リミットは、75球だった。 札幌国際情報の有倉雅史監督は、南北海道大会準決勝に勝った直後のインタビューでエース・原田航介の投球数について問われ、こう言っていた。「球数で代えるしか......ないですよねぇ」球数制限により南北海道大会決勝の…

 リミットは、75球だった。

 札幌国際情報の有倉雅史監督は、南北海道大会準決勝に勝った直後のインタビューでエース・原田航介の投球数について問われ、こう言っていた。

「球数で代えるしか......ないですよねぇ」



球数制限により南北海道大会決勝の5回途中で降板した札幌国際情報の原田航介

 原田は8月4日の1回戦・札幌日大戦で完投して137球。6日の準々決勝・東海大札幌戦で8回を投げ138球。さらに8日の準決勝・駒大苫小牧戦で完投して150球を投げていた。

 5日間で合計425球。今年から適用された1週間500球の球数制限により、9日の決勝では75球までしか投げられない。決勝の相手は1回戦、準々決勝で2ケタ得点を挙げ、準決勝ではプロ注目の2メートル左腕・札幌大谷の阿部剣友を攻略した強打の札幌第一。

「原田は球数が多い方なので、(先発した場合)よくて4イニングちょっと。最悪だと3イニングぐらいかなと思っていました」(有倉監督)

 とはいえ、ほかの投手を先発させ、原田をリリーフに回すことは考えなかった。公立校である国際情報にとって、3番・エースの原田は絶対に外せない大黒柱だ。昨年も2年生エースとしてチームをけん引。決勝で北照に延長14回の末に敗れたが、全4試合に先発し、チーム史上初の準優勝と甲子園一歩手前まで導いている。原田が投げなければ、強豪私学相手に試合にならないのは明白だった。

 ただでさえ二番手投手との力の差が大きいのに加えて、今年は新型コロナウイルスの影響で活動自粛期間が続いた。大会前の練習試合は7月に入ってからのわずか8試合のみ。

「ゲームに投げられる状態に持っていくのがやっとでした。(活動再開から)大会まで1カ月では、ピッチャーを育成する時間も余裕もなかった」(有倉監督)

 事実、8対1と大差となった東海大札幌戦の9回に2年生左腕の木村駿太がマウンドを踏んだが、有倉監督曰く「まったくダメでした。決勝まで行った場合、これはまずいと思いました」。

 大会中にもかかわらず、試合後に学校に戻ってシート打撃を実施。故障明けの2年生右腕・平川蓮を試し、「ストライクが入ったので、(ベンチに)入れると決めました」と、試合ごとにベンチ入り登録の入れ替えができる独自大会のルールを生かして、準決勝から急遽、平川をベンチ入りさせた。それぐらい苦しい台所事情。国際情報にとって原田に頼る以外の選択肢はなかった。

 決勝戦の前、有倉監督の頭には"残り75球"があったが、原田には球数を気にせず投げるようにと送り出した。

「体力的にもいっぱい、いっぱい。(自粛で)何もやってないなか、ここ(決勝戦)まで来ることができたので、配球を変えたりせず、いつもどおりのピッチングをさせてあげたいと思いました」

 6日間で4度目の先発マウンドとなった原田は、疲労から本調子ではなかったが、粘りの投球を見せる。1回から3回まで毎回失点するが、なんとか最少失点にとどめ、4回を終了して2対3と食らいついた。

 イニングが終わるごとに、国際情報ベンチには大会本部から「あと何球です」と伝令が来る。"そのとき"が来たのは5回一死だった。5番・高木和真の3球目に500球に到達し、大会本部から「このバッターまでです」と告げられた(※500球に到達したときの打者まで投げることができる)。

 原田はこの打者をレフトフライに打ち取るも、全国で初めてとなる球数制限による強制降板となり、レフトの守備へと回った。

 原田のあとは急遽ベンチ入りした平川が公式戦初登板。大会前は練習試合すら投げていなかったが、次打者をセカンドゴロに打ち取ると、6回も2人の走者を出しながらも何とか0点に抑えた。

 だが7回、左打者が3人並ぶクリーンアップに回る打順で登板した左腕の木村がつかまり1点を失うと、8回には4点を奪われ2対8。事実上、ここで勝敗は決した。

 球数制限によってエースがマウンドを降り、2番手以降の投手が打たれて試合が崩れてしまう──。このルールができた当初から懸念されていたことが、決勝戦で起こってしまった。このルールが適用される限り、同じようなことは今後もあるだろう。だが試合後、原田は悔しさを押し殺して淡々と振り返った。

「球数を考えて試合はやれません。というよりも、考える余裕がなかった。疲れもあって、いい調子ではなかったので......。球数より、自分は最後までしっかり抑えようということだけ。交代したら、あとのピッチャーに任せるしかないです。1週間で4試合投げるのは、肩やヒジに影響があると思います。500球ルールは仕方ない。控えも含めてチーム力なので」

