バイエルン・フリック監督が示した新戦術とは? はこちら>> 8月23日の夜、2019-20シーズンのチャンピオンズリーグ…

バイエルン・フリック監督が示した新戦術とは? はこちら>>

 8月23日の夜、2019-20シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)の幕が下りた。リスボンのエスタディオ・ダ・ルスでは、トリプル(3冠)を達成したバイエルンの選手たちが喜びあうなか、相手ベンチに向かうハンス=ディーター・フリック監督の姿があった。



CL優勝後、コーチングスタッフらと写真に収まるフリック監督(写真左から3番目)

 最後まで苦しめられた強敵パリ・サンジェルマンの監督やスタッフ、そしてピッチ上で涙を流すネイマールをはじめとする選手ひとりひとりに、ねぎらいの声をかける様子が見られた。

 優勝トロフィーが掲げられ、選手や監督の記念撮影が始まると、フリックはコーチングスタッフ全員を呼び、一緒に写真に収まった。チームとしての成功を強調するフリックらしいワンシーンだ。

 試合後の記者会見でも、決勝点を挙げたキングスレイ・コマン、ビッグセーブで完封に貢献したマヌエル・ノイアー、得点王となったロベルト・レバンドフスキへの質問が飛ぶなか、「私にとって肝心なのはチームであって、選手個人を持ち上げることではない」と前置きしたうえで、慎重に各記者の質問に答えていた。

 若手ながらリーダーのひとりとしてチームを牽引するヨシュア・キミッヒは、「フリック監督は、人間性の面でもすばらしい。彼にとっては、選手は試合のシステムに使うための駒ではなく、選手を人間として見ている。選手やスタッフたちは、それに気づいている」と話す。

 フリックの下、センターバックとして主軸の地位を確立したダビド・アラバは、「監督は、いつでも話しかけられるように準備してくれている。彼は、とてもポジティブにチームを率いられるタイプなんだ。僕も、これまで見たことのないやり方でね」と評価する。

 そして、クラブ生え抜きで、バイエルンの浮沈を左右する存在のトーマス・ミュラーは、「フリックは、ずっとすばらしい人物でありつづけていた。彼は、しっかり考えたうえで、ものごとを話していた。バイエルンの監督としてふさわしい能力があるかどうかは、わからなかったけどね」と振り返る。

 ミュラーは、「今のように自分たちのプレーが明確に規則付けされたのは、ペップ・グアルディオラの頃が最後だ」とも話している。

「どの選手でも、自分のポジションで個々の特徴にあったニュアンスを付け加えることができる。好みのプレーや、長所、短所に合わせてね。でも、各ポジションには、それぞれ明確な仕事が与えられている」(ミュラー)

 フリックは、ピッチ上の戦術やトレーニングのやり方でも世界トップレベルの選手たちを納得させた。

 過去CLを2度制覇したジョゼ・モウリーニョ(トッテナム監督)は、フリックの成功はミュラーを気持ちよくプレーさせたことにあると見ている。

「彼が居心地よく感じられれば、いいプレーをして、ファミリーを助けてくれる」とコメント。さらに、「フリックは監督としてキャリアのはじまりにあるが、バイエルンでファンタスティックな仕事をしている。彼と選手の間に、互いに共感しあう関係が成り立っているのを、手に取るように見ることができる」と話した。

 フリックは、1965年2月24日生まれの55歳。ユリアン・ナーゲルスマン(ライプツィヒ監督)のような30代前半の監督が出てくるドイツで、すでにふたりも孫がいるフリックは、かなりの遅咲きと言える。

 06年ドイツW杯後に、ドイツ代表ヨアヒム・レーヴ監督のアシスタントコーチに就任し、14年のブラジルW杯優勝につながるまでの道のりは華々しい。だが、そこに辿り着くまでは順風満帆とは言えなかった。

 U-18ドイツ代表選手のひとりだったフリックは、当時3部のザントハウゼンで3シーズンを過ごしたあと、20歳からバイエルンで5シーズン(1985-90年)プレーし、104試合に出場。絶対的な主力ではなかったものの、4度ドイツ王者に輝いている。90年の夏にケルンに移籍したが、ケガがつづいた。3シーズンでわずか44試合出場にとどまり、93年の夏に28歳で現役を退いた。

 引退後の94年から00年にかけては、スポーツ商店を営みながらドイツ南西部の小都市のクラブ、ヴィクトリア・バンメンタールでプレーイングマネージャーとして4部と5部を戦った。00-01シーズンには、当時4部にいたホッフェンハイムを3部に導き、05年まで監督を務めた。しかし、目標としていた2部昇格を果たせずに05年の11月に解任。翌シーズンはレッドブル・ザルツブルク(オーストリア)でアシスタントコーチを務めることになった。

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 ザルツブルクでジョバンニ・トラパットーニ監督のアシスタントを務めていると、ドイツサッカー協会からの打診が入る。当時ザルツブルクで相談役を務めていた"皇帝"フランツ・ベッケンバウアーが、その仕事ぶりを見てドイツサッカー協会に推薦したのだ。

 欧州トップへ駆け上がる扉が開かれた。その後の活躍は、先に書いたとおりだ。

 セミプロチームの監督や自身で商売を営んだ経験は、フリックにとって大きな財産となっている。選手やスタッフたちを"人間"として理解するうえで、豊富な人生経験が現在の人心掌握につながっているのだ。

「自分が出会うすべての選手、すべての人々に対して、リスペクトを持って接することを心がけている。私自身も、そう接してほしいと望むようにね。その人の価値を認めること、コミュニケーションが重要なんだ。これらが、私の仕事のなかで重要な要素のひとつだった」とフリックは語る。そして、自身の仕事にとって"成功の鍵"を明かした。

「私がドイツサッカー連盟でスポーツディレクターを務めていた時(14-17年)、コースを履修する監督たちや指導員たちの間の雰囲気がいいかどうか、注意して観察していた。そして、私たちがお互いに好ましい時間を共に過ごし、信頼しあうことにも注意を払った。これらが成功の基盤となるものだからね」

 自分を前面に押し出すことなく、普段から作業を共にする"チーム"を強調する。CL優勝という最高の瞬間に、苦楽を共にしたコーチングスタッフたちと写真に収まるフリックの姿は、今季のバイエルンの成功を象徴していた。