「明日へのエールプロジェクト」の一環で、学生とアスリートが今とこれからを一緒に語り合う「オンラインエール授業」。第25回目の講師は、中学生からフェンシングを始め、高校時代にはインターハイ3位。大学時代には国際大会で実績を積み、2006年ワー…

「明日へのエールプロジェクト」の一環で、学生とアスリートが今とこれからを一緒に語り合う「オンラインエール授業」。第25回目の講師は、中学生からフェンシングを始め、高校時代にはインターハイ3位。大学時代には国際大会で実績を積み、2006年ワールドカップで銅メダルを獲得。2008年北京オリンピックでは11位入賞をし、2012年ロンドンオリンピックでは男子フルーレ団体で銀メダルに獲得。全日本選手権も二度にわたり優勝した千田健太さんだ。全国高校フェンシング部の現役部員や顧問の教員など約10名が集まり、今のリアルな悩みや質問に答えた。

「暇さえあれば剣を握っていた」

千田さんは画面越しに手を振りながら「こんにちは。皆さんとざっくばらんに話が出来ればいいし、遠慮なく質問をして欲しいし、思っていることを言ってもらいたい」と声をかける。すると直ぐに「部活動は出来ている?」、「どんな練習をしている?」、「調子は?」と新型コロナウイルスの影響で災禍に見舞われた高校生に寄り添う。

まずは千田さんの高校時代に触れる。「中1の冬に始め、最初はフェンシングに興味がなく、サッカー選手になることが夢だった。でも上達せず、何か新しいことに挑戦したいと思った時に、たまたまフェンシングを見て、軽い気持ちでやろうと思ったことがきっかけになった」と口にした。

高校時代は部活動が中心の生活を送っていた。「自宅と学校の往復のみで、街で遊んだ記憶がない。社交的な性格でもないし、フェンシングをやっている時が楽しく、フェンシングに没頭していた高校時代だった」と笑顔で振り返った。当時は、インターハイの優勝が大きな目標だったが「フェンシングをやることが、もの凄く楽しくて、技が上達する楽しさの方が先行していた」と言うと「世界で戦う選手の映像を見て“カッコいい”技をチェックして、その技が出来るまで居残り練習をしたり、自宅でも技が出来るまでやっていた。暇さえあれば剣を握っていた」と、日々の積み重ねがその後の活躍を原動力となっていた。

ここで千田さんが高校3年生の時に出場したインターハイの団体戦決勝の写真が紹介される。「凄く懐かしい」と苦笑い。相手は京都府代表の平安高校。現在の日本フェンシング協会会長の太田雄貴氏と死闘を繰り広げているワンシーンだった。「当時は5勝した方が勝ちで、両校3勝3敗で迎えた7試合目。この時は4対4の1本勝負で負けてしまった。運命を感じる」とコメント。後に同じ日本代表のチームメイトとして2012年ロンドンオリンピックで銀メダルを獲得するのだが、同級生に国際的なライバルとなる選手がいたことは大きな刺激になっていた。

早速、現役の高校生から技術的な質問が飛ぶ。「足の動きを速くする、スムーズにするコツは?」との問いに、千田さんは「自分も高校生の時はフットワークでうまくいかず、相手の攻撃で下がり遅れてしまっていたことはよくあった。フットワークは普段の練習から、引き付けの癖を付けることと、下がりに関しては反応することよりも予測が大事。僕は反応のスピードは速くないが、他の人よりも予測をする。相手が攻撃するだろうと予測をして下がるので、ワンテンポが速い。次の練習から予測をして、相手が攻撃に“来る”と思ったら下がる準備をしてみて欲しい」とアドバイスをした。

練習でやってきた成果を試合に出せるようにベストを尽くす

後半は、多くの高校生が抱えているであろうメンタル面での悩みについて。

「大会当日になるとダメだとマイナスに捉えてしまい、相手が強く見えて自信がなくなってしまう。試合中も連続ポイントで負けていると弱気になってしまう」という悩みについては、「自分はオリンピックでメダルを獲っているが、フェンシングを始めて日本代表になっても、当日にお腹を壊していた。不安になるというのは勝ちたいから。それは良いことで緊張感がないと力を発揮できない。フェンシングは、どんなに強い選手でも、世界ランキング1位の選手でも、大きいトーナメントの試合で負けることはよくある。“絶対”はない。相手ではなく練習でやってきたことを試合で出せるようにベストを尽くす。割り切った気持ちでプレー出来るように、自分がやってきた成果を出せるように緊張を受け入れながら頑張って欲しい」と真っすぐ語りかけた。

千田健太さんが語る“明日へのエール”

最後に“明日へのエール”を求められた千田さんは「新型コロナウイルスの影響で色々な大会が中止となり心が痛い。ただ苦しい経験やきつい思い出も無駄にはならない。父からの受け売りの言葉は『人生の経験に無駄はない』というもの。1980年モスクワオリンピックを日本が政治的影響でボイコットをし、日本選手団だった父もその一人だった。当時のニュースで父のコメントを見ると『奈落の底に突き落とされた』と書いてあったが、それが今、何と言っているのかと言えば『ボイコットもいいもんだぞ』と。長い人生の中、苦しいことも年月が経てば誇れるものに変わって行く。経験をどう捉えるかが大事で、次の人生に向け、バネに代えていく気持ちを持つことで人間は大きく成長すると思う。私の願いとして、インターハイが最後ではないのでフェンシングを続けて欲しい。これからも皆さんの活躍を応援している」と激熱のメッセージを送ると、最後にフェンシングのアタックポーズを取り記念撮影をし、オンラインエール授業は終了した。

今後もさまざまな競技によって配信される「オンラインエール授業」。

これからも、全国の同世代の仲間と想いを共有しながら、「今とこれから」を少しでも前向きにしていけるエールを送り続ける。