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『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 
第Ⅲ部 異次元の技術への挑戦(1) 

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。 



2013年8月、アイスリンク仙台で練習を公開した羽生結弦

「自分がフィギュアスケーターとして幸運だったのは、小さい頃に受けた指導で、着氷の後にきれいに流れていくジャンプを習得させてもらったこと」

 羽生結弦は自らのジャンプについてこう話す。そして、そのジャンプは彼にとって自らが成長するための大きな原動力だった。

 羽生が最初に武器としたのはトリプルアクセルだった。「かけてきた思いや時間、練習の質も量もすべてが、どのジャンプより多い」と話すジャンプだ。2017年国別対抗戦の後、フリースケーティングの構成について4回転を1本増やして5本にするかということが焦点になった時、トリプルアクセルへの思いをこう語っていた。

「僕のトリプルアクセルにかける思いは、皆さんが想像できないくらい強いものがあります 。ここまでスケートを好きになってこられたのは、何よりアクセルのおかげ。それがなかったら全日本ノービスでの優勝はなかったし、こうして自信をもってスケートをすることができていなかったかもしれない。だからトリプルアクセル2本は外したくない気持ちが強くあります」

 そのトリプルアクセルの精度を磨き、2010年世界ジュニアを制した羽生が次に取り組んだのは「仙台のリンクで一日中練習していたこともある」という4回転トーループだった。4回転トーループをシニアのグランプリ(GP)初挑戦となった10年NHK杯のフリーで初めて成功させると、翌年2月の四大陸選手権は2位に入った。

 翌シーズンはショートプログラム(SP)にも4回転トーループを組み込んだ。初出場だった世界選手権では、激しい捻挫(ねんざ)をしたSPは7位発進。フリーは中盤のつなぎで転倒するアクシデントもあった。それでも、4回転トーループとトリプルアクセルでは高いGOE(出来栄え点)加点をもらうなど各要素をしっかりこなし、1位のパトリック・チャンに2.71点差の2位の得点を獲得して追い上げ、銅メダルを獲得した。

 そして、羽生が拠点をカナダに移した12ー13シーズン、新たに挑戦したのは他の選手のようにフリーで4回転トーループを2本にするのではなく、4回転サルコウを入れる構成だった。

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 その決断の背景には、12年世界選手権で複数種類4回転時代の萌芽が見えていたことがある。

 フリーでは、優勝したパトリック・チャンが4回転トーループ2本、2位の髙橋大輔と3位の羽生は共に1本と、表彰台の3人が4回転1種類だったが、4回転サルコウを得意とするミハエル・ブレジナ(チェコ)やハビエル・フェルナンデス(スペイン)は4回転サルコウも入れる2種類2本の構成に挑戦。また、ミスで下位だったケヴィン・レイノルズ(カナダ)は後半のトーループを含む2種類3本の構成に挑んでいた。さらに、この年12月のGPファイナルで、フェルナンデスが前半のトーループとサルコウに加えて後半にもサルコウを入れる4回転3本の構成に成功。僅差でメダルを逃したが、フリーの得点は1位だった。

 そんな状況のなか、羽生は12ー13シーズン初戦のフィンランディア杯で4回転2本をしっかりそろえ優勝。しかし、その後の大会では4回転サルコウのミスが続いて納得できる結果は残せず、その完成はソチ五輪シーズンに持ち越した。

「僕は2シーズンかけて完成させられることが多い」と、羽生は冷静に自己分析していたが、2種類の4回転への挑戦はその後、彼の4回転3本に向けた進化のスピードを速めたいという思惑もあっただろう。

 14年ソチ五輪に向けて日々取り組んでいた羽生結弦は13年8月、アイスリンク仙台で練習を公開した。100人近いメディアの数に羽生は「これほど大規模になるとは思っていなかったのでビックリして、最初は集中できなかった」と苦笑したが、13ー14シーズンのフリー曲「ロミオとジュリエット」やSP曲「パリの散歩道」を披露。4回転トーループ、4回転サルコウにも挑んだ。カナダでの練習が本格化している中の一時帰国だったため、やや疲労が残っている状態だったがトーループをきれいに決めた。 



アイスリンク仙台の公開練習には大勢のメディア関係者が集まった

「トーループは確率も年々上がって、今ではアップ無しでもポンと飛べるくらいになっています。ただ、サルコウはまったく違うジャンプだから(この日は)すごく大変だった。数年前このリンクでトーループに苦戦していた時のように一生懸命やれたので、懐かしい気持ちでしたね」

 初の五輪挑戦となるソチ大会を「子どもの頃から夢見た五輪をひとつの集大成としたい」と話した羽生。大切なこのシーズンのフリーに、東日本大震災後の2シーズン前と同じ「ロミオとジュリエット」を持ってきた。ジャンプは前シーズンと順番を逆にし、初めにサルコウ、その後にトーループを入れる構成。得意とするトーループより、サルコウを先にして、「自分にとって一番やりやすい順番」に変えることを決めた。

「トーループに余裕が出てきたので、練習でもサルコウにある程度気持ちを入れられるようになってきた。だから、サルコウを抜いて4回転トーループ2本というのは考えなかったですね。得点的にもサルコウを4回転にしておくと、後半でトリプルアクセルからの連続ジャンプに3回転トーループを付けられるし、3回転サルコウも跳べる。4回転を複数入れるのは何人もやっていますけど、サルコウを跳べる選手は数人で、せっかく持っているのだから、武器を活かそうと思いました。

 僕の場合、パトリック選手や髙橋選手に、プログラムコンポーネンツでまだ勝てるとは思わないので......。だから点数をしっかり計算して、いいジャンプを跳んでいくしかない。もちろん、もっともっと表現力を磨いていこうと思っていますけど、しっかりジャンプを決めることこそが僕のスケートじゃないかなと考えています」

 当時の羽生は、上半身の体幹を強化して体が若干大きくなってきていた。トレーニングも順調だったが、五輪代表の座を勝ち取る争いの厳しさについても口にしていた。

「全日本選手権で優勝できる力をつければ、必然的に五輪でもいい成績を収められると思う。とにかくすべての試合を通して、自分の精一杯の力を込めて演技をしていくことが大切。もっともっと仕上げなくてはいけないなと思います。試合で必要なのは気合いとタイミング、そこに運も絡んでくる。その運をドンドン高めていって自分の実力となるように、精一杯練習していきたいです」

 初めての五輪シーズンへ向けて4回転ジャンプを磨くことで、羽生はさらに進化を遂げていった。

*2013年8月配信記事「夢の舞台を目指す羽生結弦、『五輪シーズンの戦略』とは?」(webSportiva)を再構成・一部加筆

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。