追憶の欧州スタジアム紀行(21)連載一覧>>エスタディオ・ジョゼ・アルバラーデ(リスボン)「今季のバイエルンが強い理由」…
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エスタディオ・ジョゼ・アルバラーデ(リスボン)
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コロナの影響を受けた2019-20シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)は、準々決勝以降を90分1本勝負で争う短期集中方式で、リスボンの2つのスタジアム、ダ・ルスとジョゼ・アルバラーデを舞台に開催された。
この連載の10回目で紹介したベンフィカのホーム、ダ・ルス同様、スポルティングの本拠地ジョゼ・アルバラーデも、ユーロ2004ポルトガル大会のために建設されたスタジアムである。
ユーロ2004では、その組み合わせ抽選会が終わると、現地ポルトガルは大いに盛り上がった。開催国ポルトガルと隣国スペインが同じ組になったからだ。ポルトガル、スペイン両国は、歴史的に敵対してきた間柄。併合された時期もあるポルトガルにとって、スペインは憎き相手だった。
両国はこの大会の招致活動を巡ってもライバル関係にあった。ポルトガルが、スペイン有利と言われる中で招致レースを制した理由は、スペイン側の油断にあった。ポルトガルを見下し、負けるはずがないと余裕をかましていた。過去に侵略された小国の方が、相手への対抗心は強いものだ。
加えて、この頃のスペインは、代表チームへの関心がいま以上に低かった。国民に代表チームを応援する習慣が浸透していなかった。ポルトガルのほうが、代表チームにナショナリズムを投影できる環境が整っていた。
2000年6月20日、19時45分。ポルトガル対スペインはキックオフとなった--。

今季のチャンピオンズリーグで、準決勝バイエルン対リヨンなどが行なわれたエスタディオ・ジョゼ・アルバラーデ
舞台はジョゼ・アルバラーデ。筆者の知る限り、鉄道駅から世界で2番目に近いスタジアムだ。1番はどこかといえば、ポルトのドラゴン。地下鉄駅の改札を出て、階段を上がれば、スタジアムに入ったも同然の場所に出る。
ジョゼ・アルバラーデは少し歩く。といっても、距離にして100メートル弱。地下鉄黄色線(別名ひまわり線)と緑線(カラベル線)の乗換駅であるカンポ・グランデ駅を降りた目の前にスタジアムは立っている。リスボン市内のどの地下鉄駅から乗車しても30分以内でスタジアムに到着可能な、絶好の立地にある。
カンポ・グランデ駅前では、試合前、ポルトガルサポーターとスペインサポーターが入り乱れるように、互いにシュプレヒコールを挙げていた。赤と緑のポルトガルに対し、スペインは赤と黄色。識別しにくい配色であることも混乱に拍車が掛かる原因だった。
両者がいがみ合っている場所はないか。デジカメを手に群衆の中に割って入った。そして対峙する最前線に辿り着くや、必死にシャッターを押した。カメラマンというわけでもないのに。
サッカー観戦における最先端の現場とはこの場所を指す。だが殺気はほぼゼロだった。喧嘩腰で相手に向かっていく人はいない。それぞれは、タオルマフラーをかざしながら笑顔で向き合っていた。拍子抜けするぐらい平和的な空気に包まれていた。
相手に対し、腹に一物を抱えている量が多いのはポルトガルの方だ。しかし彼らは好戦的ではない。「南米に進出した際に、スペイン人が現地で殺戮をくり返したのに対し、ポルトガル人は問題を平和的に解決しようとした」。ポルトガル人と話をすると、そこのところを必ず強調する。
「スペイン人は憎たらしい存在ですが、ユーロ2004ではお客さんです。それはそれ、これはこれと割り切ってもてなすのがポルトガル人の嗜みだと思います」とは、入ったレストランのご主人の言葉だ。
ポルトガルは、ここまで2戦して1勝1敗(勝ち点3)。スペインは1勝1分(勝ち点4)。ギリシャ(1勝1分)と三つ巴の関係になっていた。この試合に敗れた方は、グループリーグ落ちする可能性が高かった。
ジョゼ・アルバラーデの収容人員は5万95人で、当日の観衆は4万7491人だった。
設計を担当したのはトーマス・タベイラさん。このユーロ2004では、このジョゼ・アルバラーデの他に、レイリアのマガリャエス・ベッソアと、アベイロのムニシパル・デ・アベイロの計3つのスタジアムの設計を担当した、高名な建築家だ。
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話をうかがおうと、スタジアム完成後、ダメもとでその事務所を訪ねたが、案の定、超多忙につき面会は叶わなかった。だが親切にも、こちらが書面で送ったいくつかの質問には丁寧に答えてくれた。
