バックネット裏の空席を見ては、ため息が止まらなかった。──こんなにすばらしい投手が、スカウトがひとりもいない球場で投げるなんて。 7月19日、J:COMスタジアム土浦での茨城県独自大会に、常総学院が初登場した。大会前から注目選手に挙がって…

 バックネット裏の空席を見ては、ため息が止まらなかった。

──こんなにすばらしい投手が、スカウトがひとりもいない球場で投げるなんて。

 7月19日、J:COMスタジアム土浦での茨城県独自大会に、常総学院が初登場した。大会前から注目選手に挙がっていた一條力真(りきま)、菊地竜雅(りゅうが)はともにマウンドに立ち、一條は最速148キロ、菊地は最速152キロをマークした。ともに自己最速を2キロ更新する、目の覚める投球だった。

 だが、スタンドにはNPBスカウトはひとりもいなかった。なぜなら、一條も菊地もすでに大学に進学することが内定しており、プロ志望届を提出しない予定だからだ。



茨城の独自大会で自己最速となる148キロをマークした常総学院・一條力真

 大学に進学すること自体を否定するわけではない。プロという厳しく、保障の利かない世界にいきなり飛び込むより、大学でさまざまなことを学びながら力を養成したほうがいい選手もいる。プロ野球に限らず、これまで数々のすばらしい人材が大学球界から巣立ってきた。

 とはいえ、施設や環境はプロとアマチュアでは当然ながら差がある。また、一條に関しては将来性も高く、プロ志望届を出せばドラフト上位候補になったはずだ。

一條も菊地も将来的にプロに進みたい意向を示しているが、このレベルの選手がプロ志望届を提出しないところに今年のコロナ禍の影響を感じずにはいられない。

 一條は身長189センチ、体重82キロの長身右腕で、今年に入って急成長を見せていた。昨秋の時点では体重が75キロでいかにも細身に見え、球速は常時130キロ台で力強さもなかった。

 昨秋の関東大会では、健大高崎戦で先発して好投するも、疲労のたまった最終回につかまり逆転負けを喫している。

 だが、その時点でも底知れない資質の一端は見せていた。バランスがよく、腕を柔らかく使う投球フォーム、精度は低いながらもスピンの効いた好球質のストレート、変化球をうまく扱える器用さ。高校野球の世界では「一冬越えたら楽しみ」という常套句があるが、一條は大化けが期待できる典型的な選手だった。



自己最速の152キロをマークした常総学院・菊地竜雅

 一方の菊地は、身長182センチ、体重89キロのパワーピッチャー。育成力に定評のある取手シニア時代から有望視された投手だった。高校入学時点で130キロも出なかった一條に対して、菊地は137キロを計測。そのスピードはぐんぐん伸び、高校2年夏には早くも150キロに到達する。

 中学時代の恩師である石崎学監督から「ペドロ・マルティネス(元レッドソックス他)を参考にしなさい」とアドバイスを受け、往年の大投手仕様のスリークォーターから剛球を投げ込む。さらに自信を持つシンカーなど、実戦で使える変化球を数多くマスターしている。昨秋は右肩の不安があり、一條に出番を譲ったが、その馬力は超高校級だろう。

 冬が明け、実りの春を迎えるはずのタイミングでコロナ禍に見舞われた。常総学院の野球部は全国一斉休校要請や緊急事態宣言に合わせて解散と集合を繰り返し、慌ただしく不安な日々を送った。

 春の県大会が中止になり、5月には夏の甲子園の中止も決まった。そして一條と菊地は悩んだ末、進路を「大学進学」に定める。常総学院の佐々木力監督(※)は「親御さんを交えて3~4回は面談をしました」と明かす。
※現在、佐々木監督は退任し、コーチの島田直也氏が監督に就任した

「2人とも私が指導してきたなかでは最高の素材です。一條は60キロで高校に入ってきて、『大谷翔平(エンゼルス)は85キロで高校を卒業したんだ』という話をして、体重が増えて見事にスピードとキレが変わってきました。菊地はU−18代表候補にも入っていて、春の代表合宿(中止)にも参加するはずでした。152キロが出ましたが、まだまだ伸びしろがあります。2人とも私は高校からプロに行けると思うんですけど、無理やり行かせようとは思いません」

