「明日へのエールプロジェクト」の一環で、学生とアスリートが今とこれからを一緒に語り合う「オンラインエール授業」。第24回目の講師は、日本におけるボート競技の第一人者として国内外で活躍をする武田大作さんだ。高校時代にボートを始め、高校3年時に…

「明日へのエールプロジェクト」の一環で、学生とアスリートが今とこれからを一緒に語り合う「オンラインエール授業」。第24回目の講師は、日本におけるボート競技の第一人者として国内外で活躍をする武田大作さんだ。高校時代にボートを始め、高校3年時にシングルスカルでインターハイ5位、東四国国体シングスカルで初優勝。1994年には広島アジア大会で日本代表とし初出場。その後、軽量級ダブルスカルの代表として数々の国際大会で活躍すると2000年には日本ボート界史上初の世界選手権優勝。46歳の現在も選手として活動し「ボートの鉄人」と言われている。全国高校ボート部の現役部員や顧問の教員など約15名が集まり、今のリアルな悩みや質問に答えた。

「人の指示ではなく、自分でやりなさいと常々、言われた」

配信は、武田さんの挨拶からスタートすると、直ぐに高校時代のエピソードとなった。ボートを始めた理由について「山育ちだったので海に行きたかった。アウトドアが好きなので『登山かボート』で迷ったが、初日に乗った時に面白さを感じた」と話した。しかし、当時は164㎝、42㎏と成長途中。選手として選ばれず「コックス(舵手)にならないか?」と勧められたが「漕手になりたい」とゴネ続けた。練習は苦痛だったがボートは大好きだった武田さんはボートにのめり込むと高校2年時にシングルスで漕ぎ始める。「補欠からの脱却」から「全国へ行くこと」へ目標は膨らみインターハイで5位の好成績を残した。高校3年間で培ったのは「顧問の先生やOBから『とにかく人の指示ではなく、自分でやりなさいと常々、言われた』こと。周りの指導者が良かった。僕は恵まれていた」と回想した。

参加した高校生からは多くの質問が飛んだ。「長い距離を漕いでいる時は、どんなことを考えているのか?」と訊かれると、武田さんは「理想とする姿を頭に思い浮かぶこと、そして自然の中にいるので風景をみたり、手や足などのそれぞれの部所で船を感じてみて欲しい。ボートはスピードが大事なので絶えずスピードを出すことを忘れずにいて欲しい」とアドバイスを送った。

失敗は成功への道

精神面への質問も多く聞かれた。「漕いでいる途中でバランスが崩れパニックになる。気持ちを落ち着かせるには?」との問いに対して「ボートは外的要因が多い。トップ選手でもバランスを崩すことはあるが、それを最小限に抑えている。アウトドアスポーツなので何かがあることを考える。試合中パニックになりコンマ差で負けたこと、勝ったこともある。普段から意識をしてミスを立て直すことを練習する。失敗=経験。経験を毎日積み重ねることをやってもらいたい。失敗は成功への道となる。ミスから回復することのメンタルの切り替えも意識して取り組んで欲しい」と力と気持ちのこもった助言を送った。

次に「自分の進路を決める時に悩んだのか、どうしてボート競技を続けようと思ったのか?」という将来に対しての質問には「農家の息子なので農家になるつもりで愛媛大学農学部を受験した。強豪校ではなく悩んだが、当時は合格者が掲示され、それを見に行こうとしたら、ボート部の先輩が『武田君、ボート部、おめでとう!』と言われ、逃れられなかった(笑)。あとはやはりボートが楽しかった。練習がしんどくても波や風を感じること、そして前向きに進まないことが良いことで、後ろ向きに進む競技は見えない世界に行ける。ボートを続けて大会で勝つほど他大学の仲間が増えて行く。海外でも声をかけてくれる仲間が出来たことは「僕の財産」と誇らしく語った。自称“農家のエリート”は、こうして世界チャンピオンへとなった。

武田大作さんが語る“明日へのエール”

最後に“明日へのエール”を求められた武田さんは「コロナで色々と大変かもしれないが終わりは必ずあるので、先のことを考えて欲しい。特に1年生は2022年に僕の地元・愛媛でインターハイが開催されるので会いたいし、会場で見かけたら声をかけて欲しい。未来があって楽しいボートライフがある。これからも発見や出会いをして欲しいと思う」と、ボートのフィニッシュポーズを取り記念撮影をし、オンラインエール授業は終了した。

今後もさまざまな競技によって配信される「オンラインエール授業」。

これからも、全国の同世代の仲間と想いを共有しながら、「今とこれから」を少しでも前向きにしていけるエールを送り続ける。