1年ぶりの甲子園を黒澤孟朗(たろう)は骨の髄まで味わおうとしていた。「初めて来た時は甲子園の雰囲気に圧倒されて、のまれ…
1年ぶりの甲子園を黒澤孟朗(たろう)は骨の髄まで味わおうとしていた。
「初めて来た時は甲子園の雰囲気に圧倒されて、のまれて......。時間がすぐに過ぎていって、あっという間に終わってしまいました。でも、今日は甲子園をしっかり感じられて、楽しかったです」

磐城戦で待望の甲子園初安打を放った国士舘の4番・黒澤孟朗
黒澤は国士舘(東京)の主砲として、2年連続で春の選抜高校野球大会(センバツ)の出場権を得ていた。しかし、1年前のセンバツは黒澤にとって苦い記憶になっていた。
「去年は左足をテーピングで固めて、まるで自分の足じゃないみたいでしたから」
国士舘では毎年1月に「武道大会」という恒例行事がある。武道をアイデンティティーにしている国士舘という学校にとって、大事なイベントである。だが、昨年の武道大会で悲劇は起きた。
柔道で野球部員が2名、しかも4番打者とリリーフエースが骨折の重傷を負ってしまったのである。
とくに4番打者の黒澤が寒稽古中に負ったケガは重かった。左足首の脱臼骨折、靭帯損傷で全治3カ月。救急車で運ばれた黒澤のセンバツ出場は絶望的と思われた。
だが、手術後も車椅子に座ってバットを振るなど、甲子園出場に執念を燃やした黒澤は驚異的な回復を見せる。
なんとかセンバツには間に合ったものの、本来の力は出し切れなかった。明石商(兵庫)に1対7で完敗。4番先発で出場した黒澤は3打数無安打で、7回の守備から大事をとってベンチに下がっている。
当時の試合後、黒澤はこう語っている。
「自分の実力のなさで、結果が出ませんでした」
不完全燃焼に終わった、甲子園の借りを返す。それが黒澤にとって大きなモチベーションになっていた。
国士舘は昨秋の東京都大会で連覇し、2年連続でセンバツの出場権を得る。「鬼門」になっていた武道大会は、黒澤は柔道から剣道に変更する。柔道自体に罪はなく、安全に楽しんでいる人もたくさんいる。それでも、同じ轍を踏むわけにはいかず、ケガのリスクを少しでも減らしたかった。
また、武道大会は今年から対戦形式ではなく、お互いに技の型を見せ合い、教員が型の良し悪しを判定する形式に変更になった。「ガチンコで勝負することを楽しみにしている人もいたので......」と黒澤はすまなさそうに語った。
だが、待ちに待ったセンバツは新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて中止に。5月には夏の甲子園の中止も発表された。黒澤は落胆しつつも、「甲子園はあきらめて、大学で頑張ろう」と気持ちを切り替え、木製バットでの練習を始めた。
その後、センバツ出場権を得た高校への救済措置として2020年甲子園交流試合の開催が決定したことで、黒澤は再び金属バットに持ち替えて練習するようになる。
磐城(福島)との交流試合が始まり、黒澤が甲子園のバッターボックスに入ってすぐ「異変」に気づいた人は多かったかもしれない。黒澤の構えが大きく変わっていたからだ。
「小さなボンズ」の異名をとる黒澤は特殊なバッティングスタイルの打者としても知られている。打席でしゃがみ込むくらいに重心を低くして構え、下から角度をつけるようにして、バットを振り上げる。身長168センチ、体重72キロの小兵とは思えない豪快なスイングを見せていた。
だが、甲子園での黒澤はヒザを深く折り曲げることもなく、重心を高くして構えていた。今までの変則な構えではなく、「普通」寄りの構えである。
試合後、黒澤は「木製バットを振り過ぎてバランスを崩したので、試行錯誤して臨みました」と明かした。
黒澤は独特な感性を持った打者だ。チームメイトが黒澤の打撃論を尋ねても、核心部分になると口をつぐんでしまうという。黒澤は「これだけは、という自分だけのものがあるので」とこだわりを口にする。
国士舘の永田昌弘監督は、黒澤についてこう語っていたことがある。
「僕は、バッティングは天性だと思っているので、あまりうるさく言わないようにしているんです。彼のバッティングは本人とお父さんが一緒につくり上げてきたバッティングです。壁に当たって本人が聞いてきたらアドバイスはしますが、なるべくいじらないようにしています」
息子のために石川県から東京に移住して一緒に暮らす、父・精一さんと二人三脚でつくり上げたこだわりの打法だった。
それだけに、打撃フォームを変更したことは意外に思えた。だが、黒澤はこともなげにこう言った。
「今までも小学校、中学校の頃には試合中に変えることもありましたし、自分にとってはとくにおかしなことではなかったので」
今夏の西東京独自大会の初戦までは、従来の低重心打法で打っていた。そこで結果が出なかったため、黒澤はてこ入れを決断する。
重心が低いと、バットが出てこない感覚があった。そのため重心を上げるとバットが出やすくなり、力みも抜けてタイミングもとりやすくなったという。
だが、これまで極端に低く構えていただけに、重心を上げると景色も変わり違和感があるのではないか。そう尋ねると、黒澤はこう答えた。
「最初は景色も変わりますけど、素振りで慣らして、(独自大会は)練習と試合が1日置きにあったので少しずつ微修正していきました。素振りは、振るときは2時間くらいずっと振って、フォームを固めていました」
甲子園では2打席凡退した後、6回裏の無死二塁のチャンスでは、三遊間を猛烈なスピードで抜けていくヒットを放った。これが黒澤にとって念願の甲子園初ヒットだった。
「自分のスイングができたと思います。これまで、どうしても打てていなかったので、ヒットが出てよかったです。いい思い出になりました」
続く5番・齋藤光瑠(ひかる)の犠牲フライが決勝点となり、国士舘は勝利を収める。黒澤が甲子園で放ったヒットは、この1本だけだった。
「いい結果は出なかったと思うんですけど、最後の試合を甲子園でやれているという実感はできました」
黒澤は晴れやかな表情でそう語った。今後は大学で野球を続ける予定だという。
1年前は味わえなかった甲子園の雰囲気と勝利は存分に堪能した。ドラマ性でもプレースタイルでも強烈なインパクトを残したスラッガーは、新たなステージへと一歩踏み出そうとしている。