神野大地は3月1日の東京マラソン後、少しオフを取り練習を再開したが、世間はコロナ禍の最中、神野も少なからず影響を受けた。プロランナーゆえもともと単独の練習が多く、それ自体は問題なかったが、多くのレースや記録会が中止・延期になり、予定してい…

 神野大地は3月1日の東京マラソン後、少しオフを取り練習を再開したが、世間はコロナ禍の最中、神野も少なからず影響を受けた。プロランナーゆえもともと単独の練習が多く、それ自体は問題なかったが、多くのレースや記録会が中止・延期になり、予定していたトラックでの強化は難しくなった。

「4月からトラックレースに出て、4月末から5月にかけて日体大の記録会、そして7月にホクレン(ディスタンスチャレンジ2020)の1万mで自己ベストを狙おうと考えていたんです。でも、コロナの影響でなくなったので、マラソンの土台づくりのための練習に切り替えました」



藤原新コーチのもと、新たなスタートを切ったプロランナー・神野大地

 トラックで得られるのはスピードだが、その強化はマラソンの走りに大きな影響を及ぼす。レースがないということは、それまで練習でやってきたことを試すことができず、実戦感覚が養えなくなる。

「もちろんショックですし、モチベーションも下がりました。練習をして、それを試合で試すことで、また次の練習につながる。レースは今の自分の実力を計れる場であり、それがないと自分の実力が上がっているのかどうか判断できないし、今やっている練習がいいのかどうかもわからない。自分だけじゃないですけど、やっぱり精神的にきついですね」

 練習だけの日々が続くなか、神野は学生ランナーのためにある試みに取り組んだ。中学生、高校生、大学生とのオンライン面談を実施したのだ。

「モチベーションは下がっていたんですけど、僕よりも最終学年である中3、高3、大学4年の学生アスリートはもっとつらい状況にある。自分がその年代だったらと思うと……そこで、何かできることはないかなって思いついたのがオンライン面談でした。

 やる気のある選手が大会の中止によってモチベーションを失い、スポーツに対する熱量が下がってしまうのはものすごくもったいない。それで直接話をして、落ち込んでいるのなら気持ちを少しでも前向きにしたいなと思ったんです」

 最初に13人の学生と面談をし、その後、服部勇馬(トヨタ自動車)、相澤晃(旭化成)といった実業団の選手も協力してくれた結果、計60名の学生と面談することができた。

 話をしていると、最終学年の学生にはある共通の悩みがあった。

「進路とモチベーションは共通した悩みでしたね。とくにモチベーションの低下はみんな抱えている問題でした。ただ、レースがなくなってしまったのは仕方ないし、自分の力ではどうすることもできない。そうしたなかで『気持ちは沈んでいても、努力することはできる。トレーニングしたり、目標を見失わずにやったことは、これからの人生に必ず生きる。この時代にどう行動したしたのかということを大切にしてほしい』という話はしました」

 学生たちからの積極的な問いかけもあり、面談は非常に充実したものになった。そのなかで神野自身もプラスになることが多かった。

「面談をしなければ、そんな深く考えることもなく、過ごしていたかなと思います。学生と話をしながら『努力しろ』と、自分にも言い聞かせていた部分もありました。面談した学生から『前向きになれました』『こういう機会をつくってくれてありがとうございました』とメッセージをいただいた時は、あらためてやってよかったと思いました」

 そういって神野は笑顔を見せた。

 その一方で、”チーム神野”には大きな変化が生じていた。3月1日の東京マラソンは、レース前、過去最高の仕上がりに自信を持ち、目標設定タイムの2時間8分台は十分可能だと、神野はもちろん、トレーナーの中野ジェームズ修一もコーチの高木聖也も思っていた。

 だが、30キロ付近でスピードが落ち、2時間12分11秒(39位)という結果。ショックは大きく、レース後「今後のやり方を見直す必要がある」と、神野は厳しい表情で語った。

