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ガスプロム・アレーナ(サンクトペテルブルク)

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 2018年6月22日。観戦する試合はブラジル対コスタリカで、目指すは人口約540万人、ロシアで2番目に大きな都市、サンクトペテルブルク。スタジアムはガスプロム・アレーナだ。ロシアW杯グループリーグC組の一戦である。

 乗車したのは、早朝7時前後発の「サプサン号」。モスクワ・レニングラーツキー駅発のロシア式新幹線である。目指すは終点、サンクトペテルブルク・モスコフスー駅。

 モスクワからの距離は直線で650キロ。線路上にすると750キロになる。東京を始点とすれば岡山と広島の中間あたりか。所要時間は4時間。日本の新幹線といい勝負である。だが乗り心地、快適性では軍配はこちらに挙がる。

 サンクトペテルブルク・モスコフスキー駅に到着。町の風景がロシアの他の都市とは違う。ロシア的というよりヨーロッパ的。それも筆者が好きなタイプのヨーロッパ色である。初めての訪問なので、町を探索してみたくなったが、とりあえずスタジアムへ。地下道で繋がる地下鉄駅のマヤコフスカヤ駅まで歩き、そこから地下鉄3番線で約20分。スタジアム駅であるノボ・クレストフスカヤ駅に到着する。

 クレストフスカヤとはスタジアムがある島の名前だ。ガスプロム・アレーナはネーミングライツの名前で、クレストフスカヤ・スタジアムとも言われる。ロシアW杯では、スタジオン・サンクトペテルブルクで統一されていた。

 目の前に広がるのはフィンランド湾だ。とても泳ごうという気にはなれない、夏なのに見るからに冷たそうな、まさに北の海だ。フィンランドとの国境は100キロちょっと先。その首都であるヘルシンキとはほぼ同じ緯度にある。ここはロシアと言うよりもはや北欧である。なんとも言えない清涼な風が肌をくすぐる。遠くまでやってきたものだとつくづく思う。



ロシアW杯では準決勝フランス対ベルギー戦などが行なわれたガスプロム・アレーナ

 スタジアムもまた地下鉄駅の目の前にある。海に近い絶好のロケーション。足は軽やか。大股で早足になる。舞浜駅からディズニーランドを目指して歩くようなウキウキ感とでも言おうか。次第にその全景が眼前に迫ってくる。

 ウォー。同行者の間から思わず感嘆の声が上がった。iPhoneを取り出しパチパチとやる。撮らずにはいられないほどインパクト満点のスタジアムだ。

 故黒川紀章氏の設計だと聞かされたのは、メディアセンターに入ってからだった。黒川氏のスタジアムといえば、豊田スタジアムを想起するが、ガスプロム・アレーナはその何倍も斬新だ。潔さを感じさせる宇宙船のようなスタジアム。こちらが瞬間、想像したイメージは、まさにコンペに応募した作品名そのものだった。「The Spaceship」。これも後で知ったことだが、まさに超然とした、非日常性溢れるロケーションにピタリとハマるスタジアムである。

 コンペが行なわれたのは2007年。黒川氏が亡くなったのも2007年だ。このスタジアムは遺作になるが、ロシアW杯の開催が決まったのは2010年で、建設が難航したのか、6万4千余人収容の開閉式スタジアムが完成したのは、それから7年後の2017年だ。
 
 つまり、自ら設計したスタジアムが完成した姿も、W杯の会場として使用される姿も、すこぶる高い評価を得たことも、黒川氏は自らの目で確認できなかったことになる。どうにかしてお伝えする方法はないものか。大真面目に考えたくなるのであった。

 スタジアムは盛られた、少し高台になった土地の上に建っている。海抜0メートルでは浸水の可能性があるからだろう。したがってスタジアムに入場するためには、長い階段を昇らなければならない。メディア向けにはエレベーターが用意されていたが、筆者は足で踏みしめて昇った。眺めを堪能するために。振り返れば、フィンランド湾が一望できるのだ。

 豊田スタジアムは日本でも指折りの視角の鋭いスタジアムとして知られるが、このスタジアムも同様だったことは言うまでもない。

 大会9日目。観戦した試合数はこれが7試合目だった。モスクワから新幹線に乗り、サンクトペテルブルクを訪れ、この視角が急な天井開閉式スタジアムの座席シートに身を委ねると、出発前に抱いていたロシアW杯に対するネガティブなイメージが雲散霧消していることに気付かされた。

「アクセス、スタジアムとも文句なし。いまからでも遅くない。お金と時間に余裕がある人は、ロシアW杯へ!」なる原稿を、試合後、モスクワに戻る新幹線の車内で書いた記憶がある。

 キックオフは15時で試合終了は17時。その日のうちにモスクワに戻ることができた。帰りの新幹線は3時間半しか掛からなかった。

 再訪は7月10日。フランス対ベルギーの準決勝である。キックオフは21時。試合終了は深夜の11時だった。ライトアップされたガスプロム・アレーナは、変幻自在に幾色にも変化した。The Spaceshipそのものだった。見納めとばかり、フランスがベルギーを1-0で下し、決勝進出を決めた試合後、しばらくその全景を眺め、感傷に浸っていた。

 ロシアW杯も残された試合は、モスクワで行なわれる準決勝のもうひと試合、クロアチア対イングランドと決勝戦のみ。その時、決勝戦前日に行なわれる3位決定戦の観戦は考えていなかった。

 サンクトペテルブルク・モスコフスキー駅を午前2時30分に出発したサプサン号は、モスクワ・レニングラーツキー駅に早朝6時に到着。モスクワ行きの新幹線は、試合後だいたい30分間隔で終夜運行されていた。すばらしい。文句なし。ロシアW杯への評価が最高潮に達した瞬間である。

 翌日、モスクワのルジニキ・スタジアムで行なわれた準決勝第2試合。試合前メディアセンターに行くと、某カメラマンがノートパソコンの画面を眺めながらこう言った。

「3位決定戦、行きませんか?」

 こちらにはそのつもりはまったくなかった。W杯取材はこれが10回目だが、3位決定戦の観戦に出かけたのは、そのうちの半分ぐらいに過ぎない。W杯は五輪ではない。3位も4位も大差ない。翌日に控える決勝戦を前に遠出するのも面倒である。しかもロシアはデカい。ハナからその気がなかったので、試合がどこで行なわれるかさえ、頭になかった。

「行かないに決まってるじゃん」とつれなく返せば、「いまなら飛行機が安い値段で取れるんですよ」と食い下がってきた。

「どこでやるの?」

「サンクトペテルブルク!」

「よし、行こう!」

 というわけで、ガスプロム・アレーナへ3度目の訪問を果たしたのであった。ランニングハイならぬトラベリングハイにすっかり陥ることになった。サンクトペテルブルク、恐るべし。

 ガスプロム・アレーナは、UEFAから最高級の4つ星スタジアムにも認定され、2021-22シーズンのチャンピオンズリーグ決勝の舞台になることも決まっている。