「パワフルカナ」と言われたバレー名選手が子供の未来に捧げる第二の人生 新型コロナウイルスにより、スポーツ界は大切な夏を失った。 とりわけ、インパクトをもたらしたのは全国高校総体(インターハイ)の中止。最後の夏に懸けていた3年生の胸中を大人た…

「パワフルカナ」と言われたバレー名選手が子供の未来に捧げる第二の人生

 新型コロナウイルスにより、スポーツ界は大切な夏を失った。

 とりわけ、インパクトをもたらしたのは全国高校総体(インターハイ)の中止。最後の夏に懸けていた3年生の胸中を大人たちは憂い、力になりたいと願った。未曾有の事態を受け、多くのアスリートが高校生のためにメッセージを発信し、動いた。その一人が、女子バレーボールの日本代表として長年活躍した大山加奈さん。「パワフルカナ」の愛称で親しまれた名アタッカーである。

 大山さんはSNS上で他競技のアスリートらと交流し、「#スポーツを止めるな2020」などのオンラインイベントに積極的に協力。母校の成徳学園(現下北沢成徳)のOGが思い出を語る「セイトーーーク」を企画するなど、子供たちへの思いを行動で示した。

 しかし、コロナがあったから、大山さんは動いているわけではない。2010年に引退して以降、全国の小中高を回って指導、講演を行い、自身のコラムでバレー界のスパルタ指導、勝利至上主義などといった問題に声を上げてきた。栗原恵とともにバレー人気を牽引してきた大山さんの実績と知名度なら、トップ層の指導者やタレント業で活躍してもおかしくはない。それなのに、だ。

 なぜ、こうも子供たちの未来に寄り添い続けるのか――。

 単刀直入に問うと、少し照れたような表情を浮かべながら、自身の価値観を明かした。

 1つ目は、シンプルに「子供が大好きということ」だった。現役引退を決めた時、実は「保育士になろうと真剣に考えていた」ほどの子供好きだという。腰の怪我の影響で引退し、前傾姿勢でいる時間が長い仕事のため、体に対する負担を考慮して断念したが、「大好きな子供に携わりたい」というベースは変わらなかった。そして、2つ目は自身がバレー人生で受けてきた指導にある。

「良かった指導もあれば、逆に反面教師にしないといけない指導もありました」。小中高で日本一を経験した成功体験はもちろん、青春時代におけるかけがえのない財産だし、感謝している。一方で、小学生から日本一を目指し、エースとしてスパイクを打ち続けた。未完成の体をひねり、右腕を振る。当時から腰痛があり、その痛みは体をバレー人生について回ることになった。引退した理由もまた腰痛にあった。

「そういう指導を受けてきたことで、もしかしたらもっとバレーボールを長く続けられていたかもしれないし、もっと純粋にバレーボールを楽しめていたかもしれないと思うことがあります」

 ただ、過去は変えられない、変えられるのは未来だけ。だから「もう、こんな私のような思いを子供たちにはしてもらいたくない」という思いが「子供と、ともに」の原動力になっている。

「バレーボールを選んでくれたからにはバレーボールをやって良かったと思ってもらいたいし、子供たちがバレーボールを選んで幸せだったと思えるバレー界を作りたいという思いで活動しています。だから、自分がいろんな指導を受けてきた経験を生かさないといけない。選手としては(怪我などで)マイナスに働いてしまったかもしれないけど、それを今はプラスにできる立場にいると思うので。それが叶ったら、自分のことをもっと認めてあげられる。苦しかった時代のことも受け入れられる気がするんです」

 現役時代に残した、わずかな悔い。子供たちの未来を少しでも救うことができれば、自身のどんなつらかった過去も肯定できる。その一心で引退後も駆け抜けてきた。そんな大山さんだから、この夏の中高生のスポーツ機会喪失には胸を痛めた。

