13日にイタリアのムジェロサーキットで初開催されたF1第9戦トスカーナGPで、レッドブル・ホンダのアレクサンダー・アルボン(24)=タイ=が自身初表彰台となる3位を獲得した。 自身初の表彰台に立ったレッドブル・ホンダのアレクサンダー・アル…
13日にイタリアのムジェロサーキットで初開催されたF1第9戦トスカーナGPで、レッドブル・ホンダのアレクサンダー・アルボン(24)=タイ=が自身初表彰台となる3位を獲得した。
自身初の表彰台に立ったレッドブル・ホンダのアレクサンダー・アルボン。後方にはタイ国旗が掲げられた(ホンダ提供)
前戦イタリアGPでは同じレッドブル陣営でライバル関係にあるアルファタウリ・ホンダのピエール・ガスリー(フランス)が初優勝を飾り、チームに12年ぶりの勝利をもたらした。来季のレッドブルのレギュラーシート争いを巡ってはガスリーに一歩リードされた形になっただけに、クラッシュ多発で完走12台という波乱のレースでアルボンが最後まで生き残り、意地の走りを見せた。
「ここまで来るのは長い道のりだったので大変うれしい。表彰台に立てたことは特別な思いです。このチームに来てからずっとサポートしてくれたことへの恩返しになったのではないかと思うし、僕の力を示すことができた」
1周目に同僚のマックス・フェルスタッペン(オランダ)とガスリーが事故の巻き添えになってリタイアするなどクラッシュが原因で2度もレースが赤旗中断に。再々スタートが切られた終盤には、いったんはルノーのダニエル・リカルド(オーストラリア)など2台に追い抜かれたものの、コース上で抜き返すことに成功。メルセデスの2台に続いてゴールラインを通過した。
タイ国籍の選手の表彰台は史上初。日本人では鈴木亜久里(1990日本GP)、佐藤琢磨(2004年アメリカGP)、小林可夢偉(12年日本GP)がいずれも3位をマークしており、アジア人では4人目となる。
ただしアルボンの出身地はタイではなく、実は英ロンドン。元レーシングドライバーで英国人の父ナイジェルさん、タイ人の母カンカモルさんの間に生まれ、英国、タイの二重国籍なのだ。自身が15歳の時に家庭の事情でタイのレーシングライセンスを取得することを決断し、「タイ人ドライバー」となる道を選んだ。
3位でチェッカーフラッグをくぐるアレクサンダー・アルボン(ホンダ提供)
2019年にトロロッソ(現アルファタウリ)でF1デビューを飾った際にも「タイ人ドライバーになることは僕にとっては大事なことだった。タイ人が最後にF1に出場してから長い時間が過ぎたけど、皆が誇りに思ってくれるような選手になりたい」と語っていた。
アジア人最初のF1ドライバーは日本人ではない。F1草創期の1950~54年にタイ王室の血を引くピーラポンパーヌデート親王(通称プリンス・ビラ)がマセラティのワークスチームなどで参戦。決勝最高位は50年のスイスGP、54年のフランスGPにマークした4位だった。つまり、アルボンが66年ぶりにタイ人のF1最高位を塗り替えたことになる。
自身のルーツでもあるタイには敬意を表しており、ヘルメットにはタイの国旗があしらわれているほか、後頭部にはタイ語で「9」と描かれている。これは2016年に死去した国王のラーマ9世を追善する意味が込められている。
F1にデビューする前のF2時代から彼のレースを見てきたが、人懐っこくて、どんなに忙しくても取材に真摯(しんし)に応じてくれた。F3で海外武者修行をしていた福住仁嶺(現スーパーフォーミュラ)とも大の仲良し。性格の良いドライバーは大成しないというジンクスはあるが、敵をつくらない紳士的な姿勢は逆に武器。メルセデスの王者ルイス・ハミルトン(英国)も一目置いているという。
これでホンダのパワーユニットを積むマシンの表彰台獲得は第2戦シュタイアーマルクGP(オーストリア)から8戦連続となった。「微笑みの国」タイを背負って立つアルボンには、ぜひとも表彰台のてっぺんで微笑んでもらいたい。
[文・写真/中日スポーツ・鶴田真也]
トーチュウF1エクスプレス(http://f1express.cnc.ne.jp/)
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