 一方、勝った札幌第一の菊池雄人監督も複雑な表情を見せた。球数制限についての率直な感想は、「興ざめした」だった。ルールとはいえ、球数が制限に達したからといって相手エースがマウンドを降りてしまうのは、せっかくの好勝負に水を差してしまう。試合前から「あと75球」というのはわかっていたが待球戦法はせず、あくまで原田を打つことにこだわった。

「選手には球数のことは一切言いませんでしたし、ベンチで球数のことを言う選手もいなかった。選手たちに言ったのは、『原田に勝つ』ということ。原田に勝たないと勝ちはない。原田が投げているときに負けていて、代わったあとに逆転したとなるのは後味が悪いですから」

 言葉どおり、札幌第一は初回から積極的にストライクを打ちにいった。原田が投げている間、リードを奪うことのほかに菊池監督がこだわったのは、500球を迎えるタイミングだった。

 5回の攻撃が始まる前に「(500球まで)残り8球」というのはわかっていた。淡白な攻撃をすると5回を投げ切られてしまう。それだけは避けたかったと、菊池監督は言う。

「5回が終わるとグラウンド整備が入るため、試合が止まってしまう。それで6回からスパッと投手が代わってゲームが膠着することがあるんです。なので、5回の途中、できればランナーを背負った場面で代わることになればいいなと思っていました」

 ランナーこそ出なかったが、イニング途中の交代には成功した。とはいえ、菊池監督の胸中は複雑だった。

「かわいそうなルールだと思いましたね。とくに今日は......」

 自らも現役時代、エースとして南北海道大会決勝で投げて敗れた経験を持っている。それだけに、このような形での降板にやるせなさが募った。

 1週間500球という球数制限は、はたして本当に最善なのか。ほかにも考えられる策はあるはずだ。
 
 ひとつは、WBCなどで採用されている1試合の球数によって休養日を設定することだが、投手の数が少ない公立校にとっては現実的ではない。

 となれば、残りは一択。日程の見直しだ。

 春秋の北海道大会、夏の南北の北海道大会は準決勝の前日に休養日が設けられている。ところが、それだけでは原田のように1週間500球に達してしまう可能性が大いにある。

 今年の南北海道大会を例にとれば、8月3日開幕で決勝が9日の7日間。国際情報は2日目が初戦だったが、初日に登場したとしても1週間で4試合となる。甲子園のように準決勝の前と決勝の前の2度休養日を設けたとしても、初日に登場する学校以外は1週間で4試合は変わらない。

 そう考えると、大会を前半と後半に分け、前週は準々決勝まで、後週は準決勝、決勝とするのはどうだろうか。秋の地区大会は全国各地で週末ごと2週に分けて開催されている。関東大会も2017年までは5日間連続開催だったが、2018年からは2週に分けての開催に変更された。

 2週に分けることが難しくても、準々決勝と準決勝の間にせめて4日間休みを入れられれば現状の1週間500球ルールの球数制限は回避できる可能性が高い。

 移動の負担や費用はかかるが、まずは選手の体を優先することが第一。北海道に限らず、愛知など終盤に過密日程になる都道府県は他にもある。工夫して日程の見直しをしてもらいたい。

 そもそも、1週間500球のルールに根拠があるのか疑問だ。選手の体を守ることが目的で、その手段としてルールがあるべきだが、現実はルールをつくることが目的になっている。手段と目的がひっくり返っているのだ。もう一度、目的は何かを考えて、本当にその目的が達成されるルールになっているのかを検討すべきだろう。

 1週間500球ルールについて、ある公立校の指導者はこう言っていた。

「公立つぶしのルールですよ。いいピッチャーが1人いることさえ稀なのに、複数揃うことなんてない。このままじゃ、ますます私学の独壇場になりますよ」

 スカウティング偏重が進む昨今の高校球界。私学が投手の頭数をそろえようと躍起になれば、ますます公立など弱者は弱体化し、強豪校との二極化が進んでしまう。高校野球の醍醐味のひとつでもある番狂わせや無印校の"旋風"は見られなくなってしまうだろう。

 最後に、元日本ハムの投手だった有倉監督の言葉を紹介したい。原田を交代させたときの心境だ。

「ここまで我慢させなきゃいけないのかって思いましたね。コロナで今年はいろんな我慢をさせてきたので、余計に......」

 投げたいのに投げられない。自らもその経験があるから、有倉監督は原田の気持ちが痛いほどわかる。

「今回のことを見て、上の人がどう思うのか......。僕は、それしか言えません」

 手段が目的化されているルールはいらない。本当に必要なのは、選手も現場も納得する、目的が達成されるルールだ。原田の504球は、独自大会のせいか全国的にはあまりニュースになっていない。甲子園交流試合開幕前日に起こった日本初の事例を、決して無駄にしてはいけない。