「2年頑張ってダメなら、その後は銀行員として頑張ってくれるか?」 今から2年前、和田凌芽(わだ・りょうが)は七十七銀行の野球部に入る際、小河義英(おごう・よしひで)監督からそう言われた。そして約束の年となった2020年、和田は違った形で七十…

「2年頑張ってダメなら、その後は銀行員として頑張ってくれるか?」

 今から2年前、和田凌芽(わだ・りょうが)は七十七銀行の野球部に入る際、小河義英(おごう・よしひで)監督からそう言われた。そして約束の年となった2020年、和田は違った形で七十七銀行のユニフォームを脱ぐことになるかもしれない。



最速151キロを誇る七十七銀行の和田凌芽

 国立の静岡大から入行して2年目の今夏、和田は最速151キロをマークし一躍ドラフト候補となった。そして今、身長184センチの大型右腕はスカウトが見守るなか、都市対抗東北予選で負けられない戦いを続けている。

 野球を始めたのは小学6年生の時。理由は「中学で野球部に入ろうと思ったので慣らしておきたくて」。やや遅いスタートだったが、それまではさまざまなスポーツを遊びながらしていた。

 その甲斐あって、中学で野球部に入部するとメキメキと頭角を現し、盛岡市選抜にも選ばれた。

 高校は文武両道の進学校・盛岡三高に進み、そこでも投手三本柱の一角として3年春には東北大会準優勝。最後の夏も県4強まで進んだ。私立大学からの誘いもあったが、「教員免許が取れて、野球も頑張れるから」と、静岡大への進学を決めた。当初、野球は大学までのつもりで教員志望だった。

 だが、大学4年間で世界が大きく変わった。「選手以上の情熱で野球に接していて、常に上を目指していこうという気持ちにしてくれる存在でした」(和田)と語る高山慎弘監督の存在や、先輩投手たちが社会人に進んだことで、大学卒業後も野球を続けていきたいという気持ちが芽生えた。なにより、同級生の存在も大きかった。

「(2015年に入学の)僕もそうですが、2014年に静岡大が43年ぶりに全日本大学野球選手権に出場したのを見て入った選手が多く、いろんなタイプの好投手がいました。だから、それぞれのいいところを参考にできましたし、限られた練習時間のなかで『今の自分に何が必要か』を考えてすることができました」

 同級生には竹内武司(カナフレックス)、山崎智也(新潟アルビレックスBC)、浮橋遼太(四国銀行)と、和田を含め、大学卒業後も硬式野球を続ける投手が4人もいた。

 そのなかで最も頭角を現すのが遅かった和田だったが、高山監督はその潜在能力を高く評価していた。

 大学4年春のオープン戦で、対戦相手の福井工業大の投手目当てに複数球団のスカウトが集まっていたのだが、その時、高山監督はブルペンにスカウトを案内して和田の投球を見せた。

 そのピッチングを見たスカウトが七十七銀行の小河監督に和田を紹介。夏にセレクションを受けて、見事合格となった。全国大会の常連校ではなく、そのなかでも実績の少ない和田だったが、将来性を見込んで獲得を決めたという。

「セレクションの時に『変化球を全部真ん中でいいからストライクを取ってほしい』と言ったら、全部ストライクで......。これなら試合をつくれると思いました。まだ筋力もつくと思いましたし、体全体を使えばもっとよくなると感じました」

 そう語った小河監督の期待に応え、今では「なくてはならない存在になりました」と言わしめるまで成長を遂げた。

 昨年は日本選手権予選で活躍し、本戦出場に貢献。今年はコロナ禍に見舞われたが、自粛期間も地道にトレーニングに励み、さらに力を伸ばした。大学時代、自ら考えて練習してきたことが大きく生きた。

「SNSなどでいろんな投手の動画を見たり、体を開かずに前で腕を振るということを意識したことがハマりました。自分の感覚でも球筋が変わったのがわかりました」

 大型右腕でありながら、前述したように変化球の制球力の高さに定評があったが、そこに馬力が加わり、プロ注目の存在になった。

 近年は地方の国立大出身者でも社会人野球などで活躍したり、NPBにも静岡大の後輩である外野手の奥山皓太が阪神に入団するなど、これまで以上に高いレベルでプレーする選手が増えた。とはいえ、まだまだ"少数"であるだけに、和田は「国立大出身でもやれるということを発信したい」と語る。

「大学にいる時も『国立でもやれる』と思ってやっていましたが、社会人になってからも、それはすごく感じます。もちろん、施設や設備などで私立に敵わない部分はたくさんありますが、たとえば静岡大は全員が純粋に野球をやりたくて入ってきた部員ばかりで、そのなかで競い合ってすることができた。今は自分でいい練習メニューやお手本になるプレーをSNSや各メディアで入手できる時代なので、自分がいかに取り組むかだと思います」

 好きな言葉は盛岡三高時代に学んだ「有難う」だ。「無難ではダメだ。何かがある方へ進もう。自分を高めていこう」という意味が込められているという。

 はたして、遅咲きの大型右腕に吉報は届くのか。今はその時を静かに待ちたい。