出場資格をもっていたオリンピックごとに世代を区切ってみると、ワールドカップ(W杯)ロシア大会出場をかけてアジア最終予選を…

出場資格をもっていたオリンピックごとに世代を区切ってみると、ワールドカップ(W杯)ロシア大会出場をかけてアジア最終予選を戦っているハリルジャパンにおいて、ある“変化”を見つけることができる。

直近の招集メンバーを見ると、2004年開催のアテネ五輪世代は最年長の33歳、GK川島永嗣(FCメス)とキャプテンを務める32歳のMF長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)だけになった。

FW本田圭佑(ACミラン)、DF長友佑都(インテル・ミラノ)、MF香川真司(ボルシア・ドルトムント)をはじめとする、2008年開催の北京五輪世代がチームの中心を担うようになってすでに8年目に入った。

■ロンドン五輪世代のひとり

まだ記憶に新しい今夏のリオデジャネイロ五輪世代からMF大島僚太(川崎フロンターレ)、FW浅野拓磨(シュツットガルト)らが招集されているなかで、勢力を拡大させているのが2012年開催のロンドン五輪世代だ。

たとえば、試合終了間際の劇的なゴールで勝利をもぎ取った10月6日のイラク代表戦。救世主になったMF山口蛍(セレッソ大阪)、先制点をあげたFW原口元気(ヘルタ・ベルリン)、ふたつのゴールに絡んだMF清武弘嗣(セビージャ)は、くしくも全員がロンドン五輪の出場資格をもっていた。

そして、ロンドン五輪世代ではもうひとり、酒井高徳(ハンブルガーSV)が左サイドバックで先発フル出場を果たしている。その胸中には山口や原口、清武とともにハリルジャパンをけん引していく決意と、それとは相反するチャレンジャー精神とを同居させていたことをイラク戦後に明かしている。

酒井高徳 (c) Getty Images
「所属チームではある程度、自信をもってレギュラーだと言い張れるけど、代表チームではまだ(長友)佑都君の代わりに出たと自分ではとらえている。所属チームでなかなか試合に出られないときの苦しさや、コンディションが上がってこない感覚は、僕にもすごく理解できる。

誰かが代わりに、というのはあるけれども、もちろん試合に出るからにはポジションを渡したくない。いまの自分は代表でスタメンだと、胸を張って言うことはできない。これはネガティブな意味でとらえているのではなくて、常にチャレンジャーの気持ちをもっている、ということです」

■W杯南アフリカ大会で夢を感じた

A代表との“接点”は2010年1月にまでさかのぼる。当時の岡田武史監督が若手中心のメンバー編成で臨んだイエメン代表とのアジアカップ予選に、アルビレックス新潟ユースから昇格したルーキーイヤーを終えたばかりの、まだ18歳だった酒井も抜擢されていた。

イエメン戦の出場はかなわなかった。それでも、日本人の父とドイツ人の母の間に米国ニューヨークで生まれ、フィジカルの強さと運動量の多さで母方のDNAを色濃く受け継いだ酒井に、岡田監督は将来性を見いだしたのだろう。

日本代表が決勝トーナメントに進んだW杯南アフリカ大会。サポートメンバーとして帯同し、岡田ジャパンと同じ時間を共有した1カ月間は、酒井に大きな刺激と壮大な目標を与えている。岡田ジャパンの快進撃の余韻が残っていた2010年夏に、酒井はこんな言葉を残している。

「大会前の国際親善試合ではベンチに入れましたけど、実際にワールドカップが始まると、スタンドで観戦せざるをえなかった。それでも試合前のロッカールームには入れてもらえたので、チームの雰囲気を盛り上げるという部分では力になれたのかな、と。

あのような大舞台を目の当たりにして、夢を感じました。サポートメンバーとはいえ、ここまで来ているということは、チャンスはすぐ目の前にある、と。まだまだ課題だらけですけど、ひとつずつクリアしていけば、4年後のブラジル大会には十分に間に合う年齢だと思っているので」

酒井高徳 (c) Getty Images
■長友佑都の存在感

ロンドン五輪では4試合に出場して、ベスト4進出に貢献した。迎えた2012年9月6日。2歳から育った新潟で偶然にも行われた、UAE(アラブ首長国連邦)代表との国際親善試合でA代表デビューを果たす。

DF酒井宏樹(当時ハノーファー、現オリンピック・マルセイユ)との交代で後半34分から踏みしめた、慣れ親しんだ東北電力ビッグスワンスタジアムのピッチ。ポジションは左サイドバックだった。

