サッカー名将列伝第16回 マリオ・ザガロ革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカ…
サッカー名将列伝
第16回 マリオ・ザガロ
革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回は選手・監督として、ブラジルのW杯優勝に4度も関わってきたマリオ・サガロ。攻撃的に勝つというブラジル代表監督の宿命を背負いながらも、圧倒的な実績を残した名将の足跡をたどる。
80年代までのブラジルは、ウイングを必ずふたり起用し、センターフォワードと10番もいる実質4トップでなければ「守備的」とされていた。他国とは明らかに「守備的」の基準が違っていたのだ。
97年のブラジルにもはやウイングはいなかったが、ロナウド、ロマーリオ、リバウド、レオナルドを並べる監督が「守備的」なわけがない。
ただ、「守備的」とのレッテルを気にしていたわけではないだろうが、98年フランスW杯のブラジルは4年前よりかなり攻撃に舵を切っていた。ロマーリオは招集外となったが、ロナウドとベベットの2トップは強力で、エジムンドも控えている。
4-4-2のMFにはレオナルド、リバウドのダブル10番を起用。4年前の優勝時に機能させた、3バックと4バックを自在に使い分ける可変式も封印していた。
94年アメリカW杯は、イタリアとの史上初のPK戦を制しての優勝。24年ぶりの優勝にもかかわらず、「守備的」との批判があった。他国との比較でいえば、ブラジルはまったく守備的ではない。常に攻撃し、ボール保持率も高く、技術も高かった。ただ、守備に気を使っていたのもたしかで、それが長年の3バックか4バックかの論争を解決した可変式だった。この可変式は、02年日韓W杯で優勝したブラジルには踏襲されている。
98年のザガロ監督は、ちょっと意地になっていた感じもしなくはない。全ブラジル人が納得するような勝ち方をしたかったのではないか。06年ドイツ大会のカルロス・アルベルト・パレイラ監督も、まったく同じようなことを試みていた。ロナウド、ロナウジーニョ、カカー、アドリアーノを並べる超攻撃スタイルで、優勝を狙っていた。
ザガロとパレイラのコンビにとって、94年の優勝は自分たちも納得できないものがあったのではないか。
<ブラジルの敵はブラジル>
ブラジルにとって、最大の敵はブラジルである。過去の偉大なチームこそ、超えるべき最大の壁なのだ。
ザガロは監督として、ブラジル国民を含む全世界を熱狂させるセレソンを現出させた。70年に届きそうなブラジルとしては、テレ・サンターナ監督が率いた82年があるが、結果は2次リーグ敗退。ザガロの98年は決勝で敗れ、パレイラの06年はベスト8。どちらもフランスに打ち砕かれた。
逆にブラジルとしては現実的で堅実なサッカーだった94年と02年には優勝しているが、結局今日まで70年を超えるブラジルは現れていない。
ザガロは「守備的」な監督ではなかったが、セレソンに「現実」を持ち込んだ人ではあった。変化する世界のサッカーを見据え、ブラジル至上主義に陥ることのない感覚を持っていた。
だからブラジル人には不評だったが、第三者から見れば信頼に足るものがあり、実際ザガロが監督などで深くかかわったセレソンは110勝33分。負けは11敗しかない。
地に足のついた監督だった。ただ、何度かは精一杯つま先立ちになって自らのつくった偉業を超えようとしていた。それはブラジル代表監督の宿命とも言える。
マリオ・ザガロ
Mario Jorge Lobo Zagallo/1931年8月9日生まれ。ブラジル・アラゴアス州出身。現役時代は左ウイングとして活躍。ブラジル代表として58年スウェーデンW杯と62年チリW杯で優勝した。引退後はブラジル代表監督を指揮し、70年メキシコW杯優勝、74年西ドイツW杯ベスト4。その後も94年アメリカW杯(優勝)、98年フランスW杯(準優勝)、06年ドイツW杯(ベスト8)と、監督やコーチとしてブラジル代表に長く関わった