 特に忘れられないのは、自身のインスタグラムに届いた1通のダイレクトメッセージ。

「大会がなくなって、正直、ほっとしている自分がいます」

 送り主は、高校3年生の女子バレーボール部員。つづられた文面に、ショックを受けた。

「オンラインエール授業」で涙ながらに高校生に語った言葉

 バレーボール界は昔ながらのスパルタで、勝利を求められる指導が少なくない。その重圧から「負けたらどうしよう」「ミスしたらどうしよう」と次第に負の感情が心を覆い、いつしか大会に背を向けたくなる。苦しさから発せられた言葉は「胸に刺さった」という。単に、彼女の感情が想像できたからだけじゃなく、この声が1人だけのものじゃないと想像できたから。

「今のバレーボール界なら、そう思っている選手は少なくないんじゃないかと感じました。それがとても悲しいし、そんな思いをさせてしまっている大人たちは責任を感じなければいけないと思いました」

 正直、かけてあげる言葉が見つからなかった。しかし、ツイッターでこの出来事を紹介したところ、同調する声が上がった。すると、同じ高校生からメッセージが再び届き、「私だけじゃなかったんだと思えた」と前向きな言葉を目にした。その言葉に、救われたと同時に「私にできること、私がやるべきことはそういう子供を作らないことだと思っています」と思いを新たにした。

 自分ができること、やるべきこと。それを感じ、賛同したものの一つが「オンラインエール授業」だ。

「インハイ.tv」と全国高体連が「明日へのエールプロジェクト」の一環として展開。インターハイ実施30競技の部活に励む高校生をトップ選手らが激励し、「いまとこれから」を話し合おうという企画だった。4日に行われた授業で、大山さんは“先生”として画面越しに全国のバレー部員32人と向き合った。参加を決めた理由も、明快だった。

 子供たちのために何ができるか、日々考えている中で舞い込んだ依頼。すぐに「やらせていただきます。少しでも力になれることがあれば」と二つ返事で引き受けた。なかでも、印象的に映ったのは高校生と10回近くあったやりとりの第一声はすべて、「それはすごい」「私もそうだった」などと“褒める”もしくは“共感”で反応していたこと。

 こんなところにも大山さんらしさを感じさせた。理由について「まずは共感してあげることと肯定してあげることを指導の中でも大切にしています」と明かしたが、一方で「今日は途中から意識しなくても自然にそうなった。『すごいな』『立派だな』と感じさせられるばかりです」と高校生の頼もしさに目を細めた。ただ、1時間に及んだ授業の中で一瞬、思いが溢れた場面があった。

 1人の女子部員から、こんな質問を受けたシーンだった。

「この期間で練習をすることができません。不安、焦りが出てきているのですが、どう気持ちの切り替えをしたらいいですか?」

 もっとバレーに打ち込みたいという前向きな気持ちあるからこそ生まれる「不安」と「焦り」。大山さんは「私はこういう経験はしたことないので、特別なアドバイスをしてあげられるかというと、してあげられないのが正直な気持ち」と言葉を選びながら、率直に思いを明かした。最も心配していたのは「怪我」だった。

「練習が再開し、焦って頑張りすぎると、怪我につながる。それが今、本当に心配です。みんながバレーボールできてうれしい、頑張りたいと思ってくれる前向きな気持ちは本当にうれしい。だけど、怪我をしてしまうと、大好きなバレーボールができなくなってしまう。まずは自分の体をしっかりと観察し、見てあげる。足が張ってるなと思ったら、絶対に無理をしないこと」

 今まで練習ができていなかった分、急に強度の高いバレーボールの動きをすると、負担が大きい。だから、自分と向き合いながら、体と相談すること。そう話していくうちに、かつての自身の体験と重なった。

「私も状況は違うけど、怪我をしてバレーボールができない期間が長かった。すると、やっぱり焦るんです。周りはどんどん上手くなるし、ポジションを失っていく。それで焦って完全に治らないまま復帰して、また怪我をして私は結局引退することになった。みんなにこれ以上、同じ思いをしてもらいたくないので。頑張りすぎないこと、焦らないことを大切にしてほしいです」

 話している最中、画面に映った大山さんの目は潤んでいた。

大山さんが描くバレーボールの未来「『子供にやらせたいスポーツ』のNo.1に」

 引退を決めたのは26歳。最近では30代の現役選手も少なくないバレーボール界において、あまりに早いコートとの別れだった。その原因になったのが「怪我」。プレーができないことから来る「不安」と「焦り」が関係していた。無理をすれば、同じように競技人生に影響を及ぼす可能性がある。だから、何よりも健康でコートに立ち続けるという願いを、涙とともに高校生に託した。

