クリスティアーノ・ロナウドは2006年ドイツW杯で、マンチェスター・ユナイテッドでチームメイトだったウェイン・ルーニーと喧嘩したことで、バレンシアと契約する寸前だったようだ。8日(土)に『Mirror』が伝えている。 ポルトガル代表とイング…
クリスティアーノ・ロナウドは2006年ドイツW杯で、マンチェスター・ユナイテッドでチームメイトだったウェイン・ルーニーと喧嘩したことで、バレンシアと契約する寸前だったようだ。8日(土)に『Mirror』が伝えている。
ポルトガル代表とイングランド代表が激突した試合で物議を醸したのは後半16分のプレーだ。ルーニーがDFリカルド・カルバーニョの股間を踏みつけ、1発退場。この場面で退場をアピールしていたロナウドはベンチに向かってウインクしていたのだ。
もちろん、ロナウドは最終的にスペインに移籍したが、2009年にレアル・マドリーへの移籍するまで、ユナイテッドで3シーズンを過ごしていた。
しかし、ルーニーとのトラブルの後、ロナウドのプレミアリーグでの時間は早々に終わりを迎えようとしているように見えた。問題があった試合の翌月、ロナウドはオールド・トラフッォードには居られず、スペインへの移籍を検討していると語った。
そしてバレンシアは5回、バロンドールを受賞することになるスーパースターが加入しそうになった経緯を語っている。「彼を獲得するための資金を用意していたんだ。彼のスポンサーであるナイキとコカ・コーラとの契約を結ぼうとしていたよ」と元バレンシアのSDカルボニは『Il Posticipo』に語った。
「当時、ロナウドはすでに年間1,000万(約12億5,000万円)を稼いでおり、バレンシアのようなクラブにしては高額だった」
カルボニは、ロナウドの代理人であるジュルジュ・メンデスが署名した書類を手にしたと言い、「ロナウドとの間には何も欠けているものはなかった。ロナウドと彼の代理人、そして私の間には何の問題もなかった。しかし、契約は実現しなかった」と付け加えた。
2006年7月のロナウドのコメントは、自身がスペインへ移籍したいことを示唆している。「私はマンチェスターを出るべきだと思った。マンチェスターでプレーし続けるのは状況が悪い。2日か3日後には、どこに行くかを決めるだろう。私はいつもスペインでプレーしたいと言っていた」