「とにかくサッカーが大好き」。気がつけば、足元にあるのはサッカーボール。プロ15年目のシーズンを迎える今も、サッカーに向き合うスタンスは変わらない。
そんな森重に競技を通して改めて気が付いたことや、子どもたちへのメッセージ、今後のサッカー界についてなど、率直な思いを余すことなく聞いた。

-森重選手自身、どんな少年時代を過ごしたんですか?
「サッカーがとにかく好きでした。サッカーを見るよりも、自分がボールを蹴って試合をするのが、練習するのが楽しかった。近所の友達と公園や学校でとにかくボールを追いかけていました。そういう少年だったので、努力をしたというよりも、自らが臨んで毎日サッカーに没頭していた」
-ご両親に話を聞くと、ボールさえ渡しておけば子育てが楽だったと話していました。
「そうですね(笑)。もう家の近くに広めの駐車場があって、隣が同じ男三兄弟で3人ともサッカーをしていた。そういう環境だったので、ボール一個あればよかった。外に行ってサッカーをしてお腹が空くと家に帰ってきて夕飯を食べてという毎日だった。家にいるよりも、ボールを蹴っていることが何よりの遊びだった。そういう記憶はあります」
-実家を訪ねると、河川敷もたくさんあって、ボールを蹴るには最高の環境ですね。
「河川敷もそうだし、ランニングコースも、坂道もあった。今振り返ると、たまたま生まれ育った場所には最高の環境が整っていて、それをうまく利用していたのだと思います。河川敷が広がっていて、そこには橋が何本も架かっていて、橋から橋まで何分で行けるか自分でタイムを計っていた。『今日はこの前のタイムよりも速く』とか、自分で目標をつくりながら毎日練習していた」

-実家の隣にも、Jリーガー(渡大生/大分トリニータ)がいるってすごい環境ですね。
「それは、珍しいことだと思う(笑)。自分が小学校高学年のときに、まだ渡は小さかったですが、一緒にボールを蹴っていた。そのころからサッカーがうまかった。ああいう子が、プロになっていく姿を近くで見られたのは面白かったですね」
-やはり生まれ育った場所からJリーガーは多く出てきてほしいですか?
「自分たちがサッカーをやっていた当時よりも、高陽地区のサッカー人口は減っていると耳に入ってきている。僕たちも、そのためにできることをもっとしていきたいと、今後考えています。地元がサッカー選手を育てられる環境や、仕組みが備わっているというのは強みなので。そういうことを発信したり、プロになってできることはたくさんあると思うので、地元に恩返ししていきたいと思います」
-その高陽FC時代に出会った恩師の植松和広さんは、そのサッカー人生においても大きな影響を及ぼしたひとりですね。
「いまでも試合が終わったり、シーズンが終わったり、シーズンが開幕するような節目にはメールをくれます。昨シーズンのゴールを決めたJ1第32節湘南ベルマーレ戦の試合後も、メールが届いて思わず小学校時代を思い出しました。当時のポジションはFWだったので、よく『シュートを枠に入れないとワクワクしないな』って言われてきたんです。試合後に携帯電話を見ると、『やっぱり枠に入れると、ワクワクするのう』って入っていて懐かしさを覚えました。そうやって小学校時代に指導したことが今にも生きているとあらためて思いました。そういう方々に、いまでも声をかけていただけることをうれしく思います。逆に、自分が活躍することでお世話になった人たちを喜ばせることはうれしいですね」
-サッカー選手として、子どもたちにどういう背中を見せていきたいですか?
「もちろん現地でサッカーを観戦することもできますし、DAZNやさまざまな放送局があって映像を端末で簡単に見られる時代です。サッカーを身近に感じられると思うので、「『こういう選手になりたい』と思ってもらえるプレーヤーになりたいとずっと思ってきました。これからいろんなメディアの力を借りながらそういう発信もしていきたいと思います。今在籍している東京だけではなく、常に地元の広島や、大分にも感謝の思いを持ってプレーしてきました。広島に試合で行ったときは、横断幕を掲げてくださる方が今もいますし、帰省したときにはいろんな人から連絡をいただいて食事にも行きます。自分が活躍することで恩返ししていきたいと思います」

