元スペイン代表GKイケル・カシージャスがインタビューで現役時代を振り返った。 カシージャスはスペイン代表のビセンテ・デル…

元スペイン代表GKイケル・カシージャスがインタビューで現役時代を振り返った。
カシージャスはスペイン代表のビセンテ・デル・ボスケ監督とレアル・マドリーのジョゼ・モウリーニョ監督を比較し、デル・ボスケがカシージャスをベンチに置いた理由が監督として正当な判断であった一方で、ジョゼ・モウリーニョは個人的な感情で彼を起用しなかったと断言した。
またカシージャスは2015年のレアル・マドリー退団について、クラブ側も彼も判断を誤ったと語った。
カシージャスはTELMEX TELCEL基金のビデオインタビューで次のように語っている。「(デル・ボスケとモウリーニョでは)状況は全く異なっていた。デル・ボスケの判断は正当な理由があったが、モウリーニョの判断は個人的なものだった。モウリーニョと僕は1年半の間とてもウマが合ったが、最後の1年間は二人の間に齟齬が生じていた。チームのキャプテンを務めていると、監督と常に話をしなければならない。選手がコーチよりも偉いというわけではないが、最終的には衝突し、関係性が摩耗してしまうものだ」
2012年12月、当時マドリーの指揮官だったモウリーニョ監督は、カシージャスではなくアントニオ・アダンを起用する賭けをした。
「個人的な考えにより、モウリーニョは僕が他の選手たちよりも優れているわけではないと判断した。僕たちの関係は当時あまり良好では無かったから、(アダンと僕の)どちらかを選ぶのはずっと簡単だった。そのほかにも知られていないことは沢山あるが、モウリーニョとは今良い関係を築いている。あれから何度か再会しているがお互い良い言葉を掛け合っている」
「起きたことを恨み続けるのではなく、みんながチームのために最善を尽くしていた。当時の状況が気に入らなかったし、彼が別のチームメイトを選んだからモウリーニョと距離を置こうと思った。この時僕は33歳で、ずっと大人になっていた。クラブのことを考えてこれ以上の騒動を起こさないようにした」
また、カシージャスは、2015年のポルトへの移籍の経緯について次のように語った。「僕の退団に関しては、レアル・マドリーも僕もミスをしたと思う。特に僕のような特徴を持ったプレイヤーにとっては、あってはならない状況だった。唯一の僕の慰めは、今後もしマドリーを退団する選手がいれば、彼の功績にふさわしい別れの式典が行われるだろうということだ」
「こういうのは嫌だ、と皆が分かったと思う。いつかすれ違いの埋め合わせができ、共に素晴らしいことを成し遂げてみんなが満足できるようにしたい。マドリーのファンには心配してほしくない、いつの日か水に流せるだろう」
また選手としての引退について、カシージャスはこう語った。
「僕の人生はだいぶ変わった。僕は運良く2~3年前からキャリアが終わりを見据えていた。1年半前に心臓発作が起きた時にはすでに道は開けていた。引退は予想したよりも早く起きたが、覚悟はできていた」
また、カシージャスはビセンテ・デル・ボスケ監督をキャリア形成の恩人だと語った。
「ビセンテは僕を9歳の時から知っている。彼は僕の成長に欠かせない存在であり、継続的に僕に出番をくれ、重要な試合で僕を起用してくれた。彼は最高に素晴らしい人間だ。彼と衝突したこともあるが、必ず仲直りしてきた。ビセンテはサッカーに必要な男だ。南アフリカでのワールドカップ決勝戦の前に、彼は僕らに“君たち一人一人の後ろにはたくさんの子供たちがいて、その子供たちを幸せにすることができることを忘れてはいけない”とだけ言った。」
最後にカシージャスは、レアル・マドリーの“銀河系軍団(ガラクティコス)”時代をこう振り返った。
「レアル・マドリーはどの選手にとっても“恵まれた栄光“であると感じた。フロレンティーノ会長は、その時々の最高の選手と契約するという哲学を持っていたし、我々にとってはそれがモチベーションとクオリティ向上の源となっていた。あの時期は素晴らしかったと記憶しているが、最後のほうは運に恵まれずタイトルを取れないことが何年も続いた」
「2000年から2003年までの間に我々はUEFAチャンピオンズリーグで2度の優勝、リーグで2度の優勝、そして数え切れないほどのタイトルを獲得してきて、そのことが選手たちの関係も良くしていた。最高の選手をクラブに引き抜くことでそれらの選手の名声をより高め、既存の選手たちのレベルもさらに上がった。フロレンティーノは非常に知的に行動し、クラブの価値を最高に高めることに成功したんだ」