「結果が出なかったことについては、僕の力がまったく足りなかったということではないと思っていました。チームのみんなと話をして、中野さんから提案があったんです。『やっていくことに対して、疑問を持つようにしよう』と。

 ケニアに行くこと、フィジカルトレーニングを含めて、取り組んでいることに対して、本当に自分に合っているのか、本当に必要なのか……これからは常に疑問を持つようにしてやっていこうと言われたんです」

 中野と高木は、神野が全幅の信頼を寄せている人物だ。だが、それゆえに言われたことに対して、深く考えずに受け入れてしまう傾向にあった。

「性格的に、この人は信頼できると思った人の意見は素直に受け入れてしまうんですよ。中野さんや(高木)聖也さんは、信頼しているがゆえに任せすぎてしまっていた。自分に合っているのか……ということに対して、何の疑問も持たなかったんです。

 自分と聖也さんが考えたメニューをやれば強くなれると思っていましたし、これでいいと思ってやっていました。でも、これからはしっかり立ち止まって、その都度、確認しながら進んでいこうという話をしました」

 東京五輪を目指してチームでスクラムを組んでやってきたが、最後のチャンスとなった東京マラソンで結果を出せなかった。中途半端な結果ではなかったことが、むしろ神野にとってはよかったのかもしれない。何かを変えるきっかけになったからだ。

 そして、神野は高木コーチから新たな提案を受けた。

「新しいコーチをつけてやったほうがいいと思う」

 そう言われた神野は「それもいいかな」と、素直に思ったという。

「聖也さんとふたりで練習メニューを決めてやってきたんですけど、それ自体は間違っていなかったと思うし、成長できたと思っています。ただ、東京五輪という大きな目標が途絶えて、次の目標に向かう時に何かを変えるべきだなとぼんやり思っていたんです。そのタイミングで聖也さんから提案が出て……最終的に僕に決めてほしいと、判断を委ねてくれたんです」

 では、新しいコーチとして誰にお願いするのか。高木コーチと話し合うなかで候補のひとりとして挙げられたのが、藤原新(あらた)だった。

 藤原は2012年ロンドン五輪にマラソン男子代表として出場し、その後はプロランナーとして活躍した。現在は、スズキアスリートクラブのヘッドコーチを務めている。

 神野は「藤原さんなら」と思うところがあった。

「藤原さんとはケニアで何回かお話しさせてもらっていたんです。走った回数や結果もそうですが、マラソンについてこれだけ知識がある人はなかなかいないというぐらい勉強されているなと感じていました。

 それに藤原さんは速筋よりも遅筋タイプで、体型的にも僕に似ているんです。僕らのチームに足りなかった経験や知識を補うという点でもそうですし、僕に合ったメニューを考えてくれるのかなと思って、まずは4月、5月の2カ月間、一緒にやってみようということでスタートしました」

 一方の藤原は、神野からオファーを受けた時、戸惑いがあったという。それでも引き受けた理由はなんだったのか。

「チーム神野の話では、彼らにはないマラソンのノウハウが僕にはあると。僕もそのノウハウを提供したいと思い、会社に承諾を取って引き受けさせていただきました。ただ、僕はコーチとして新米みたいなものですし(2019年4月からスタート)、引き出しもまだない。僕がすべて教えるというよりは、一緒に探っていきながら成長していく考えでいますし、やるからには成功してほしいと思っています」

 藤原は練習メニューを考えるにあたり、神野の過去の練習データをチェックし、何が足りないのか、どうすれば強く、タフになれるかを考えたという。

「過去の練習データを見ていると、もう少し全体的な走行距離を増やしたほうがいいかなと思いました。レースに向けての3、4カ月は少なくとも700〜800キロは必要だと思います。

 ただ、いきなり距離を上げていくと故障のリスクがあるので、距離に対する耐性をつけながら増やしていきたい。あとは、それだけの距離を走れるタフさが足りないと思ったので、下半身や背筋などのウエイトトレーニングをやったほうがいいという提案はさせてもらいました」