 佐々木監督の高評価とは裏腹に、本人たちは3年間の高校生活のなかで確固たる自信が得られなかったようだ。一條は言う。

「中学の軟式野球部から高校に入って、まだまだ勉強が足りないと感じています。一人でやっていける力を持てたらいいなと思って、大学に行くことに決めました」

 また、なるべく早く来年度の推薦枠を埋めたい大学側の事情もある。有望な高校球児はプロに行くか、大学に行くかを早めに決断しなければならない。

 もし、春の県大会が開かれていれば、状況が異なっていた可能性は高い。それは佐々木監督も認めている。

「2人とも2月の三者面談で『プロに行きたい』という希望を聞いていました。春から夏にかけて関東大会への出場を決めてハートを鍛えていければ、高いレベルの力を発揮できるだろうと思っていましたし、プロ志望届を出していたでしょうね」

 もちろん、春の大会が中止になったのは常総学院に限った話ではない。佐々木監督はこんな見方も示した。

「他校の指導者さんからも話を聞いていますが、ドラフト候補が続々と大学進学に進路を変えているそうです。だから、4年後のドラフトは豊作になるのではないですか」

 今年5月の取材時、一條はこんな本音も漏らしていた。

「もし甲子園が開催されて、そこで自分の力をアピールできていたら、たぶんプロに行きたいと言ったと思います」

 甲子園とは、プロ志望の選手にとっては高校時点の一つの目標であり、より厳しい世界で戦うための度胸だめしの場でもある。事実、夏の甲子園で思うような結果を出せなかった選手のなかには「今の実力ではプロなんか無理なので……」と、プロ志望届の提出を見送る意思表示をする選手も珍しくない。

 佐々木監督は公式戦特有の緊張感こそ、選手を育てるのだと力説した。

「今年は大事な試合ができなかったので、ハートを鍛える機会が少なかった。それもワンクッション(大学進学)を置く選択をした理由のひとつだと思います」

 紆余曲折を経て迎えた高校最後の夏。進路を定めた一條も菊地も吹っ切れたようなパフォーマンスを見せた。取手二との初戦に先発した一條は、7回1/3を投げて、許した安打は当たり損ねの内野安打1本だけ。9奪三振、無四球の完璧な内容だった。試合後、一條は胸を張って自分の投球を振り返った。

「回転数を気にして練習するようになってから、ボールが指にかかるようになりました。今の最高数値は2470回転です。冬に下半身のトレーニングと体重を増やしたことで、球速が上がってキレもよくなりました」

 球速は140キロをコンスタントに超え、指先にかかったストレートは猛烈な勢いで捕手のミットを叩いた。一條は「秋よりも今のほうが投げていて快感があります」と充実した表情を見せた。

 一方の菊地は最終回の二死から打者1人だけ登板。ランナーが一塁にいたため、当初はクイックモーションで投げていたが、途中で捕手の中山琉唯(るい)が「足を高く上げろ」とジェスチャーを伝えてきたことでスイッチが入った。

 その直後、「狙った」という菊地は151キロ、また次に152キロと自己最速を立て続けに更新して、試合を締めくくった。

「ブルペンからあまりよくなかったんですけど、ベンチ前のキャッチボールから少しずつ(指の)かかりがよくなっていました。結果的にMAXを更新できてよかったです」

 そう語る菊地に、意地悪な質問だと自覚しつつも聞かずにはいられなかった。

── 今なら、プロに行きたいんじゃないですか?

 菊地は「いや、でも……」と少し慌てた表情を見せたものの、意を決したようにこう答えた。

「(大学に)最初に決めたときは少し思ったんですけど、その後に対外試合が許可されてからは、大学とかプロとか自分のなかで迷いがない状態で投げられました。やっぱり、その結果が練習試合や今日の結果につながったのだと思います」

 男が一度決めた以上、もう迷わない──。そう自分自身に言い聞かせているようにも見えた。

 常総学院は24日の次戦で伏兵・多賀に2対3で敗れ、早くも敗退。今大会は無観客試合であり、全国的なテレビ放送が始まる前の終戦だった。全国の野球ファンが一條、菊地という逸材を見られる機会は大学以降に持ち越された。

 未曾有の疫病に翻弄された2020年の高校球児たち。たとえ時間はかかっても、一回りも二回りも大きな存在となって再びドラフト戦線に浮上することを祈りたい。