ロシアW杯代表落選と幕を開けたサッカー人生第2章
-日本代表まで駆け上がり、ブラジルW杯にも出場しました。ロシアW杯代表落選でサッカー選手としての第1章が終わったという話もしていました。その第1章を振り返ってみてどうですか?
「よくやっていたと思います。客観的に見ても、よくあそこまでサッカーに没頭してきたなという思いはあります。ただ、ちょっと力を抜いて見えたこともあります。第1章でそこまでやればこういう結果がついてくるんだということもわかった。それを踏まえた上で、ここからのサッカー人生を歩んでいきたいと思います」
-幕を開けた第2章では、どんな目標を掲げていますか?
「いままで経験してきたこと、インプットしてきたことをアウトプットしていかないといけないと思っています。自分自身は、ただただボールを蹴ることが楽しかった小学校の頃のようなことを、もう一度思い出してプレーしたいと思っています」
-これまでとの大きな違いとして、若手にアドバイスを送る姿が目立つようになりました。
「それも自分の仕事だなと感じている。あとは自分が思っていることを伝えないのは、もったいないなって思い始めた。自分の経験は、チームにとっても財産になると思う。これからのFC東京を背負っていく選手たちに少しでも伝えていけたら、またこのクラブが強くなっていくことができると思っているので。そういった意味では若手に声をかけたり、サッカーの話をする機会はあきらかに増えたと思います」
-そうした心境の変化は、何がきっかけになったんですか?
「それはアウトプットしたいという思いが芽生えたのは、ある程度自分に集中するサッカー人生の第1章が終わったからこそ、そう思えたのだと思います」
-寡黙な男が変わりましたね。
「そうですね。寡黙を演じていただけなので(笑)」

地元が直面した豪雨災害と目の当たりにした光景
-これまで個人として取り組んできたチャリティー活動を始めた動機を教えてください。
「全国で、いろんな災害が起こるなかで自分自身は何も動いていなかった。地元・広島で豪雨災害が起きたり、選手としてキャリアをスタートさせた大分県の津久見市が台風によって甚大な被害に遭った。自分の身近な人がそうした被害に遭ったときに、自分も何か行動を起こしたいと思ったのがきっかけです」
-実際に、豪雨災害が起きた直後に広島にも帰省しましたが、目の当たりにした実状はどうでしたか?
「言葉にならないというか、どう言葉を掛けていいのか分からなかった。小学校から一緒にサッカーをやってきた先輩の家が流されて家全体がひっくり返っていた。土砂をかき出す作業だったり、微々たることでしか貢献できなかった。それが情けなかった。そして、サッカー選手である自分にも何かできることがあるんじゃないかという気持ちが芽生えた。それは、実際に足を運んだからこそ、いろんなことを感じられたと思う」
-その後、高陽地区のサッカー選手が手を取り合って行動に移した。その思いを聞かせてください。
「地元が、もともとサッカーが盛んな地区で多くのJリーガーを輩出している地域だった。そういう選手たちとコミュニケーションを取って、何とか地元を盛り上げる、助けるために自分たちが動かないといけないとなった。先輩が中心となって、そうした発信をしてくれたので僕もそれに賛同して、みんなで何かできたらいいなと思って、一つ形にできたことは良かったと思う」

