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高校野球を取材していると、時にユニークな感性の選手に出会える喜びがある。萩原哲という捕手もそのひとりだった。
4年前の夏の甲子園。日南学園(宮崎)対八王子(西東京)の試合後の囲み取材で、勝利した日南学園の捕手・萩原がこんなコメントをした。
「森山(弦暉)はゲームのコントローラーみたいに要求どおりボールが来るので、リードしていて楽しいです」

強肩・強打の捕手としてドラフト候補に名を連ねる創価大・萩原哲
エースの森山に対するコメントだったが、少し興味を引く言い回しだったため、重ねて質問してみた。「もしかして、実際にゲームでシミュレーションしたこともあるのですか?」。すると、萩原はにっこり笑ってこう答えた。
「はい。時間ができたら寮でゲームをしてるので。寮はテレビも携帯(電話)も禁止なんですけど、PSP(プレーステーションポータブル)は大丈夫なんです。パワプロ(実況パワフルプロ野球)やプロスピ(プロ野球スピリッツ)で、試合を想定しながらゲームしています」
甲子園でこんな庶民的な話題が出ること自体が妙におかしく、しばらく萩原とゲームの話題で盛り上がった。
当時の日南学園のエース左腕・森山は身長160センチと小柄で、ストレートの球速は120キロ台。だが、コントロールは抜群にいい投手だった。
萩原はゲームの選手育成モードで森山をはじめチームメイトを忠実に再現し、「バーチャル日南学園」を作成。ゲームを通じて実際の試合のシミュレーションをしているという。なお、森山のコントロール能力は最上級レベルの”S”に設定していた。
「球速も120キロくらいに再現してやっています。大阪桐蔭もゲームではボコボコにしていますよ」
萩原はそう言って笑った。
なお、萩原が武器にする肩はどんなレベルに設定しているのか聞くと、萩原は胸を張ってこう答えた。
「”S”です。ここだけは譲れません」
あれから4年の時が経った。創価大に進学した萩原は4年生になり、今秋のドラフト候補に浮上している。
現在も野球ゲームを楽しんでいるかと尋ねると、萩原は笑いながら否定した。
「今はほとんどやっていません。大学に入ってから、下級生の頃は先輩についていくので必死でしたし、今はキャプテンとしてみんなを引っ張るので精いっぱいです」
野球に打ち込むうちに、萩原は確かな実力を身につけた。現段階でドラフト候補として騒がれていないのが不思議に思えるほど、捕手としての能力は高い。とくにスローイングはプロでもすぐに通用するだろう。
だが、萩原は「自分はまだ実績を残せていないので」と謙虚に自身を見つめる。そして「勝てる捕手として、チームが勝つことで評価されたい」と語るのだった。
勝てる捕手──。捕手なら誰もが口にしそうなフレーズだが、萩原の思考は噛めば噛むほど味が出てくる。原点は高校時代の意外な体験にある。
京都府から宮崎県の日南学園に進学した萩原は、金川豪一郎監督の勧めもあって内野手から捕手に転向する。だが、高校1年時は右ヒジの剥離骨折や腰椎分離症と故障が相次ぎ、丸1年を棒に振ってしまった。
「宮崎まで何しに来たんやろ……」
意気消沈する萩原だったが、このリハビリ期間が捕手としての転機になる。
ライバル校の偵察を任されるようになった萩原は、バックネット裏で試合を見ることが多くなった。そこで、バックネット裏に陣取る熱心な高校野球マニアを目の当たりにする。
「この人たち、鋭いことを言うなぁ」
スタンドで無責任に戦略を語り合う野球ファンの言葉が、意外と的を射ているように感じたのだ。萩原は当時を振り返る。
「言うことが結構ピンポイントで当たるんです。実際にグラウンドで戦っていると、試合に集中しすぎて冷静に考える余裕がないんですけど、ファンの人は冷静に野球を見ているんだなと思いました」
それ以来、萩原は捕手としての自分のスタンスを固める。
「試合に入り込む自分と、バックネット裏のファンのように客観的に試合を見る自分。2つの自分を持つようにしました」
故障が癒えた2年春、萩原はいきなりレギュラー捕手に抜擢される。実戦で「2つの自分」を意識すると、面白いように試合に勝てた。
「捕手は試合で一番ボールに触れて、試合を支配できる。その感覚がたまりませんでした。こんなに野球が楽しめるポジションだったんだなと」
投手であれば、「入り込みすぎていい」と萩原は考えている。だが、捕手は大局的な視野が必要になる。萩原は試合中に迷いを感じたときは、「バックネット裏の野球ファン」の視点を思い出し、冷静さを取り戻すことを心がけている。
3年時には甲子園に春夏連続出場を果たし、萩原はますます手応えを深めた。コントロールのいい森山をリードするのは、「楽しくてしょうがない」感覚があった。
大学に進学する際、創価大を選んだのは父・弘さんの母校ということ以上に、「投手育成に定評があるから」という理由があった。入学すると、1学年上に杉山晃基(現・ヤクルト)、小孫竜二(現・鷺宮製作所)、望月大希(現・日本ハム)という絶対的な三本柱がいた。
「150キロなんて初めて見ましたし、同じ右投手でも望月さんなんて真上から投げ下ろす角度があって、ほんと三者三様でした」
萩原は強豪大学で1年春から正捕手を担う。それ以来、心技体にレベルアップしていくのだが、とくに進境著しかったのはスローイングだ。
高校時代から、自分で「S」評価をつけるほど地肩の強さには自信があったものの、「強いだけで荒かった」と萩原は振り返る。岸雅司監督ら指導陣から「ゲームのなかで使える力をつけていきなさい」とアドバイスを受けた萩原は、キャッチボールから「投げる相手に届ける」意識で取り組むようになった。
昨秋の明治神宮大会への出場権をかけた横浜市長杯・白鴎大戦では、萩原は鮮烈な活躍を見せている。守備では大学屈指の快足ランナー・金子莉久(現・JR東日本)の盗塁を完璧に阻止し、打撃では本塁打を含む3安打6打点。だが、チームは敗れたためか、萩原の歯切れは悪い。
「あの試合は入り込みすぎてしまいました。だからこそ盗塁も刺せて、打てたのでしょうが、だからこそリードがうまくいかず、打たれてしまったのかもしれません」
最上級生になった今年、萩原はキャプテンとなり、進路を「プロ一本」と定めるドラフト候補にもなった。
「日本一になって、『勝てる捕手』として評価されてプロに行きたい」
そう萩原は意気込むが、三本柱の抜けた投手陣は総入れ替えになる。それでも萩原は「逆に捕手の腕の見せどころ」と力を込める。台頭してきた速球派左腕の鈴木勇斗(3年)ら、楽しみな素材は多い。それだけに、自分の差配次第では爆発的なチーム力になる自信があるからだ。
そんな萩原がインタビュー中、唯一苦い表情を見せたのが、昨冬の大学日本代表候補合宿のメンバーから漏れた件に触れたときだ。萩原は「ジェラシーでしかないです」と本音を明かす。選出された候補選手と比べても、自分が実力的に劣っているとはどうしても思えなかった。
だが、悔しさを押し殺して萩原はこう続けた。
「誰が見ても『こいつしかいない』という選手になれば、有無を言わさず選ばれると思います。でも、自分にはまだその力がありませんでした」
自分の力を証明するには、勝つしかない。コロナ禍のため春のリーグ戦は中止になり、あとは秋のリーグ戦が開催されることを信じて調整する日々を送っている。
2つの顔を持つ捕手・萩原哲が、その実力を存分に発揮できる舞台が整うことを願ってやまない。