PLAYBACK! オリンピック名勝負———蘇る記憶 第33回

スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典・オリンピック。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あの時の名シーン、名勝負を振り返ります。

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 鈴木聡美は、2012年ロンドン五輪の競泳個人2種目(200m平泳ぎ、100m平泳ぎ)でメダルを獲得した。それは、長い間足踏みを続けていた日本の女子平泳ぎ界に風穴を空けるものだった。



ロンドン五輪競泳女子100m、200m、メドレーリレーでメダルを獲得した鈴木聡美

 日本女子平泳ぎを振り返ると、1992年にバルセロナ五輪の200mで14歳の岩崎恭子が金メダルを獲得し日本中を驚かせた。96年アトランタ五輪から3大会連続で200mの決勝に進出した田中雅美は、04年アテネ五輪で4位に入った。

 だが、その後は苦戦が続いた。世界選手権では05年に200mで種田恵が獲得した4位が最高で、北京五輪では100mが8位で、200mは7位と8位。メダルには届かない種目になっていた。

 記録の面でも、種田が07年に200mでようやく田中超えを果たす。高速水着着用がトレンドになった09年には好記録も頻出。例えば、鈴木は100mで田中の記録を1秒弱更新する1分06秒32を出し、200mでも金藤理絵が世界歴代4位となる2分20秒72を記録した。だが、高速水着が禁止となった10年以降は記録が低迷していた。

 11年世界選手権は200mで金藤が5位。しかしこの時、初出場の鈴木は国際大会の代表選考会の際には50mも含めて3種目を制していたにも関わらず、100mで準決勝敗退。200mでは予選敗退という結果で終わった。

 ロンドン五輪を前にした日本勢の戦力は、100mでは4月の日本選手権で1分06秒80の好タイムを出した鈴木が、大会前の世界ランキングで4位。200mでは、同じく鈴木が日本選手権を2分22秒99で制してランキング2位、2分23秒56の渡部香生子が4位と上位に位置していた。とはいえ、前年の世界選手権の結果などから、彼女たちはそれほど期待はされていなかった。

 そしてロンドン五輪が開幕し、競技2日目から始まった100m平泳ぎ。準決勝で1分05秒21のヨーロッパ記録を出すこととなった当時15歳のルタ・メイルティテ(リトアニア)と、北京五輪から活躍していた女王レベッカ・ソニ(アメリカ)が、ともに予選から1分5秒台の好タイムをマーク。一方で、鈴木は予選を1分07秒08の6位通過、準決勝は1分07秒10で7位。メダル争いから脱落したかに見えた。

 だが、決勝は一番端の1レーンだったことと、スタート合図の不具合によりスタート時間がやや遅れたことが、鈴木にとって幸いした。

「入場する時は『とりあえず笑え』と自分に言い聞かせていたので、顔は笑顔でしたが、脈拍を計ってみたらすごく速かったので『どうしよう!』というのが内心でした。そこで、あのアクシデントがあり緊張がほぐれました。初めての五輪で準決勝、決勝と進めてうれしかったですが、決勝は端のレーンだったし表彰台に上がれるとは正直思っていませんでした。だから気負わず、自分の泳ぎに集中できていました」

 前半50mは、予選と準決勝より0秒2以上速い31秒39で入ったが、折り返しは6番手と劣勢だった。そこから先はきつい練習の成果が出た。以前から前半型で後半に失速するレースパターンが多かった鈴木は、大学で後半のスピードを上げるためにトレーニングを積み重ねてきた。

「折り返してから隣のジョーンズ選手が少し視界に入りましたが、最後の25mは一切周りを見ずにとにかく死に物狂いで泳ぎました。1レーンは不利だと思うかもしれませんが、『自分のレースに集中できる』と考えて泳げたのがよかったと思います」

 後半は、先行していたメイルティテとソニに突き放されたが、ふたりに次ぐ35秒07のラップライムで泳いだ鈴木。4位に0秒47差をつける1分06秒46で、3位に飛び込んだのだ。

 この歓喜の瞬間から遡ること4年の08年。高校3年だった鈴木の高校ランキングは100m、200mとも9位だったが、その才能は山梨学院大に入ってから飛躍的な成長を遂げた。鈴木はこう振り返った。

