サッカースターの技術・戦術解剖第27回 ソン・フンミン<小中学時代はチームに所属せず> プレミアリーグ第2節、トッテナム…
サッカースターの技術・戦術解剖
第27回 ソン・フンミン
<小中学時代はチームに所属せず>
プレミアリーグ第2節、トッテナムのソン・フンミンがサウザンプトン戦で4ゴールをゲットし、5-2の勝利に導いた。

トッテナムで開幕から好調なソン・フンミン
"スパーズ"のエースはいまやソン・フンミンだ。イングランド代表キャプテンのハリー・ケインやデレ・アリよりも、頼りになるゴールゲッターになっている。
ハンブルガーSVの育成チームを経てプロデビュー、レバークーゼンで活躍してプレミアリーグのトッテナムへ移籍、今季で6シーズン目になる。意外なのは、小学生と中学生のころ、チームに所属していなかったことだ。
父親のソン・ウンジョンは元サッカー韓国代表選手で、高校入学までは父親の指導を受けていたのだという。まったく試合でプレーしていなかったかどうかはわからないが、どのチームにも所属はしていなかったようだ。コーチである父親は、徹底して技術を習得させた。
所属チームがないということでは、フランスの国立養成所がそうだ。全寮制の養成所ではトレーニングしかやらない。ただ、週末は近隣のクラブに分散して試合経験は積んでいた。ただ、韓国の場合は独特の育成システムがある。
韓国の育成はエリート主義で、かつては「四強制度」がよく知られていた。KFA(大韓サッカー協会)の指定校が小学校サッカー部からあり、頂点を目指すエリートとそれ以外の選手が早くも小学生段階で選別される。年に何回かある全国大会でベスト4以上の戦績を収めた指定校のなかから、中学の指定校サッカー部へ入部できる選手が決まる。
同じように高校、大学とふるいにかけていく。四強制度が象徴する激烈な競争は、選手の勝利への執念をかきたてる反面、勝利至上主義やラフプレーの横行などの問題も指摘され、2002年ワールドカップあたりを境に是正する方向になったが、それでも韓国のエリート主義は根本には残っている。
ソン・フンミンが小中学生のころは、まだ学校主体の育成環境だったはずだ。ソンの父親は、目先の勝敗にとらわれた育成環境に身を置くより、その年代に相応しい技術を身に着けたほうがいいと考えていたのではないか。日本でもどのチームにも所属しない選手は珍しいが、韓国でそれではエリート選別の競争から完全に脱落し、プロになる道は閉ざされてしまう。だから、おそらくソンと父親は、最初から国内は眼中になかったと考えられる。
高校在学中にKFAの優秀選手海外留学プログラムを利用して、ハンブルガーSVのU-17カテゴリーに留学した。そこでの活躍が認められ、10年にハンブルガーSVと契約、同年10月にはブンデスリーガでのデビューを果たしている。
高校までチームに所属せず、父とのトレーニングに明け暮れたというと、まるで漫画『巨人の星』の星飛雄馬&一徹のようだが、言わば韓国のエリート主義の上を行く超エリート主義ということだろうか。
<スピードと精密なテクニック>
ソン・フンミンの武器は、何と言ってもスピードだ。183cm、77㎏と体格にも恵まれ、トップスピードでもブレのないテクニックがすばらしい。
ブンデスリーガでプレーしている時から、ひとりで4、5人をドリブルで抜き去ってシュートする個人プレーで注目されていた。現在、トッテナムの指揮を執るジョゼ・モウリーニョ監督は、かつてコーチを務めていたバルセロナでブラジルの"フェノメノ(怪物)"、ロナウドを見ている。モウリーニョは今でもロナウドを「別格中の別格」と言っているが、ソン・フンミンにロナウド(・ルイス・ナザリオ・デ・リマ)を重ねて「ソナウド・ナザリオ」と形容したこともある。
ロナウドがまさにそうだったが、"ソナウド"のほうも長距離をハイスピードでドリブルしてもバランスが崩れない。40mもスプリントすると、最後のシュートのところでパワーが欠けてしまいがちだが、最後までやり切る力がある。
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スピードドリブルからのフィニッシュでは、ボールが体から離れて流れてしまいやすいので、十分な体勢からはシュートを打ちにくい。しかしソンは、走りながらインサイドの面を確実にボールの中心に合わせ、走るパワーをうまくボールに乗せている。
立ち足を踏み込んで、蹴り足を後方へ引いて、という蹴り方では、トップスピードでのシュートにはとうてい間に合わない。だから、走る時の足を前に出す動きのパワーをそのままボールに伝えていく、いわゆる「前足のキック」が必要なのだ。
爆発的なスプリント能力だけでなくボールタッチも精密。ただ、ソンのテクニックには観客受けのよさそうなスタンドプレーはない。きれいに削ぎ落されていて実質本位、質実剛健と言った趣である。
フェイントも右足アウトでのカットインと、シザーズのみ。右でも左でも正確で芯を食ったキックができて、シュートモーションも速いので、抜いていく形は2つあれば十分なのだ。
左サイドから1つ内側のハーフスペース(サイドと中央の間)へ移動しながら、相手の反応を見て裏へ走るか、相手DFたちの間で受けるかを決めている。シュートへ持っていく手段がシンプルなので、そのための準備もシンプルだ。このポジショニングはケビン・デ・ブライネ(マンチェスター・シティ)とよく似ている。プレーのミニマリズムはリオネル・メッシ(バルセロナ)的でもある。
<アジア人最多得点者>
ソンは、ヨーロッパでの公式戦アジア人最多得点者だ。韓国のレジェンド、チャ・ボンクンの記録121ゴールを超えたわけだが、チャがブンデスリーガで積み上げた得点は70年代後半から80年代のものだ。UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)も2度優勝していて、ソンが現れるまでは史上最高のアジア人プレーヤーだった。
チャと同時代には、日本の奥寺康彦がブンデスリーガでプレーしていて「東洋のコンピュータ」と称賛されていた。奥寺はチャと同じく俊足のFWとしてケルンに入団したが、しだいにポジションを下げ、プレースタイルも周囲を生かすものに変化していた。
チャのブンデスリーガアジア人最多出場記録(308試合)を塗り替えた長谷部誠も、攻撃的MFだったのがサイドバックでもプレーし、近年はリベロのエキスパートとして活躍している。才能と個で押し通した韓国人選手、周囲との協調で居場所を見つけた日本人選手の対比は、両国の特徴を端的に表しているようで興味深い。
ソンの場合、少年期が父親とボールだけの環境だったというのだから、なおさら「個」がすべての土台だ。逆に、サッカーにおいて個人技術がいかに重要かを物語っている。
複数の相手を抜いてのゴールは非常に印象的なので、ソンのキャリア形成のうえでも大きかったと思う。何の遠慮もなく個を押し出していく気持ちの強さは、競争のない育成環境でも育てられるということだろう。むしろ、チームに所属していなかったからこそかもしれない。