人間にとって、希望がなくなるほどつらく悲しいものはない。中京大中京のエース・高橋宏斗もそれを痛感したひとりだ。

 センバツ中止はショックだった。出場が決定していただけではなく、秋の明治神宮大会優勝校として、甲子園でも日本一を狙っていたからだ。同時に、「世代ナンバーワン投手」の称号を不動のものにする場でもあった。



昨年秋の神宮大会で優勝した中京大中京の高橋宏斗

「世の中の情勢を見て、ある程度は(中止を)覚悟していた部分はありました。何らかの形で開催してほしいというのが本音でしたけど……」

 高橋はセンバツ中止が決定した3月11日のことをこう振り返る。そして、こう続けた。

「無観客でも優勝を狙おうと取り組んでいたので、中止が決定したあとは、正直、モチベーションをどう保てばいいのかわかりませんでした。2、3日は高橋(源一郎/監督)先生のミーティングも耳に入らなかったというか、気持ちの部分で切れているというのはありました」

 それでも、まだ夏がある——無理やりにでも前を向く材料はあった。だが、その夏もなくなってしまえば、その先が見えない。5月20日、自宅で聞いた夏の甲子園中止のニュースは、受け入れがたいものだった。

「センバツのショックよりも、そっちのほうが大きかった。センバツが中止になった段階で、目標を夏の甲子園優勝に切り替えていたので……」

 体の力が抜け、気持ちも萎えてしまった。休校になっても毎日欠かさなかった自主練習もできなかった。

「2、3日はなにもやる気が起きませんでした」

 そんな高橋が休校期間中、感じたことが2つある。

 ひとつは、周りに人がいることのありがたさだ。

「それまで当たり前のように仲間と会っていましたが、それが会えなくなって……仲間に会える喜びを感じさせられました」

 もうひとつは、自分自身の成長だ。休校により野球部の活動は自粛。それからは個人練習になったが、この期間、高橋は充実した時間を過ごした。不規則な生活にならないよう、毎日起床から就寝までのスケジュールを立て、やるべきことをやった。

 午前中は部屋にこもり、体幹トレーニングと学校の課題に勤しみ、午後は約10キロのランニングと短い距離のダッシュ。また、週に5日は兄とキャッチボールをして感覚を失わないようにした。食生活も見直し、野菜の摂取量やプロテインを飲む回数を増やした。その結果、体重は80キロから85キロになった。

 さらに神宮大会の映像を見直し、投球フォームの修正にも取り組んだ。大きく変えた点は2つ。

 ひとつは、左足を上げる際に捕手から目線をいったん切り、三塁方向に向けていたのをやめたこと。右足一本でまっすぐ立つという意識からやっていたことだったが、それをやらなくてもできるようになったからだ。この時、猫背になりがちなのも課題だったが、私生活から背筋を伸ばすように意識したこともプラスになった。

「母からも姿勢のことを言われて、意識するようになりました。とくに座っている時、姿勢のことをよく言われます」

 姿勢がよくなるとともに、投球時に突っ込む悪癖がなくなった。今も姿勢がよくなるチューブを背中に巻き、正しい姿勢を維持するための意識づけをしている。

 もうひとつは、ワインドアップをやめ、ノーワインドアップで投げるようになった。

「(ワインドアップだと)リズムが少し取りづらくなってきて……投げる前からグラブをはめている側の手に力が入りすぎるのが課題だったんですけど、ノーワインドアップにしたら感覚がよくなりました」

 右足一本で立つのは明治大時代の森下暢仁(現・広島)を、リラックスしたグラブのイメージはオリックスの山岡泰輔を参考にして取り組んだ。

「一度に全部を変えるのではなく、部分的に分けて練習しました。スマホで動画を撮りながら、その日その日でどういう変化があったのかを見ながらやりました」

 まだ打者に投げ始めたばかりの段階ではあるが、すでに新フォームに手応えを感じている。

「一番はストレートで空振りを取れるようになったこと。それと変化球でも腕が振れるようになりました。ストライクが取れる緩いボールがほしくて、神宮大会では投げていなかったカーブも投げています。(休校期間中は自分を見直す)いい機会になりました。実力は確実に上がったと思います」

 これから実戦感覚を取り戻していけば、いい状態に仕上がりそうな手応えはある。本来なら、万全の状態で集大成である最後の夏に臨むはずだった。8月にセンバツの代替大会である「2020年甲子園高校野球交流試合」が甲子園で開催されるが、日本一を目指す大会ではない。

 この年代で屈指の好投手としてプロスカウトから注目を集める高橋だが、現時点では大学進学に傾いているという。もし、センバツで優勝投手になっていたら……。優勝ではなくとも、甲子園である程度の結果を残していれば、プロを希望していたのではないか……そう尋ねると、高橋はうなずいた。

「(甲子園があれば)全国の舞台で自分がどれだけ通用するのか測れたと思うんです。それがなくなった時に、自分がプロにいってどうなるんだと思うと……自信が持てない部分があります。(甲子園がなくなったのは)進路に大きく影響したと思います」

 全国の舞台でやれる自信はあった。しかし、自信を確信に変えるには、甲子園での結果がほしかった。17歳の少年が将来のことについて決断するには、やはり客観的な判断材料が必要だったのだ。

 あと少しすれば愛知県の代替大会が開催され、8月には1試合のみだが甲子園で試合もできる。高橋は前を向く材料を見つけていた。

「仲間にずっと会えず、その大切さに気づくことができました。今は甲子園を目指せる1、2年生に積極的に声をかけてアドバイスしたり、チームのみんなとコミュニケーションを取ってやっています。まだ高校野球は終わりじゃない。最後までやりきりたい。

 個人的にはまだ中止が決まっていない侍ジャパン(U18)を目標にして取り組んでいます。甲子園中止はショックでしたが、今のこの気持ちは自分たちにしかわからない。この特別な気持ちは、今後の糧にするしかない」

 今後も語り継がれるであろう”悲劇の世代”。その世代を代表する右腕が、2020年を忘れられない夏にする。