 練習は3週間かけてトレーニングの負荷を上げ、1週間でリカバリーして次のプログラムに移る。ポイント練習は、これまで週2回だったが、3回に増やした。練習後は携帯アプリでやり取りを行ない、不安な点や感じたことを直接話すようにしている。

「練習は新鮮です。メニューの流れはもちろんですけど、たとえばタイム設定がドンピシャなんです。無謀でもなく、楽なタイムでもない。それに藤原さんはすごくランナーの気持ちを理解してくれます。ポイント練習では、やっぱり体が動かない時があるんです。それを伝えると『暑い時は3回に1回ぐらいはできないこともあるから、引きずらなくてもいいよ』って。そこに甘えてはいけないですけど、ありがたいなと」

 藤原はそのことについてこう語る。

「大事なのは、できなかったから終わりではなく、そこからどう修正しながらやっていくのか。この練習はできなかったけど、1回パスするのか、それとも明日やり直すのか……状態を見ながら判断していく。僕自身、現役時代はプランどおりに練習できたことがあまりなくて、いつも修正、修正で、最後に帳尻を合わせていた。修正しながらでもやり抜く力がついてくれば強くなると思うんです」

 神野は几帳面、完璧主義で、練習の消化率を重視し、練習ができなかったことに対して罪悪感を感じてしまうタイプだ。だが、藤原の言葉で焦ることなく、落ち着いて練習に取り組めている。

 すでに藤原は、神野にマッチする強化方針を固めている。

「2パターンあると思うんです。ひとつは長く遅い距離走と短くて速いインターバル走を組み合わせながら、ピンポイントでレースに合わせていくやり方。もうひとつは、日々の練習でできるだけレースに近い負荷をかけていくやり方。

 結果を確実に求めるなら後者です。そして故障のリスクが高く、身体的にきついのも後者です。だけど、神野くんは今までのマラソン経験のなかでタフなことはわかっていますし、勝つための次のステップとして後者のパターンを軸にしたトレーニングに挑戦してほしい」

 藤原コーチに指導を受けるようになってから、神野は1週間で走る量が20〜30キロ増えた。ダッシュ系の練習、速いペースでのジョグ、100mの全力疾走を数本入れるなど、これまでとは違うメニューをこなしている。コロナ禍で直接練習を見てもらうことは実現していないが、藤原は「夏には一緒に練習して、走りとか全般をチェックしたいですね」と語る。

 藤原は、目標をどこに置いているのだろうか。

「僕のイメージとしては2時間8分台。でも、7分台も可能だと思っています。神野くんはこれから自分の走りをマラソンに適応させていく必要がある。キロ3分ペースは彼にとって速いペースではないと思うので、そのペースを体に慣れさせていく。マラソンに特化した体づくりと走りができれば、タイムは伸びていくと思います」

 藤原は自信に満ちた表情でそう言った。

 2017年4月から東京五輪でマラソンを走ることを目標にしてスタートし、今年3月の東京マラソンでその挑戦が終わった。いま、神野はどう感じているのだろうか。

「目標は達成できなかったですし、めちゃくちゃ成長できたかといえばそうではない。でも、いろんな経験ができたのは大きかった。コニカでマラソンを始めて、プロランナーになって、ケニアに行って……プロになっていろんな人と出会えましたし、活動の場を広げることができた。まだ結果が出ていないですけど、出る日が来ることを信じて、これからも努力していきたい」

 藤原コーチとの新しいプロジェクトの最大の目標は、マラソンで結果を出すことになる。

「僕は現状維持がすごく嫌なんです。ワクワクする人生を送りたい。だからこそプロになったし、ケニアやエチオピアに行くなど、常に挑戦してきました。藤原さんに見てもらって、新しい競技人生が始まります。どうなっていくのか、すごくワクワクするし、楽しみです」

 神野はそう言って、笑顔を見せた。

 神野のマラソン人生の第2章が始まった──。