-復興支援活動は継続が一番難しいと思いますが
「たとえば募金活動をしても、実際にどの地域に、どれだけ配られるのか見えない部分もある。実際の声を聞くと、これだけやっても、たったこれだけかと思ってしまう。助けや、住む家を必要としている人は、まだまだたくさんいるのに、それができていない悔しさもあります」
-新型コロナウイルス感染拡大による自粛期間中に感じたこと、思ったことはありますか?
「目標がなく、先が見えないなかでのトレーニングは、一人のスポーツ選手としても難しさがありました。リーグがこれから再開しますが、しばらくは無観客試合が続きます。それを受けて、ファン、サポーターの皆さんあってのJリーグだとあらためて感じました。これまでも思ってきたことですが、それをより強く思うようになりました。僕たちのプレーを間近で見てもらって、スタジアムに響く歓声や悲鳴で、はじめて熱くなれたり、楽しめたり、力にすることができていたのだ、と。この期間中に、いろいろなことを考えましたが、そうしたことを深く考えるようになりました」
-自粛期間中はSNSを活用し、新たにファン、サポーターとのつながる機会も増えましたが?
「新たなファンサービスのカタチとして、これからの可能性が見えたと思っています。今後はそうしたカタチで、イベントなども増えてくるでしょうし、ファン、サポーターにとっても新たなサービスとして楽しんでもらえるのかな、と。自分自身はSNSを積極的に活用していたわけではないので初めは少し戸惑うこともあったけど、実際にリモートイベントなどに参加してみて良さも理解できました。今後、ファンサービスのやり方も変わっていくと思うし、さまざまなカタチでファン、サポーターとつながりが持てることはいいことだと思います」
-そんななかで、スポーツギフティングサービスという、ファン、サポーターの方々とSNS以外の形で繋がるような取組もはじめられたわけですが、どのように考えられていますか?
「仕組みを聞いたときに、自分の周りで助けを必要としている人たちに向けて活用できる新しいサービスだと思いました。このサービスを使って、社会貢献や、地元チームへの還元をしていきたいと考えました。自分のためにというよりも、まずは周りのための活動の費用に充てたりしたいと思っています」
-先程話していた復興支援活動に繋がっていきそうですね。
「個人としても、こうしたサービスを使って、貢献できる仕組みがあることは本当に大きいことです。こうしたサービスがたくさんあったほうが一日でも早い復興の助けになると思っています。もっともっとこうしたサービスが広がって、助けを必要としている人の手に渡る金額が少しでも多くなってほしいと考えています」
-善意を集めて、感謝の思いを返していくことは応援してくれる人たちとの絆をより深めることにもなりますね。
「スポーツ選手としてはありがたいですね。新たなコミュニティーも生まれると思いますし、そうしたつながりを大切にしていきたいと思います。まず、僕自身がサッカーを楽しんでいる姿を見せていきたいです。昨年、ラグビーW杯を見てスポーツの力をあらためて感じることができました。スポーツによって与えられる力は大きいと思うので、そういった影響を周りに与えられるようにしたいと思います」

-そして、7月4日からJ1リーグが再開します。
「素直に、再開できることに安堵しています。無観客だったり、試合方式の変更など、まだまだ課題もあります。それでも、Jリーグとクラブが協力して前に進んでいくと決まりました。もちろん、僕たち選手にも不安はあります。新型コロナウイルスと共存していく社会のなかで、リーグとクラブが話し合って最善の策を練ってきました。PCR検査だったり、練習や試合のなかでも新たな決まり事が増えました。これから日本のサッカー界が手を取り合い、この状況を乗り越えていく姿を、多くの人たちに見せていきたいと思います」
-Jリーグ再開に向けて賛否の声もあると思います。
「もちろん、僕たち選手が優先的に検査を受けられたりすることで、それをよく思わない人もいるかもしれません。ただ、準備期間が短いことで、けがのリスクも考えられるし、選手もコロナ禍で感染のリスクを背負ったなかでプレーをしなければいけません。単純に、サッカーができてうれしいという一方で、僕たち選手たちにはリスクもある中で再び前に進むと決めた覚悟があることを理解してほしいと思っています」
-海外でも懸念されていますが、一度離れてしまった観客が再びスタジアムに戻ってこない可能性もあります。
「それは、しかたがないことかもしれません。ただ、僕たちは、一日でも早くJリーグがある日常を取り戻して、再び目を向けてくれたときにそこが楽しい場所だと思ってもらえるようにしなければいけません。面白いサッカーや、ひたむきな姿を見せていくことが僕たちにできることだと思います。スポーツを通して与えられるものは、たくさんあります。そうしたものを感じ取ってもらえるように、僕たちは最大の準備を続けていきたいと思います」