当時の日本代表を率いていたアルベルト・ザッケローニ監督はしかし、チームの中心に北京五輪世代をすえる。左サイドバックでは長友が圧倒的な存在感を放ち、酒井はその牙城を崩せない状況を強いられ続けた。

南アフリカの地で立てた誓いを成就させ、23人のメンバーのなかに名前を連ねたW杯ブラジル大会でも、左サイドバックの“序列”は変わらない。右サイドバックでもプレーできる酒井だが、そこには同じく北京世代の内田篤人(シャルケ)が厚い壁となって立ちはだかった。

結局、酒井が一度もピッチに立たないまま、ザックジャパンは1分け2敗でグループリーグ敗退を喫した。一夜明けた現地時間6月25日。前線基地としていたイトゥのピッチで、汗を流す集団がいた。

ブラジル大会で全3試合に出場した山口、コロンビア代表との最終戦で途中出場した清武が音頭を取り、出場機会のなかった酒井、酒井宏、FW齊藤学(横浜F・マリノス)らが必死にボールを追った。

いずれもロンドン五輪世代であり、4年後のロシア大会では自分たちが中心になる、という決意がピッチに充満していた。熱き思いは、代表メンバーから漏れていた原口やFW宇佐美貴史(当時ガンバ大阪、現アウグスブルク)たちにも伝わったことだろう。

酒井高徳 (c) Getty Images
■日本代表も世代交代が近づく

日本代表がハビエル・アギーレ体制から、いま現在のバヒド・ハリルホジッチ体制へ移って2年あまり。長友と内田が故障を抱える時間が増え、必然的に酒井が先発に指名される機会が増えてきた。

9月に幕を開けたアジア最終予選では、まさかの苦杯をなめたUAE代表との初戦から左サイドバックでフル出場。そして、引き分ければさらなる窮地に追い込まれていたイラク代表戦の劇的勝利は、ロンドン五輪世代にとっては特別な“付加価値”をもたらすものでもあった。

長友と香川はベンチに座ったまま勝利を見届け、FW岡崎慎司(レスター・シティ)は後半30分に浅野と交代。そして、本田がFW小林悠(川崎フロンターレ)と交代した同36分を境に、埼玉スタジアムのピッチには長く日本代表をけん引してきた、北京五輪世代の“ビッグ4”が不在となった。

酒井高徳らサッカー日本代表メンバー (c) Getty Images
日本代表の懸案事項でもあった世代交代を、強く手繰り寄せることにもつながる白星。ロンドン五輪世代がチームを引っ張っていく意識があるのか、と問われた酒井は「もちろん」と首を縦に振りながら、一抹の悔しさもしっかりと記憶に刻んでいた。

「それなのに失点に絡んで、自分は何をしているんだろうと深く考えてしまったところもあったけど、そういう自覚を忘れずにいることが大事だと思う。あきらめることはいつでもできる。成長の過程で失敗はつきものだし、いい教訓にして次に進みたい。挑戦し続けることが、プロとして求められる姿なので。

今日も攻撃では特にいいところがなかった。外から自分を見られたときに守備がいい、攻撃もいいというインパクトを残したいし、メディアの皆さんの前ではいつも『結果、結果』と言ってきたので、そこは貫き通していきたい。代表として自信をもてているなかで、唯一、欠けているのが結果なので」

悔やんだシーンは後半14分。イラク代表が得た直接フリーキックのチャンスで、酒井がマークしていたMFサード・アブドゥルアミールに同点となるヘディングシュートを許してしまった。

この場面で日本代表はペナルティーエリア内にいたイラク代表の6人をマンマーク。そのうえで本田を余らせる万全の陣形を整えていたが、ほんの一瞬だけ、酒井がアブドゥルアミールと体を離してしまった。

距離にして1メートルほど。しかし、アブドゥルアミールを自由にするには十分な間合いだった。打点の高いヘディングから放たれた一撃がゴールに吸い込まれていく光景を、酒井はしっかりと記憶に焼きつけた。

「セットプレーにおける守備は修正するというよりも、自分がしっかりと相手に付くしかない。状況によってはすべてのボールに対して守れるわけではないし、だからこそ自分が遅れる、あるいは体のバランスを崩したときにどれだけ体を寄せられるか。フリーでヘディングをさせないことを、もっと意識しないと」

