サッカー名将列伝第8回 テレ・サンターナ革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サ…

サッカー名将列伝
第8回 テレ・サンターナ

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回登場するのは、80年代のブラジル代表を率い、90年代にはサンパウロを指揮して、当時全盛だったバルセロナやミランを破ったテレ・サンターナ。世界中のサッカーファンが憧れた、美しいブラジルサッカーはどのようにしてつくられたのだろうか。

 左右非対称どころか、まるでパッチワークである。サンパウロはここまで崩れていないが、やはり左右は非対称だった。

 サンパウロはバルセロナと対戦した92年が4-2-3-1、翌年のミランとの対戦では4-2-2-2。4バックと2ボランチは共通だが、前4人の組み方が違っていて、さらに非対称である。

 92年はセンターフォワード(CF)にパリーニャ、トップ下にライー、右にカフー、左がミューレル。右のカフーは攻守に大きく上下動するが、左のミューレルはトップに残る。93年はパリーニャとミューレルの2トップだが、2人のポジションは前年とほとんど同じ。攻撃的MFは左のレオナルドがサイドから中央へかけて動き、右のジーニョは右ウイング兼任。さらに右SBになっていたカフーもあがってくる。

 選手の特徴に合わせた結果としての非対称なのだろうが、実はブラジルのフォーメーションそのものが、もともと非対称なのだ。

<美しい人柄が生む美しいサッカー>

 左右非対称型の元祖は58年スウェーデンW杯で初優勝したブラジル代表だ。4-2-4として有名になったこのチームが、左右非対称だった。左ウイングのマリオ・ザガロがMFとの兼任だったので、4-2.5-3.5とも呼ばれた。CFにババ、少し引いたところにペレ、右ウイングにガリンシャという前線の構成である。

 70年メキシコW杯優勝のブラジル代表は4-3-3と言われたが、実体は58年の4-2-4と同じ。ザガロの役割がロベルト・リベリーノ(MFの3に入っている)になっただけ。ガリンシャがジャイルジーニョになり、CFはババからトスタンに。ペレはそのままだった。

 どちらも今風に表記すれば4-2-3-1に近い。サンパウロはウイングがセレソンと逆の左だが、反対の右サイドは大きく動くワーキングウインガーを置く非対称だ。ボランチのひとりがプレーメーカー型というのも同じで、サンパウロではトニーニョ・セレーゾが務めていた。さらにCFのパリーニャは技巧派の「偽9番」なのだが、これは70年セレソンのトスタンと同じだ。

 伝統的な型を踏襲しているとはいえ、選手の特徴を生かすための非対称はテレ・サンターナ監督らしい。いずれも攻撃的で美しいサッカーを志向していた。

 サンパウロ時代は5年間、練習場に住み込んでいる。その勤勉な姿勢とともに、規律に厳しい監督でもあったが、誠実で真っ直ぐな人柄と公平な態度は誰からも慕われ、信頼されていた。何より、選手が喜びを感じてプレーし、ファンを楽しませるチームをつくろうとする姿勢と手腕に定評があった。敗北のリスクを恐れず、その信念を貫き通した。

 結局のところテレ・サンターナのチームが美しかったのは、彼自身が美しい人柄だったからだろう。たんなる戦術家や優れたモチベーターの枠を超え、つくり物ではない人間力、選手と観衆のためのサッカーという信念の真っ当さ、美しいサッカーを尊ぶ純粋さ――それが魅力的なチームを生み出した源泉であると思う。

「82年W杯は、優勝したイタリアではなく、ブラジルなら11人の選手の名を言えるという人が多いのではないか」

 クライフはそう言っていたそうだ。

テレ・サンターナ
Tele Santana da Silva/1931年6月26日生まれ。ブラジル・ミナスジェライス州イタビリート出身。現役時代は50年代にフルミネンセの右ウイングで活躍。引退後は同チームのユースチームから指導を始めてトップの監督に昇格。以降、フルミネンセ、アトレチコ・ミネイロ、グレミオ、パルメイラスで州選手権制覇の手腕を発揮する。82年、86年両W杯のブラジル代表監督を務め、92年、93年はサンパウロでトヨタカップを連覇した。06年4月21日に逝去