2008年北京五輪の後にサラリーマンに転身「このまま社会に出ていいのか」 飛び込み界のレジェンド、寺内健(ミキハウス)。初出場の1996年アトランタオリンピックから数え、内定を決めている2021年東京オリンピックで実に6度目の五輪出場を目指…
2008年北京五輪の後にサラリーマンに転身「このまま社会に出ていいのか」
飛び込み界のレジェンド、寺内健(ミキハウス)。初出場の1996年アトランタオリンピックから数え、内定を決めている2021年東京オリンピックで実に6度目の五輪出場を目指す。夏季大会での6度出場は、馬術の杉谷泰造に並ぶ日本最多タイ。念願の金メダル獲得に向けて邁進するベテランだが、実は一時期、競技から遠ざかっていたことがある。
2008年に4度目の五輪となる北京大会に出場し、3メートル飛び板飛び込みで11位となった。その翌年、寺内は突然の現役引退を発表する。この時、29歳だった。
「北京オリンピックまでずっと競技一筋で走り続けてきて、自分がこのまま社会に出ていいのか、という不安が出てきた。それでサラリーマンになりたい、という欲求が沸いてきました」
スポーツメーカーに入社すると、水泳事業の企画や営業に携わり、文字通り「サラリーマン」としての日々を過ごした。デスクワークや得意先回りなど、慣れない仕事も多かったが、そんな時に役立ったのがアスリートとしての経験だった。
「もちろん会社に入れば、新しい知識などいろいろ勉強しなければならない。でも、選手として培った忍耐力もそうですし、旺盛なチャレンジ力は、やはり社会で生きてくるものだとすごく感じました。これは現役でやっている若い選手はなかなか感じられないことかもしれませんね」
スポーツで築いた土台が社会にも応用できる。自身が経験したことだからこそ、今、目標を見失いかけている若いアスリートには、続ける努力をしてほしいと話す。
「この新型コロナウイルスの影響で、今の中高生は全中(全国中学校体育大会)やインターハイが開催されなくなってしまった状況にあります。この中で、目標を見失いかけたり、なくなってしまった選手もいると思います。スポーツでは自分の努力してきたことがすぐに結果に出るかどうかなんて分からない。けど、自分がやってきたことは、どの時代にもどの状況にも対応できる能力として身についているんですね。だから、自分が今までやってきたことを否定せずに。自分の人生をかけてチャレンジすること。それが全てだと思うし、スポーツの魅力だと思います」
進路に悩む子どもたちに… 「自分の気持ちに正直になるのがいい」
一度はサラリーマンになった寺内だったが、2年後の2011年に現役復帰。この時に下した決断が「今までで一番大きな選択だった」と振り返る。
「サラリーマン経験を積む中で、いろいろな役割を担わせていただいた。そこで、競技に戻りたいと言っていいのか……。すごく自分の中で葛藤があり、何か月も考えましたね」
この時、カギの一つとなったのは「オリンピックでメダルを獲りたい」という想いだった。
「今、できることは何か。今、自分が目指したいものは何か。そう考えた時に、オリンピックでメダルを目指せるのは今しかないと思って、競技に復帰する決意をしました」
周囲にも相談し、自分でも考えに考え抜いた末の決断だった。だが、最後の決め手となったのは「自分の気持ちに正直になる」ことだった。進路に悩む子どもたちにも「正直」であることを勧めたいという。
「周りの方のサポートがあって、競技生活も日々の生活も送れる。もちろん、相談する中でいろいろなアドバイスをいただきました。でも、結局は自分の気持ちにちゃんと正直に決断する、そこしかないと思います。周囲に感謝しつつ、最終的に自分が納得する結果を求めるなら、自分の気持ちに正直になるのがいいと思います」
自分の気持ちに正直になり、現役復帰を果たしてから10年目を迎える2021年。自分が納得する結果を得るために、40歳・寺内は飛び込み板の上で渾身の踏切を果たす。(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)