健大高崎といえば「機動破壊」。その二つ名を記憶している野球ファンも多いことだろう。「表」のキャッチコピーが機動破壊なら…
健大高崎といえば「機動破壊」。その二つ名を記憶している野球ファンも多いことだろう。「表」のキャッチコピーが機動破壊なら、「裏」のキャッチコピーは「県外高崎」だった。とくに群馬県内では、県外出身者の多い健大高崎野球部を揶揄して「県外高崎」と呼ぶ人が多かったのだ。
だが、青柳博文監督は「最近は県外高崎と言われることも少なくなってきました」と語る。
今でも部員の半数は県外出身者であり、昨年度は北海道から沖縄まで22都道府県から選手が集まった。健大高崎の「共存共栄」という精神や機動力を前面に押し出した戦いぶりが県内に浸透し、批判が目立たなくなったのかもしれない。
昨年秋の関東大会を制した健大高崎の下慎之介と戸丸秦吾の群馬出身バッテリー
昨秋は県大会準決勝で宿敵・前橋育英に敗れながらも、群馬開催の地の利を生かし3位校として滑り込み出場した関東大会で優勝。青柳監督は「関東大会では群馬のお客さんが本当にたくさん声援を送ってくださって。『県民に応援されているなぁ』と感じました」と振り返る。
健大高崎が応援されるチームになったひとつの要因として、「群馬出身バッテリー」の存在も大きいのかもしれない。エース左腕の下慎之介(しも・しんのすけ)と高校屈指の強肩捕手である戸丸秦吾(とまる・しんご)。ともに高崎ボーイズ出身である。
下は言う。
「『県外高崎』と言う人もいるなかで、軸のバッテリーが県内出身で『群馬のバッテリーでも活躍できる』というところを見せつけたいです」
そんな下だが、中学時代はほかにエースがおり、2番手だった。「当時は変化球投手でした」と本人は振り返る。
それでも、青柳監督は下の将来性を買っていた。
「腕もよく振れるし、フォームもいい。体さえできれば伸びる選手だとわかっていました」
高校入学後、体の成長とともにぐんぐんスピードが伸びて、昨秋には141キロを計測。下は「スピードが上がって、変化球が生きるようになりました」と手応えをつかんだ。
昨秋の関東大会では初戦の常総学院(茨城)戦では打ち込まれたものの、勝ち上がるごとに成長。準決勝では、優勝候補筆頭だった東海大相模(神奈川)の強打線を2失点に抑えて完勝した。
一方、女房役の戸丸は中学時代から中学硬式の日本代表のひとつであるJUNIOR ALL JAPAN(通称・NOMOジャパン)に選ばれる注目選手だった。戸丸が健大高崎に進学した理由はユニークだ。当初は「他校に進んで健大高崎を倒したい」と考えていた。
「機動破壊の健大高崎と対戦して、走らせないつもりでいました。でも、家族と進路を相談するなかで、考えが変わっていきました。公式戦では健大と戦う機会が少ないですけど、健大に行けば走塁練習があるので日常的に高いレベルで盗塁阻止の練習ができる。その環境のほうが自分は伸びるんじゃないかと思いました」
入学当初は地肩の強さこそアピールできたものの、送球がシュート回転して先輩のランナーにことごとく盗塁を決められた。戸丸は「スピード感と正確さが必要だ」と悟り、送球動作を研究する。「左肩を切る」イメージで上体を瞬時に右に回すことで速く、正確な送球を身につけていった。二塁送球の最速タイムは1秒79、コンスタントに1秒8台を叩き出せるようになった。
中学時代から互いを知るバッテリーは、遠慮なく思ったことを言い合える関係でもある。青柳監督はこう証言する。
「練習中にふたりが言い合っているところもよく見ます。言い合えることはいいことですから」
どちらかといえば、下が戸丸に注文をつけることが多いという。昨秋時点ではパスボールやキャッチングミスが多かった戸丸に対して、下は「本当なら低めのストライクなのに、ミットが落ちてボールに取られてしまう」と改善を要求した。
とはいえ、下が戸丸に寄せる信頼感は絶大だ。
「戸丸は自分に合った配球を探してくれますし、スローイングは中学時代からすごかったです。(球速の遅い)カーブを投げても、モーションを盗まれない限りはアウトにしてくれるので」