 今回のインタビューをしたのは、その授業後のこと。今、代替大会を企画したり、進路のサポートをしたり、高校生を救おうと多くの大人たちが動いている。私たち、メディアも同じ思いだ。しかし、大山さんのインスタグラムに届いたメッセージのように、大人の「思い」を子供の「重荷」にさせてはいけない。これという正解はない。だから、難しい。だから、頭を悩ませる。

「子供たちのためにやれることは何か」を模索してきた大山さんは「今までは大会を企画して区切りをつけさせてあげることがいいかと思っていたけど、私のもとに届いたような声を聞くと、そうじゃないかもしれないと思わされる」と率直な思いを吐露。その上で「こちらが押し付けるのではなく、ちゃんと彼ら、彼女らが望んでいることを提供してあげられたら」と打ち明けた。

 こうした活動も、バレーボール界の普及、発展に対する思いがベースにある。競技の未来を考える上で、まずは子供たちにバレーを選んでもらわないといけない。バレーボールをすると、人として何が育つのか。もちろん、トップ選手になれれば理想だが、大半は進学、就職など、どこかのタイミングで選手に区切りをつける。だから「バレーが成長させること」の視点は大切になる。

 聞くと、大山さんは「やっぱり、他人を思いやる心かな」と言った。理由にバレーボールが持つ、一つの競技特性を挙げる。

「バレーボールは一人ではできないスポーツ。もちろん、サッカーもバスケも一人ではできないけど、一人でドリブル、シュートするということは叶う。でも、バレーは絶対に誰かにトスを上げてもらわないとプレーにならない。『つなぐこと』が大きな要素で、とにかく次の人がプレーしやすいようにボールをつないでいく。

 その過程で『他人を思いやる心』は育まれる。加えて、ポジションが明確で、役割がはっきりしている。その中もチームに与えられた役割を全うする。それも社会に出ると生きるもの。他の団体スポーツとも共通するかもしれないけど、特にバレーボールはそういうところが社会に出ていく中で生きることだと思います」

 自身も最もバレーから教わったという「他人を思いやる心」。今は「他人」の部分を「子供」に置き換え、活動している。今、競技を始めた子供が大人になる頃、バレーボール界はどんな未来を築いていれば幸せに感じるのか。

 大山さんは「私の中で目標として掲げているのは、バレーボールを選んでくれた人をすべてに幸せにする、携わる人すべてを幸せにするということ。本当にそういうバレーボール界になっていったらいいし、していかなきゃと思うんです」と思い描いた。

「今はチーム競技が敬遠される風潮があります。特に昔からスパルタ、練習が長いというマイナスなイメージがついてしまったバレーボールはそういう印象を払拭しないと、子供がやりたいと思わないし、親御さんがやらせたいと思わない。最近見た『子供にやらせたいスポーツ』で10位に入っていなかった。それが本当にショックな一方で、『そうだよな』とも思う部分もあるんです」

 だからこそ、続けて「『子供にやらせたいスポーツ』のNo.1になるように頑張りたい」と言った言葉に、力がこもった。

 引退から10年。「私のような思いをしてほしくない」との思いで、大山さんは第二の人生を歩んでいる。インタビューの最中、引退後について聞いた時、こんな話も明かしてくれた。これが、子供たちの未来に寄り添い続ける一番の理由のように聞こえた。

「実は、バレーボール選手になりたいと思う前は小学校の先生になりたかったんです。もちろん、子供の頃の夢ですけど。それが今は学校現場で指導させてもらったり、今日のような話をさせてもらったりする機会が多くて、2つ目の夢が叶っているような感じ。だから、これからもこの道を突き詰めていきたいと思っています。今、私がやっていることは、私の天職だと思っているので」

 子供たちの未来の明るさは、バレー界の未来の明るさに比例する。36歳。第二の人生に出会った天職で夢を叶える道の、まだ途中にいる。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)