サッカー名将列伝第13回 ディディエ・デシャン革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、…
サッカー名将列伝
第13回 ディディエ・デシャン
革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回は、選手としても(1998年)監督としても(2018年)ワールドカップを制した、フランスのディディエ・デシャン。98年にも18年にも共通する、フランス代表の特徴的なチームづくりに迫る。
特徴的なのは、ワールドカップメンバーの選出方法だろう。同じタイプの選手を選んでいない。
たとえば、オリビエ・ジルーは頑健で高さとパワーに秀でたセンターフォワード(CF)だが、控えにジルーと同じタイプのCFを選ばなかった。
ハイクロスとポストプレーをチームの形として考えているなら、ジルーの控えにジルーと似た選手を選出するはずだ。だが、そうしなかったのは、デシャンが最初からチームのプレースタイルを1つにまとめようとは思っていなかったからだ。実際、ロシアW杯でもチームの骨格が固まったのは大会中だった。
ジルーでなければ、CFはアントワーヌ・グリーズマンかキリアン・エムバペになった。ジルー、グリーズマン、ムバッペはそれぞれまったく特徴が異なっている。MFのエンゴロ・カンテとスティーブン・エンゾンジも同様。最終的にサイドハーフとして起用したエムバペとブレーズ・マテュイディも、左右でまるっきり個性が違っていた。
これが意味しているのは、チームの完成形を固定的に考えていないということだろう。右肩上がりにチームの連係が深まり、完成していくようなイメージを持っていない。
それぞれの特徴のベストを集め、セカンドベストは選ばない。この方法だと、多種多様な強みを持てる。しかしその反面、チーム全体の連係や熟練度には難が出るのだが、デシャンはそこに期待をかけなかった。
これは彼が主将だった98年のフランス代表とよく似ている。
当時のエメ・ジャケ監督も、多くの選手とシステムをテストしつづけ、どれがベストチームなのか理解に苦しむほどだった。共通項は、苦手をつくらないこと。1つのスタイルを極めるのではなく、あらゆる相手や状況に対応できる能力を優先した。
だが、それではいつまで経ってもチームは即興のパッチワークになってしまう。そこで、デシャンの場合は最低限の土台だけは強固につくっていた。
18年のフランス代表の戦術は、02年のモナコとほぼ同じと言っていい。
4-4-2のコンパクトな布陣で、強固な守備、可能なかぎりゴールを直撃するダイレクトプレーである。ボール奪取後に間髪入れずディフェンスライン裏へパスを供給する、モナコのルーカス・ベルナルディの役割は、フランス代表ではポール・ポグバが担っていた。そのパスに反応するスピードスター、リュドヴィク・ジュリのフランス代表版はエムバペである。
戦術に関しては、デシャンがプレーしたマルチェロ・リッピ監督時代のユベントスに近い。フィジカルの強さをベースにした、シンプルで力強いサッカーだ。ただ、約束事は最小限なので、ある意味誰がプレーしても違和感はない。即興で組んでも成立するスタイルと言える。そしてそれ以上に、チームの心理的な一体感を重視した。
結果、ロシアW杯のフランス代表は対応力に優れ、どこが相手でも実に負けにくいチームに仕上がっていた。チーム一丸の結束も揺るぎない。負けにくさと一体感は、98年のチームと共通していた。
連係に関しては全体のハーモニーではなく、人と人の間に生まれるコンビネーションに依拠していた。ポグバとエムバペのコンビでしか成立しないプレー、ジルーとグリーズマンの間にだけある呼吸、それらをパッチワークにして大会中に全体を仕上げていた。
戦術という理論より、高い次元の個と個で生み出されるもののほうが強いと思っていたのだろう。個々のベストとベストの間にだけ成立する特殊な連係だけを残し、セカンドベストは選ばない。ある種、刹那的なカウンター攻撃に重きを置いているので、連係の最低人数であるふたりより、多くの連係を必要としていなかったとも言える。
こうして名選手だったデシャンは名監督になったわけだが、もともと選手の時から「監督」だったのかもしれない。名馬の時から騎手だったタイプである。
ディディエ・デシャン
Didier Deschamps/1968年10月15日生まれ。フランスのバイヨンヌ出身。ナントのユースからトップへ昇格しプロデビュー。国内ではほかにマルセイユとボルドーでプレー。その後ユベントスでも数々のタイトルを獲得する活躍を見せて、チェルシー、バレンシアでもプレーした。フランス代表でもキャプテンとしてチームを引っ張り、98年フランスW杯、00年ユーロ優勝に貢献した。01年の引退直後からモナコの監督に就任。その後ユベントス、マルセイユの監督を歴任。12年からはフランス代表監督を務め、チームを18年ロシアW杯優勝に導いている