川崎フロンターレ戦に出場し、Jリーグ最年長出場記録を塗り替えた三浦知良(横浜FC) 川崎フロンターレ戦に先発出場し、53歳6カ月28日でJリーグ最年長出場記録を塗り替えたキング・カズこと三浦知良(横浜FC)。今回は、今もなお語り継がれている…



川崎フロンターレ戦に出場し、Jリーグ最年長出場記録を塗り替えた三浦知良(横浜FC)

 川崎フロンターレ戦に先発出場し、53歳6カ月28日でJリーグ最年長出場記録を塗り替えたキング・カズこと三浦知良(横浜FC)。今回は、今もなお語り継がれている"伝説"の数々を紹介しよう。

 そもそもカズが「キング」と呼ばれるようになったのはいつからか。時は今から27年前、場所はカタールのドーハ。アメリカW杯アジア最終予選が行なわれていた。

 日本は初戦のサウジアラビアに引き分け、続くイランに敗れ、6チーム中最下位に沈んでいた。だが、選手は完全に切り替えていた。「3連勝すればいいんだろ」「これでドラマができる」......。

 負けたら終わりという状況で挑んだ北朝鮮戦。日本は28分、ラモス瑠偉のフリーキックをカズがヘッドで合わせて先制。さらに後半6分、森保一(現日本代表監督)が右サイドを走るカズにミドルパスを通し、グラウンダーの折り返しを中山雅史が決め2点目。さらに後半23分、右コーナーキックをカズがダイレクトボレーで決め、日本が3-0で快勝した。

 翌日の地元紙には「KING KAZU」の見出しで2ゴール1アシストを決めたカズの記事が紹介された。それから日本のメディアも「キング」という言葉を使うようになったと言われている。

「キング」で忘れられないのは「キング・シート」の存在だ。カズは日本代表でもクラブチームでも、移動のバスで座る席が決まっている。それが最後尾の左座席。その座席はいつしか「キング・シート」と呼ばれ、代表に初招集された選手が、何も知らずにその座席に座ろうとすれば、ほかの選手から「そこはカズさんの指定席だからダメだ」と、注意されるほどだった。

 カズはヨーロッパでプレーしていたときも、1993年と94年にチャリティマッチのクリスマス・スターズ(世界選抜)に選ばれたときも、移動用バスで「キング・シート」を確保していた。

 カズが日本代表から外れるようになってから、その座席に座ったのは中田英寿、本田圭佑など、なぜかチームの中心選手ばかり。本田はなぜかミラン時代も、この最後尾の左の座席に座っていた。選手にとって今もこの座席は特別なシートとなっている。

 名言も数多く残している。

 その代表的な言葉が、98年フランスワールドカップ開幕直前に代表から外され、帰国後の記者会見で発した言葉だ。

「日本代表としての誇り、魂みたいなものは、向こうに置いて来た」

 カズとともに代表から外され、イタリアのホテルで3日間を一緒に過ごして悔しさや今後について話し合い、会見にも同席した北澤豪は、昨年、テレビ番組で、「ずるいなと思いましたね。こんな言葉、ずっと一緒にいましたけど、ひとことも言ってませんでしたから」と明かしていた。それこそが"キング"と呼ばれる所以かもしれない。

 1992年、広島で行なわれたアジアカップ。日本はグループリーグ初戦のUAE戦、2戦目の北朝鮮戦と引き分け、3戦目のイランと対戦した。日本は勝たなければ決勝トーナメントに進出できず、一方のイランは、引き分けでも決勝トーナメントに進出できるという状況だった。

 イランは当然のように守りを固め、日本はその堅い守りを崩せないまま時間だけが過ぎていった。そして後半40分、ラモスの横パスを受けた井原正巳がゴール前にスルーパスを送る。そのパスに反応したカズがニアに思いっきり蹴り込んだ。そのゴールが決勝点となり日本は決勝トーナメントに進出。そしてその勢いのまま勝ち進み、アジアカップ初優勝を飾る。

 このイラン戦のヒーローインタビューで、カズは「思い切って、魂込めました。足に」と答えている。この「足に魂込めました」という言葉は、のちに書籍のタイトルにもなった。

 このゴールにもちょっとしたエピソードがある。試合後の囲み取材で、カズは「思いっきり逆サイドに蹴った」と語る。すると、記者から「カズ、シュートはニアだよ」と言われた。本人はファーサイドに決めたと思っていたのだが、それほど興奮していたのだ。

 また、「パスが出てくる前に井原と目と目が合った」とも言っていたが、井原ははっきりと、「カズさんと目は合っていないです。時間がなかったのでゴール前に出せば何かが起こると思って出した」と話している。当時、ハンス・オフト監督から"アイコンタクト"という言葉を言われ続けていたせいかもしれないが、カズにとって、どちらが事実かなど、どうでもいいことだったのだろう。

 京都パープルサンガ、ヴィッセル神戸、横浜FCでカズとともにプレーした望月重良(現SC相模原代表)は現役時代の晩年、大腿骨骨頭壊死症という難病と闘い、苦しいリハビリを続け現役復帰を目指していた。思うように体が戻らない中、ストレスが溜まっていた望月は、当時、神戸に所属していたカズに会いに行った。リハビリの大変さや苦しさを話していると、カズがポツリといった。

「おまえ、俺より先に引退するのか?」

 その言葉に我に返った望月は、必死にリハビリをして、その年に横浜FCと契約。2年ぶりにピッチに立ち、その1年後に引退する。そして2008年、SC相模原を創設。そして創設以来、カズの代名詞でもある背番号11は空けている。もちろん、いつ来てもらってもいいように。

 オファーがある以上、「キング・カズ」伝説はまだまだ続きそうだ。