自らゴールを決めて、復帰戦を飾った中村憲剛 勢いよくピッチに飛び出す背番号14を見て、ふいに17年前を思い出した。 20…

自らゴールを決めて、復帰戦を飾った中村憲剛
勢いよくピッチに飛び出す背番号14を見て、ふいに17年前を思い出した。
2003年3月15日、J2開幕戦。川崎フロンターレは敵地に乗り込み、サンフレッチェ広島と対戦していた。
当時の広島は、前年にまさかのJ2降格となり、1年でのJ1復帰を使命とする昇格筆頭候補。かたや川崎は、2001年のJ2降格からすでに3シーズン目を迎えていたが、徐々に順位を上げ、J1昇格が十分狙える立場にいた。
つまりは、シーズン開幕戦にして、いきなり昇格候補同士の対戦だったわけだ。実際、この年、広島は2位でJ1昇格。川崎は昇格こそ逃したものの、3位につけ、翌年のJ1昇格につなげている。
結果は、2−2の引き分けだった。先制した川崎は、一度は逆転を許すも、最後の最後で追いついた。
そんな試合で川崎から、ひとりの大卒ルーキーがJリーグデビューを果たしていた。
試合時間残りわずかの後半42分、念願かなって晴れの舞台に立ったのは背番号26、MF中村憲剛である。
今では川崎のレジェンドともいうべき中村も、当時は無名の新人だった。正直、この試合の主な取材目的が「1年でJ1復帰を目指す広島」だったこともあり、デビュー戦の印象はあまり残っていない。
だが、ノーマークのルーキーが頭角を現すまでに、それほど時間はかからなかった。
この年、その多くが途中出場だったとはいえ、J2で34試合に出場した中村は、翌2004年、背番号を14に変えて主力に定着。41試合に出場し、J2優勝とJ1昇格に大きく貢献した。
以来、今年10月で40歳になる中村は、大きなケガなく、また、大きく調子を落とすこともなく、ピッチに立ち続けてきた。積み上げてきた試合数は、J1、J2通算で500試合超。"鉄人"たる証である。
率直に言えば、華奢な体つきに加え、やや猫背で走る姿は、どことなく頼りなげではある。それはルーキーのころから変わらない。
しかし、ひとたびピッチに立てば、燃え上がる闘志とともにボールの奪い合いに挑んでいく。激しいタックルを受けることも多いだけに、試合を見ていると、ヒヤッとするシーンに出くわすことが少なくない。苦痛に顔を歪め、ピッチに倒れる中村を、何度目にしたことだろう。
ところが、中村はそのたびに立ち上がり、ほどなく戦列に戻った。高いところから落ちてもケガをしない猫ではないが、あの猫背には本能的に体の力を緩めたり、体の向きを変えたりしてケガを防ぐ感覚が備わっているのかもしれない。不思議と大きなケガは少なかった。
もちろん、まったくケガをしなかったわけではない。例えば、2010年2月のことだ。
中村が、同じメーカーの黒いスパイクをずっと履き続けているのは有名な話だが、この頃、少しの間だけ白いスパイクを履いていたことがある。
それは、彼が愛用するスパイクの誕生何周年かの記念モデルであり、色の違い以外、とりわけ何が変わったわけではない。当時の中村曰く、「ボールを蹴ったときの感覚がちょっと違ったので、『革が少し厚いんじゃない?』と聞いたら、本当に何ミリか厚くて、メーカーの人が驚いていた」という程度だ。
ところが、運悪くタイミングを同じくして、AFCチャンピオンズリーグの試合中にアゴを骨折してしまったのである。
「やっぱり、(派手な)白なんか履いちゃダメだね」
復帰後、中村はそう言って笑っていたが、それが冗談になるほど、彼にとってケガは珍しいことだったのだ。
そんな鉄人が、選手生命の危機に立たされるほどの大ケガを負ったのは、プロ生活17年目の昨年11月、J1第30節の広島戦でのことである。
クラブの発表によれば、前十字靭帯と外側半月板を損傷した中村の左ヒザは、「全治7カ月を要する見込み」とのことだった。
今までに経験したことのないケガの重さ、そして、リハビリ期間がコロナ禍に巻き込まれたことなどを考えると、先を見通せない復帰までの苦しみたるや、想像するにあまりある。
「みんな待ち望んでくれていたと思うが、誰よりも自分が待ち望んでいた瞬間だった」
復帰戦を終え、中村が口にした言葉には納得するしかない。
「今日一日をケガなく終われることだけを、昨日からずっと考えていた」
それが偽らざる本音だっただろう。
J1第13節、清水エスパルス戦。川崎は3点のリードを奪った後半32分、中村をおよそ10カ月ぶりのピッチへと送り出した。
試合会場の等々力陸上競技場は、観客が上限5000人までに制限されていたにもかかわらず、一段と大きな拍手が起きていた。ベンチ前では、交代で退いたFWレアンドロ・ダミアンが両手を何度も振り上げ、観客を煽っていた。
その瞬間、中村の体中に満ち溢れているであろう喜びを思うと、ピッチに走り出す姿が17年前と重なった。
とはいえ、一度ピッチに立ってしまえば、それが久しぶりの試合であろうとも、ガムシャラに走り回るしかなかったルーキーとは格が違った。
交代出場直後のファーストタッチで強烈なシュートを放つと、その直後にもMF大島僚太からのパスを受け、再びシュート。いずれもゴールにはならなかったものの、立て続けに打ち込んだシュートからは、すんなり試合に入れている様子がうかがえた。
そして、迎えた後半40分、中村は相手のミスパスを見逃さず、力なく転がったボールへ向かうと、GKのポジションを冷静に見極めてループシュート。昨季第28節の湘南ベルマーレ戦以来、およそ11カ月ぶりとなる得点は、自らの戦列復帰を祝う美しいゴールだった。
復帰戦の出場時間は、後半ロスタイムを含めても20分足らず。それでも、「最初から打とうと思ってはいなかった。その瞬間の自分のイメージとか、発想が出てきた」だけだと言いながら、短い時間に3本のシュートを放ち、1ゴールを決めた。月並みな言い方ではあるが、一連のプレーは長いブランクを感じさせないものだった。
中村自身、「(復帰戦で)点を取ったことで、次節以降のハードルが上がってしまった」と言いつつ、こう語る。
「それも今まで積み重なったものが出たわけだし、そこは自信を持ってやっていきたい」
鉄人は決して惑うことなく、「ケガをして以来、今日のこの日のためにすべてを捧げてやってきた」。時計の針が、また動き出した。