【鈴木啓太、腸内細菌研究に懸ける想い|第1回】2004年五輪予選でチームを襲った原因不明の下痢 2004年3月5日、アテ…

【鈴木啓太、腸内細菌研究に懸ける想い|第1回】2004年五輪予選でチームを襲った原因不明の下痢

 2004年3月5日、アテネ五輪アジア最終予選で最大の難敵UAEと敵地で戦うU-23日本代表は、未曽有の窮地に立たされていた。前夜から下痢を訴える選手が続出し、結果的には全23人中18人が苦しむことになる。

 チームの主将だった鈴木啓太は、当日のスタジアムでの光景を鮮明に覚えている。

「トイレには便座のある個室が5~6つくらいあったと記憶していますが、キックオフ直前になってもすべてドアが閉まっていて、外で順番待ちをしている選手がいました。あちこちから『腹痛えな……』という声が聞こえてきて、みんなげっそりとしている。これは大変なことになるな、と思いました」

 緊急帰国する選手が出るほど、チーム内には一気に症状が広がり悪化していた。

 アテネ五輪アジア最終予選は4カ国ごとに3つのグループに分けられ、出場切符が与えられるのはトップ通過の1カ国のみ。日本が属したグループBでは、前半のUAEラウンドと後半の日本ラウンドでそれぞれ総当たり戦が行われた。当然、最大のライバルはUAEで、日本が初戦で引き分けたバーレーンを3-0で一蹴していた。

 幸い日本は、この難敵を2-0で下して最終的に五輪への道を切り開くのだが、惨状をひた隠しにしていた山本昌邦監督はテレビのインタビューで号泣してしまった。

 しかしそんな惨状でも、鈴木は難を免れた。

「後日サラダを洗った水が原因ではないかという情報が入ってきましたが、真相は分かりません。その後も日本代表などで様々な国を訪れましたが、幸い下痢で苦しむという経験はしないで済みました」

 確かにフル代表の遠征になれば、一流のホテルに宿泊し日本から専用のコックも同行するのでリスクは少ない。だが反面、それをフォローするジャーナリストの立場からすると、街に出て食事をするので被害を避けるのは難しい。実際個人的には、1986年メキシコ・ワールドカップ、2002年日韓ワールドカップ抽選会(韓国・釜山)、さらには鈴木も活躍した2007年アジアカップ(ベトナム)では、永遠に終わらないのではないか、というほど極度の下痢で苦しんだ。あるいはプラチナ世代の呼称で嘱望され、2009年U-17ワールドカップを戦った日本代表も、結成初期のウクライナ遠征では試合前夜に宿舎のトイレットペーパーをすべて使い尽くすほどの下痢に見舞われたという。当時の池内豊監督は「この年代には、現地の食事を取らせて、どこへ行っても大丈夫という逞しさを植え付けることも大切」と語っていた。

現役生活を通じて「腸の大切さ」を実感

 しかし日頃からの注意や習慣づけで、こうした強烈な下痢を回避する術はあるのか。もし鈴木がそのヒントを持っているなら聞いてみたいというのも、実はインタビューの目的の一つだった。

「幼少時から調理師の母に『人間は腸が一番大事だから、必ず便を見なさい』と言われて育ちました。でも最初は、母はいったい何を言っているんだろう……という感じでした。子供の頃は、冷たいものをたくさん飲んで腹が緩くなることもありました。ただそんな時は、やはりパフォーマンスが良くないので、徐々に気を付けるようになったんです。母が勧める腸内細菌関連サプリメントを携行し、食後には緑茶を飲み、遠征には必ず梅干しを持参しました」

 一方でトレーナーに体を診てもらいながら「お腹と筋肉は密接に関係しているのでは」と感じるようになったという。

「僕の場合、冷たいものを飲み過ぎたり、体に負荷がかかり過ぎたりすると、寝る時に体が捻じれてくるんです。それをトレーナーが灸やマッサージで治してくれる。そのおかげなのか、現役生活を通して筋肉系の故障が本当に少なかった。明らかに灸などでお腹を温めると体の調子も良くなりました」

 こうしたプロセスを経て、改めて鈴木は母に言われた「腸の大切さ」を実感するのだった。(文中敬称略)

[プロフィール]
鈴木啓太(すずき・けいた)

1981年7月8日生まれ、静岡県出身。東海大翔洋高校を卒業後、2000年に浦和レッズに加入。攻守を支えるボランチとしてレギュラーの座をつかむと06年のJリーグ優勝、07年AFCチャンピオンズリーグ制覇などのタイトル獲得に貢献した。15年の現役引退まで浦和一筋を貫き、J1通算379試合10得点を記録。日本代表としても28試合に出場した。現在は自ら設立したAuB株式会社の代表取締役を務め、腸内細菌の研究などを進めている。(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。