「4年前は(五輪の)表彰台なんてまったく想像できませんでした。高3で日本選手権に出場することができて、準決勝進出や自己ベスト記録の更新をしましたが、トップクラスの先輩たちを見てただただ『すごいな……』と思うだけでした」

 100m平泳ぎの銅は、まさに無欲のメダル獲得といっていいだろう。しかし、鈴木はそれに満足することなく、初めての五輪を存分に楽しもうという気持ちのまま次の200mに挑んだ。

「自分では100mの方が強気だったのですが、神田忠彦コーチからは『200mの方が行けるんじゃないか』と言われていました。100mはまさかの銅だったので、200mではその言葉を信じて、引き続き自分の泳ぎを心がけました」

 そう話した200mは、北京五輪を2分20秒22で制したソニがダントツの優勝候補として君臨し、他の選手が彼女に挑む構図だった。大会前の世界ランキングで2位だった鈴木もそのひとり。しかし、鈴木より0秒77速い2分22秒22で11年世界選手権2位を獲得したユリア・エフィモワ(ロシア)や、全米選手権2位のマイカ・ローレンスら強豪選手もいた。

 ソニは準決勝で2分20秒00を出し、世界記録を更新。対する鈴木も、予選3位のあと、準決勝で自己新記録の2分22秒40を出して3番手に入る好調ぶりだった。一方、予選で自己ベストを大幅に更新し、2位通過したリッケ・ペデルセン(デンマーク・現世界記録保持者)が準決勝でも2分22秒23と鈴木を上回る勢いを見せた。4位で決勝進出のエフィモワも2分23秒02まで上げて表彰台を狙っていた。

 200mの決勝は、鈴木が自分の泳ぎに集中できたという100mの時の1レーンとは違い、ソニが隣にいる3レーンだった。

 レースは、2レーンのスザン・ファンビリヨン(南アフリカ)がソニの準決勝のラップタイムを上回る32秒22で入った。それに対して、鈴木も準決勝を0秒35上回る32秒53で入り、ソニに0秒04差の3番手で折り返す。そして、そのままソニを追う積極的な泳ぎをして、100m通過時のタイムは準決勝より0秒94も速い1分08秒64。

 そこからソニにじわじわと離されていったが、100mを過ぎて2番手に上がると後半も36秒0台のラップを維持した。エフィモワが猛追してきたが、0秒20差で逃げ切り、鈴木は2分20秒72で2位。準決勝に続き再び世界記録をマークした女王ソニとの差は1秒13で、大健闘の泳ぎだった。

「オリンピックという大舞台で自己ベストを更新するのは大変なことだとわかっていたので、0秒01でも更新できればいいという気持ちで泳ぎました。もうひとつメダルを獲れれば嬉しいとは思っていたけど、まさか100mより上の銀メダルだとは……。日本記録の更新も予想していなかったので、とてもうれしいです」

 鈴木は1大会で個人2個のメダル獲得は日本女子初だと聞き、「そんなことやっちゃったんですね、私」と驚いた表情で答えていた。

 さらに競技最終日の4×100mメドレーリレーでも、鈴木は銅メダル獲得に貢献。平井伯昌(のりまさ)ヘッドコーチは「タイムよりも彼女の成長に驚きました。自分のもっている力をまだ自覚していない部分もありますが、(200mで)2分20秒を切るのもそう遠くないと思うし、これからは男女を含め(日本水泳の)エースになるかもしれない選手だと思います」と高く評価した。

 鈴木はその後、残念ながら自己記録を更新できずに足踏みし、16年リオデジャネイロ五輪では100mで準決勝敗退。だが、ロンドンで彼女が出した結果は、他の選手たちに大きな勇気を与えた。

 ロンドン五輪200mでは準決勝で敗退した渡部香生子は、15年の世界選手権を制覇。また、北京五輪7位、09年と11年の世界選手権で5位に入りながらもロンドン出場を逃した金藤は、復活を遂げてリオデジャネイロ五輪で優勝を果たした。それらの成果は、ロンドンで鈴木が出した結果からつながっていったものと言えるだろう。

 ロンドン五輪を軽やかに駆け抜けた鈴木聡美は、連綿とつながってゆく日本女子平泳ぎ界再興の礎を築いたのだ。