相撲界が一丸となって新型コロナウイルス感染対策に取り組むなか、キャバクラ通いがバレてしまった東前頭5枚目阿炎(あび=26歳)。大相撲7月場所中に休場となったが、以前も不謹慎動画をアップするなど問題行動が多い。  見かねた日本相撲…

 相撲界が一丸となって新型コロナウイルス感染対策に取り組むなか、キャバクラ通いがバレてしまった東前頭5枚目阿炎(あび=26歳)。大相撲7月場所中に休場となったが、以前も不謹慎動画をアップするなど問題行動が多い。


 見かねた日本相撲協会の芝田山広報部長(元横綱・大乃国)が「何回もやらかして。俺らの時代は北尾(元横綱・双羽黒)が新人類と呼ばれたけど、阿炎は超新人類だね」と皮肉をこめて言った。

 引き合いに出した北尾光司さんは大相撲、プロレス、格闘技などで活躍し、2019年に55歳の若さで帰らぬ人となった。その生き様は波瀾(はらん)万丈だった。

 1979年に立浪部屋の力士として初土俵を踏んだ。同期には横綱・北勝海(現相撲協会理事長、八角親方)、大関小錦(タレント・KONISHIKI)らがおり、昭和38年生まれから「花のサンパチ組」と呼ばれた。

 2メートルと恵まれた体格を生かしたスケールの大きな相撲で、86年に22歳の若さで横綱に昇進。しこ名を北尾から双羽黒に改名した。千代の富士の後継と期待されたが、稽古嫌いで精神面のもろさを露呈。横綱在位わずか8場所で角界を去ることになる。

 原因は立浪親方(元関脇・安念山)との確執だった。87年12月、部屋で言い合いになり、大げんか。仲裁に入ったおかみさんを突き飛ばし、部屋から脱走。そのまま追放同然の「廃業」となったといわれている(本人は経緯を否定)。

 幕内優勝がないまま昇進しただけに「仮免横綱」と冷やかされたことも。以降、横綱昇進には2場所連続優勝(それに準ずる成績)の厳しい条件が課せられることになった。日本人横綱がなかなか誕生しなくなった一因ともいえる。

 廃業後はプロレスに転向。試合中に「八百長やりやがって」とファンの前で〝禁句〟を連発し、プロレス界からも追放される身となった。今となっては懐かしいが、トラブルのエピソードには事欠かず、ある意味で伝説的に語り継がれる存在だった。

 話を元に戻すと、芝田山親方の「超新人類」発言は、阿炎の将来を憂慮してのものだろう。歴史に学ぶかどうかは…本人次第だ。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]