43歳で現役引退、三河シーホースで過ごした19年間とはまさか、こんな形でシーズンを終えるとは思いませんでした。まさか、ひ…
43歳で現役引退、三河シーホースで過ごした19年間とは
まさか、こんな形でシーズンを終えるとは思いませんでした。
まさか、ひとつのウイルスが私たちの生活を変えると思いませんでした。
まさか、最後の試合が無観客になるとは思いませんでした。
まさか、日本でバスケットボールをプレーするとは思っていませんでした。
まさか、シーホースで19年間もプレーするとは思いませんでした。
まさか、数えきれないほど優勝できるとは思いませんでした。
まさか、日本でこれほどたくさんの方と深い絆を結べるとは思いませんでした。
しかし、いつか引退する日が来ることは分かっていました。
そして、ついにその時が来ました。
ここで過ごしたすべての瞬間を愛おしく感じます。
みなさんとつくったこの思い出は、これからもずっと皆さんと共に生き続けます。
願わくば、シーホースの未来への強固な土台を築く一助になれたと信じます。
永遠にシーホースの一員です。
みなさん、愛しています。
ミスターシーホース
昨シーズン43歳になったバスケットボール界のレジェンド・桜木ジェイアールは、一篇の詩のような美しい言葉でファンに別れを告げた。
2001年に来日した元NBAプレーヤーは、以降19年間シーホース三河一筋を貫き、710試合に出場。キャリア通算1万991得点6011リバウンド2708アシストを積み上げ、9度の天皇杯制覇、6度のリーグ優勝の計15個のタイトルをクラブにもたらした。“常勝軍団・三河”の歴史を築いてきた“ミスターシーホース”が、人生の約半分を過ごした三河での日々を「THE ANSWER」に語った。
◇ ◇ ◇
スポーツ選手にとって、才能や実力もさることながら、良い出会いに恵まれるかどうかは成功を大きく左右する。同様に指揮官にとっても、自らの哲学を体現することができる選手と出会えなければ、チームを成功に導くことは難しい。
桜木が最も感謝していると語る、三河の鈴木貴美一ヘッドコーチ(HC)との出会いは、実に幸運で、幸福なものだった。両者のその後のバスケ人生を劇的に変えただけでなく、シーホース三河、そして日本バスケ界にも大きな功績を残した。
「自分はもともと忠誠心が強く、気に入ったチームが見つかるとそこで長くやりたいという気持ちがありました。だから他のチームに移籍することは考えませんでした」という桜木だが、鈴木HCとの関係が最初からうまくいったわけではない。
「今でもよく覚えているんですけど、最初の頃に2度、鈴木HCが練習を止めて、自分を注意したことがあったんです。自分は、良いことばかりではなく悪いところも言ってくれるのが本当の友達だと考えているので、そのことがあってより一層絆が深まりましたし、彼のことを好きになると確信しました」
19年間共闘した鈴木HCから掛けられた言葉で心に残っているものを聞くと、「言った言葉よりも、言わなかったことの方が印象に残っている」と語る。
「それまでのキャリアでは、必ずHCとの間に問題が生じていました。自分はどうしても感情が顔に出てしまう性格なので、表情や仕草に対してHCからネガティブな言葉を言われることが多くありました。そのこともあって、NBAではあまり楽しくバスケができなかったんです。
鈴木HCは、そういう自分の性格を理解して、自分が嫌な顔をしても何も言わず、自分らしいプレーをさせてくれました。だから彼のもとではリラックスして冒険することができ、バスケを心から楽しむことができました」
自分らしくバスケを楽しむことができた桜木は、加入した翌年の2002年の天皇杯で、指揮官に初のタイトルをもたらした。そのことは互いの信頼関係をさらに強固にし、三河愛を揺るぎないものにしていった。
「素晴らしい気持ちを一緒に味わったことで、鈴木HCとの仲がより深まりました。クラブやファンの方たちが初めて優勝した時にとても喜んでくれたのを見て、三河は自分にとって特別な場所だと思いました。その素晴らしい気持ちをまたみんなで味わいたくて、『また勝ちたい』『もう一度優勝したい』『このチームを強くしたい』という気持ちになりました。常に優勝を目指して戦ってきましたので、個人的な数字よりも、優勝した回数が自分の誇りです」
バスケを通して友情を育んだ19年間
6月8日にオンラインで行われた引退会見で、桜木は日本での19年間の挑戦を振り返り、「一番大事だったのは、たくさんの選手と友情関係を持つことだった」と晴れやかな笑顔で語った。
「色々な選手がいて、それぞれ性格は違いますけど、毎年のように新しい友達ができました。良い友情関係は永遠に崩れないので、バスケ以上に友情を大切にしてきました。特にチームメイトとは毎日会いますので、なるべくみんなに話しかけて、例えば『家族は元気にしている?』とかバスケ以外の話をすることが重要だと考えていました。
