのジョコビッチが世界ランキング1位に上り詰めたのを見て、セルビアに移住し、4年間そこで過ごした。

ジョコビッチの祖国でセルビア語とテニスを学んだ吉田さんは、いつかジョコビッチと対面することを夢見ていた。吉田さんのYouTubeを見たジョコビッチが吉田さんを大会に招待し、彼の夢は東京の地で実現することになった。

「僕の胸を喜びと幸せで満たしてくれるような、本当に特別な体験だった。一緒に時を過ごす間に彼が見せてくれた情熱は素晴らしかった」とジョコビッチは語った。

※写真は2018年「楽天ジャパンオープン」での錦織

(Photo by Koji Watanabe/Getty Images)

 

翻訳ニュース/ATPTour.com