酒井高徳 (c) Getty Images
■失点につながるミス

舞台を敵地メルボルンに移し、中4日で行われたオーストラリア代表とのアジア最終予選第4戦。酒井宏が累積警告で出場停止となった事態を受けて、右サイドバックとして先発フル出場した酒井は、またしても失点につながるミスを犯している。

日本代表の1点リードで迎えた後半6分。縦パスを受けようとしたMFトーマス・ロギッチにプレスをかけようと猛然とスプリントをかけ、結果としてポッカリと空いた背後のスペースに、ワンタッチでロギッチにパスを通されてしまった。

走り込んできたDFブラッド・スミスがパスを受けてタッチライン際をフリーの状態で抜け出し、グラウンダーのクロスを通す。ファーサイドでボールを収めたFWトミ・ユリッチを、必死に追走してきた原口が背後から倒した瞬間に、PKを告げる主審のホイッスルが鳴り響いた。

原口も、その前の酒井も、チャンスを作らせてなるものかという執念をプレーからほとばしらせていた。欠けていたのは一瞬の状況判断力であり、それはアジア最終予選に代表される、厳しい戦いを経験のなかに積み重ねていくことで十分に埋められる。

「昔は積極性がなかった、という感じですかね。試合に出てボールを受けても、とりあえずミスをしないようにしよう、あるいはみんなのリズムを壊さないようにしようと、どこか緊張した感覚でピッチに入っていたことが多かったですけど、いまは自分が何かしてやろうと考えている。

所属クラブではしっかりとした役割が決まっていて、代表チームでも出場機会が多くなってきたなかで、思い切ったプレーを選択できるようになり、ピッチのうえで(のパフォーマンスに)メリハリをつけられるようになった点で、自信につながっているのかなと思います」

酒井高徳 (c) Getty Images
2012年1月にブンデスリーガのシュツットガルトへ期限付き移籍。1年後には完全移籍に切り替え、さらに昨夏にはハンブルガーSVへと移籍。シーズン後半になって右サイドバックのレギュラーを獲得した。

今シーズンのハンブルガーSVは開幕から不振が続き、第8節を終えた時点で2分け8敗で最下位にあえいでいる。シュツットガルト時代に酒井を重用した恩師でもあるブルーノ・ラッバディア監督が解任され、マルクス・ギズドル新監督になった初陣も、長谷部が所属するフランクフルトに完敗した。

苦しい戦いを強いられるなかで、酒井は開幕から6試合連続で先発フル出場。日本代表のオーストラリア遠征から戻った後は疲労が考慮されたのか、2試合連続でベンチスタートとなり、流れを変える役目を担ってともに後半途中からピッチに投入されている。

日本代表に目を移せば、11月に入ると11日のオマーン代表との国際親善試合(カシマサッカースタジアム)を経て、15日にはグループBの首位に立つサウジアラビア代表を埼玉スタジアムに迎える大一番が待っている。

4試合を終えて2勝1分け1敗、勝ち点7の日本代表は同10のサウジアラビア代表、同8のオーストラリア代表に次ぐ3位。自動的にW杯への切符を獲得できる2位以内に入るうえで、長丁場の10試合を戦う最終予選の折り返しでもあるサウジアラビア代表との直接対決は、極めて重要な意味をもつ。

長友はインテル・ミラノで少しずつ出場機会を得ているとはいえ、セリエAではわずか3試合、147分間のプレーにとどまっている。勝敗が天国と地獄とを隔てかねない一戦で、ハンブルガーSVとハリルジャパンですごす濃密な時間を成長への糧に変えている25歳、酒井の存在感がますます大きくなってくる。

酒井高徳らサッカー日本代表メンバー(2016年10月6日)(c) Getty Images

酒井高徳らサッカー日本代表メンバー(2016年10月6日)(c) Getty Images

サッカー日本代表の酒井高徳 参考画像(2016年6月7日)(c) Getty Images

サッカー日本代表の酒井高徳 参考画像(2016年6月7日)(c) Getty Images

サッカー日本代表の酒井高徳 参考画像(2016年9月6日)(c) Getty Images

サッカー日本代表の酒井高徳 参考画像(2016年9月6日)(c) Getty Images

酒井高徳 参考画像(2016年8月22日)(c) Getty Images

酒井高徳 参考画像(2016年8月22日)(c) Getty Images

酒井高徳 参考画像(2016年9月20日)(c) Getty Images

酒井高徳 参考画像(2016年9月20日)(c) Getty Images

酒井高徳 参考画像(2016年10月6日)(c) Getty Images

酒井高徳 参考画像(2016年10月6日)(c) Getty Images