自分は小さい町で育ったんですけど、そこではあまりやることはなかったので、友達が少ないと退屈だったんですよね。だから子どもの頃から友達をたくさん作るようにしてきました。
でも来日した当初は少しシャイで、おとなしい性格だったんです。あまりそういう風には見えないかもしれないですけど……。少しずつ自分自身のことを話すように努めて、チームのリーダー的な存在になってからは、さらにみんなとコミュニケーションを取るようにがんばっていたんです」
チームメイトとの交流を通じて、桜木は多くのことを学び、成長した。「最も影響を受けた“友人”は誰か」を尋ねると、しばらく考え込んで、「やはり最初の頃の選手が自分にとって大きな影響を与えてくれました」と、「後藤正規さんと外山英明さん」を挙げた。
「後藤さんはプロ意識が強く、バスケの時は真剣に取り組みますが、オフの時はとてもリラックスしていて、彼からプロとしてどのように行動すればいいかを学びました。外山さんはどんな状況でも常に冷静で、それを見て自分もどんな時も絶対に焦ったりしないで、冷静にプレーできるようになりました」
年齢を重ねて、チーム内での役割は変わったが、友情関係を大切にする姿勢は変わることはなかった。国内トップリーグ歴代No.1となる、キャリア通算2708アシストという数字は、常に“チームのために”という姿勢から積み上げられたものだ。
「最も好きなのはパスをすること。一番見たいのはチームメイトが点を取る姿です。アシストすると、自分も素晴らしい気持ちになりますし、点を取った選手も自信になります。だから常にパスが出せるように、チームメイトのことをずっと見ていたんですよね。パスを受けるためにどう動けばいいかなども、アドバイスしてきました」
桜木のそうした姿勢は、チームメイトから愛され、尊敬された。引退会見の後、金丸晃輔選手ら、桜木を慕う若き友人たちが花束を持って駆けつけた。桜木は彼らに、これまでコート内外で伝えてきたことを受け継いでいってほしいと話す。
「個人プレーではなく、お互いを信頼してチームバスケをしてほしい。シーホースがチームバスケをやれば、ファンにとって面白いと思いますし、良い結果に繋がると思います。特に若い選手たちに伝えたいのは、やはり友情関係が大事だということですね。それは自分自身も意識してきたことですが、色々な人と仲良くなり、チームを超えて影響を与えられる存在になってほしいです」
2007年に帰化し、元NBA選手としては初めて日の丸を背負った桜木。東京五輪を控える現在のAKATSUKI FIVEへもエールを送る。
「日本代表に限らず全員にアドバイスしたいのは、絶対にファンダメンタル(基本)を忘れてはいけないということ」と語気を強める。
「自分の夢はバスケを正しく教えることです。最近は少しファンダメンタルから離れて、ストリートボール系になっている気がします。どうしても若い選手はテレビで見る選手を真似しようとするので、1on1やダンク、3ポイントシュートに集中してしまう傾向にある。だからもっとバスケという素晴らしい競技のファンダメンタルを教えるコーチが必要だと考えています」
「気持ちは永遠にシーホースの一員」
最後にファンへのメッセージを求めると、桜木はいたずらっ子のような笑顔で「Which fans?」と聞き返した。
「自分の最終的な目標は日本でヘッドコーチになること。そのために今ライセンスを取ろうとしている」という桜木は、その第一歩としてWリーグのアイシン・エィ・ダブリュ ウィングスのテクニカルアドバイザーに就任した。既に新天地での練習がスタートし、新たな挑戦を楽しんでいると満面の笑顔を見せる。
「ここまでエンジョイすると思わなかったですね。女子の選手は男子と全然違って、もっとハッピーな感じなんですよね。初日にシュートゲームをしたんですが、すごく楽しくて、みんなが喜んでいました。選手たちはバスケのことを貪欲に知りたがっていますので、自分の経験やテクニックを伝えていきたいと思っています」
そして、あらためて三河のファンへ感謝を口にした。
「19年間ずっと応援してくださったファンの皆さんに心からお礼を申し上げたい。このチームにはたくさんのことを与えてもらいましたので、恩返ししたい気持ちが強い。気持ちは永遠にシーホースの一員です」(山田 智子 / Tomoko Yamada)
山田 智子
愛知県名古屋市生まれ。公益財団法人日本サッカー協会に勤務し、2011 FIFA女子ワールドカップにも帯同。その後、フリーランスのスポーツライターに転身し、東海地方を中心に、サッカー、バスケットボール、フィギュアスケートなどを題材にしたインタビュー記事の執筆を行う。