オリンピック出場がサッカー人生に与えた影響第3回:2012年ロンドン五輪・永井謙佑(前編)後編はこちら>>本来であれ…

オリンピック出場がサッカー人生に与えた影響
第3回:2012年ロンドン五輪・永井謙佑(前編)

後編はこちら>>

本来であれば、2020年7月22日から8月9日の日程で開催される予定だった東京五輪。新型コロナウイルスの感染拡大の影響によって、1年後に延期されることになったが、サッカー選手にとって、五輪とはどういう舞台になるのだろうか。また、五輪はその後のサッカー人生にどんな影響をもたらすのか。第3回は、2012年ロンドン五輪に出場した永井謙佑に話を聞いた――。

「あのゴールはGKより先に触れると思ったけれど、ピッチが硬かったので、シュートが途中でバウンドした時にゴールを外れてしまうのではないかと心配しました。清武選手のパスは絶妙でした。パスを出す瞬間、顔を上げるんです。ボールが来るなと思って走ったらポンと出てくる。

 僕の場合、スペースにアバウトにパスを出してもらったほうがいいです。清武選手はそれを理解してくれていて、ほかの選手よりもひとつ奥の場所にパスを出してくれる。それで僕の次のプレーは楽になります。相手の懐深くに入れる回数が増えるのでチャンスになるし、そこでファウルをもらえば相手に警告が出ることもあるので」

 モロッコに1-0で勝利した日本は、3戦目のホンジュラス相手には主力を温存して0-0のドロー。グループリーグを首位で通過し、準々決勝でエジプトと対戦することになった。

 そのエジプト戦も、日本は安定した戦いで3-0の完封勝利を挙げ、68年メキシコ五輪以来、44年ぶりの準決勝進出を決めた。

 永井はエジプト戦でも先制点を挙げて、勝利に貢献した。しかし、ゴール直後に相手のラフプレーでモモ裏を打撲し、途中交代を余儀なくされた。

「あれは、サッカー人生でいちばん痛い太ももの打撲でした。100kg近い選手に後ろから思いきりやられましたからね。ゴールを決めた瞬間、喜びたかったですが、痛すぎて喜べなかった(苦笑)。シュートを打ったあとに来たので、狙われていましたね。カードが出るかなと思ったけれど、出なくて。

 僕は、まだ行けるかなと思ったけれど、途中からヒザが曲がらなくなったので交代させてもらいました。その後、大津(祐樹)選手と吉田麻也選手が決めてくれたので、ロッカールームでアイシングをしながらゆっくり試合を見ていました」

 永井のモモ裏の負傷は、かなり重かった。実際、次の準決勝メキシコ戦前日まで出場の目処が立なかった。しかし、永井は治療に専念するなか、チームに大きな変化が生じているのを感じていたという。

「スペイン戦からエジプト戦まで勝ってきたけれど、自信ってすごいなと思いました。みんな伸び伸びとプレーし、試合を楽しんでいた。そういうムードになったのは、やはりスペインに勝ったのが大きかったですね。いちばん大事な試合で、自分たちのやり方がハマって勝てた。その自信が試合に勝つごとに大きくなって、エジプト戦は負ける気がしなかった。そのくらい、みんな強くなっていたんです」

 チームには勢いがあり、選手たちは自信に満ちていた。たしかに、グループリーグ3試合、そして準々決勝の1試合で失点はゼロ。堅守速攻型のスタイルがハマり、現地での評判も高く、いつしかメダル候補とまで言われるようになった。

「ここまで来たら、メダルやぞ!って、みんな気持ちがひとつになっていた」

 永井は、太モモの痛みを抱えながら、準決勝のメキシコ戦に出る覚悟でいた。
(つづく)

永井謙佑
ながい・けんすけ/1989年3月5日生まれ、広島県出身。FC東京所属のFW。ロンドン五輪時のU-23日本代表のFWとして活躍。日本代表国際Aマッチ12試合出場3得点。九州国際大付属高→福岡大→名古屋グランパス→スタンダール・リエージュ(ベルギー)→名古屋グランパス→FC東京