秋の明治神宮大会で準優勝と結果を残し、春の選抜高校野球大会(センバツ)の出場校に選出。冬場は、下は「スピードアップ」、戸丸は「キャッチング」とそれぞれの課題に取り組んだ。
下はウエイトトレーニングで全身をバランスよく鍛え、食事量を増やして肉体改造に成功。体重は75キロから85キロまで増え、投げるボールが変わっていく実感があった。
「ボールが指にかかる感覚が前までとは全然違いました。あまり力を入れなくても、ボールがいっていました」
一方、戸丸は捕手を指導する木村亨コーチを質問攻めにしていた。
「いろんなキャッチャーの動画を見て、木村コーチに『どうしてこの選手はこういう動きができるんですか?』と聞きました」
ブロッキング(ワンバウンドの投球を止める技術)は「体全体でポケットを作って包み込む」感覚をつかんだ。そして、ボールはただ真下に落とすのではなく、体のやや右寄りに落とすことにこだわった。戸丸は「僕は右投げなので、少しでも早く送球動作に移れるようにしたいからです」と明確に意図を説明する。
ミットが落ちやすかった低めのキャッチングは、「ボールを下から見るイメージ」で改善した。戸丸の成長ぶりに、下は「低めもバチバチ捕るし、昔に比べたら格段にうまくなりました」と笑う。
互いに手応えを得て、春のセンバツを迎えるはずだった。だが、直前にコロナ禍に見舞われ、3月11日に大会の中止が決定する。
春をあきらめ、夏に向けて切り替えようともがく選手たちに追い打ちをかけるように、5月20日には全国高校野球選手権大会も中止になった。
世界情勢を考えれば、
「やむを得ない」と理解できる。だが、頭でいくら「仕方ない」と言い聞かせても、簡単に清算できるほど甲子園は小さな存在ではなかった。
主将も務める戸丸は「チームメイトには弱いところを見せたくなかった」と言う。だが、高崎の実家では、両親の前で報われない心情を吐露した日もあったという。
そんな戸丸の救いになったのは、母・はるみさんの言葉だった。
「母から『これで終わりじゃない。みんながどれだけ甲子園で野球をしたいか見てきて、知ってるから』と言ってもらえて、救われた思いがしました。気持ちをわかってくれる人が身近にいてくれたことは大きかったです」
野球部の活動は緊急事態宣言が発令された翌日、4月8日から休止になった。寮が閉鎖され、部員はそれぞれの実家に帰省。以来2カ月以上も自主練習期間を過ごすことになる。実家が近い戸丸は下らと合同練習することもあった。
朗報が届いたのは6月10日だ。センバツ出場校を甲子園に招待して、1チームあたり1試合の交流試合をすることが決定したのだ。青柳監督は
「甲子園が中止になって選手たちはかわいそうでしたが、新たな目標ができてよかったです」と語った。
6月15日に健大高崎の全体練習が再開。ブルペンに入った下は、自己最速となる143キロを計測する。今までめったに超えなかった140キロもコンスタントに到達し、自分の成長を実感したという。進学希望の戸丸に対して、下は「プロ志望届を提出するつもりです」と高卒でのプロ入りを目指している。
群馬バッテリーの存在とともにクローズアップされそうなのは、「機動破壊」に代わる新たなキャッチコピー「スペクタクルベースボール」である。
青柳監督はかねてから「機動力は攻撃の一部であって、それだけでは勝てません」と語っていた。スペクタクルベースボールは、健大高崎の野球が次のフェーズへと以降するメッセージともとれる。発案者の青柳監督は言う。
「我々が目指すのは、大仕掛けでファンを喜ばせて球場全体を味方につける野球です。機動破壊を受け継ぎながら、相手に『健大は何をしてくるかわからない』という恐怖感を植えつける。つまり、機動破壊の進化形が『スペクタクルベースボール』なんです」
2020年に入ってから、健大高崎のグラウンド一塁側フェンスには「高崎から日本一」と染め抜かれた横断幕が張られている。
群馬から新しい健大高崎の野球を届けたい──。選手たちは強い思いを秘めて、甲子園に向けてリスタートを切っている。