この3つのスタジアムに共通して言えることは、色遣いのカラフルさだ。文面には「フリーデザイン」という言葉で紹介されていた。ジョゼ・アルバラーデの、スポルティングのチームカラーを基調に各色を随所に散りばめた座席シートはまさにフリーデザインそのもので、おもちゃの国を訪れたような、童心をくすぐられる楽しげな感覚に襲われる。
タベイラさんはスタジアムのコンセプトを「FEC」と記していた。ファミリー・エンターテインメント・センターの略である。ショッピングセンター、シネマコンプレックス、ボウリング場、レストラン、スポーツバー、ファンショップ、スポーツショップ、ゲームセンターなど、さまざまな店舗及び娯楽施設が、スタジアム内に併設されている。
さらに言うならトイレだ。藍色をした「アズレージョ」というポルトガル名産のタイルが壁の全面に施されていて、美しくも上品なのだ。トイレというあまり触れたくない場所が、FECのコンセプトを地で行く洒落た場所になっている。
しかもスタジアムの場所は駅の目の前。アクセスも抜群だ。試合がない日でも、スタジアムには人が頻繁に出入りしている。スポルティングがアウェー戦を行なったある週末も、スタジアム内のスポーツバー周辺はファンの姿で溢れていた。各所に設置された大型テレビに、試合の模様が映し出されていて、ファンはその模様を見守っていた。
ユーロ2004で大会実行委員長を務めるアントニオ・ラランジョさんに話をうかがう機会に恵まれたので、そのコンセプトを讃えると、こう返してきた。
「従来のスタジアムは、使用するのはホーム戦が行なわれる2週間に1回程度。利用価値のない日が多いことが最大の欠点でしたが、それが常識とされていました。周囲に圧倒的なインパクトを与える一方で、使用頻度は低い。巨大なコンクリートの塊と化していました。
それを覆そうとしたのが、ユーロ2004というプロジェクトの最大の狙いです。単にサッカーの試合を行なう施設ではなく、家族が集う場所であり、市民が集う場所です。スタジアムを、安全性が可能な限り担保されたレジャー施設と捉え、皆がいつでも自由にやってこられる、温かみのある空間にしようと考えたのです」
そして、「私は2002年のW杯を視察に行ってきました。日本で気に入ったスタジアムはありましたが、強いて言えば、そこが日本のスタジアムに欠けている点ではないでしょうか」とも。
ジョゼ・アルバラーデの広報担当者の案内付きで見学したスタジアム内部がまたすばらしかった。ホールの扉を開けた瞬間に圧倒された。そこはまさに5つ星ホテルのフロントで、背後に広がる開放感溢れるスペースは、ホテルのロビーというよりも、高級ラウンジカフェを連想させる快適空間だ。エレベーターで上がった7階のレストランしかり。それがサッカースタジアムの内部施設であることを忘れさせる別世界が広がっていた。
それだけに、窓越しに望むカラフルなスタンドは、よく映えた。その時、観客はゼロ。だが、寂しさもゼロ。グリーンを基調とした空の座席シートは、こちらの気持ちをハッピーで平和な気分にさせるのだった。
それでいて、もちろん客席は急傾斜。サッカーを観戦するための最高の視角が用意されている。試合がつまらなくても、損は一切感じない夢空間である。まさにタベイラさんの設計者としての才能が偲ばれる光景が広がっていた。
ラランジョ大会実行委員長は、最後にこう言って胸を張った。
「10年、15年経った後も、ユーロ2004は未来を視野に入れた偉大なプロジェクトだったと評価される自信があります」
その16年後の現在、ダ・ルスとジョゼ・アルバラーデの両スタジアムは、このウィズコロナの時代においてCLの準々決勝以降を集中開催した。ラランジョさんはもとより、ポルトガル国民にとって十分、胸を張ることができる事例ではないだろうか。
16年前のジョゼ・アルバラーデに話を戻せば、ポルトガルは後半12分、ヌーノ・ゴメスの振り向きざまのシュートが決まり、スペインに1-0で勝利した。その結果、優勝候補にも推されていたスペインはグループリーグ敗退の憂き目に遭う。片やポルトガルは準優勝。決勝でギリシャに敗れ、優勝は逃したものの、大会は成功裏に幕を閉じた。
さらにスペイン勢は、16年後もこの地で早々と敗れることになった。レアル・マドリード、バルセロナ、アトレティコ・マドリードは揃ってCLでベスト4に残ることなく敗退した。
UEFAリーグランキングで現在、首位を行くスペインだが、イングランドに急接近され、来季早々にも逆転を許しそうなピンチに陥っている。ポルトガルは、その昔、スペインに侵攻されるとたびたび加勢に駆けつけたくれた友好国イングランドをアシストする役目も果たしている。