記憶に残るF1ドライバー列伝(9)ルイス・ハミルトン ルイス・ハミルトンがいかにしてF1で成功を収めたかを語る時、彼の肌の色に触れないわけにはいかないだろう。「僕はいつだって、周囲からのネガティブなエネルギーをプラスに変えて戦ってきたんだ」…

記憶に残るF1ドライバー列伝(9)
ルイス・ハミルトン

 ルイス・ハミルトンがいかにしてF1で成功を収めたかを語る時、彼の肌の色に触れないわけにはいかないだろう。

「僕はいつだって、周囲からのネガティブなエネルギーをプラスに変えて戦ってきたんだ」

 過去を振り返って、今でも彼はことあるごとにそう語る。



F1デビュー当時の若きルイス・ハミルトンと父アンソニー

 今となっては信じられないことかもしれないが、2007年にハミルトンがF1にデビューした時、彼の肌の色について嫌悪感にも似た反応を示す人すらいた。F1の主たる部分を構成する"伝統的なイギリス人"たちの眼には、ハミルトンの存在はF1の伝統を乱す危険な存在だと映ったのだろう。

 しかしハミルトンにとって、そんな反応を示されることは日常茶飯事だった。カートを始めた子どもの頃から、そうだった。

 彼の周囲にはいつも、肌の色にまつわるネガティブな言葉や感情が渦巻いていた。それに腹を立てたり、力でやり返すのではなく、「なにくそ!」という気持ちをモチベーションに変えてきたのがハミルトンだ。

「僕が8歳の頃から父はいつも言ってくれた。『言いたいことはコース上で示せ』ってね」

 そんな苦境を、父アンソニーとともに二人三脚で乗り越えてきた。

「8歳でカートを始めた時、僕は当時最速だったニッキー・リチャードソンみたいに速く走れるようになりたくて、父はコースサイドに行って彼がブレーキングしている場所に立って『ここでブレーキングするんだ』って教えてくれた。そんなことをしてくれる父親なんて、ほかにはどこにもいなかったよ。

 僕がそこでブレーキングをして、スピンしてクラッシュして、それを何度も繰り返しても父はずっとそれを続け、やがて僕は誰よりもブレーキングを遅らせることができるドライバーになったんだ。そういう時間が、今の僕を僕たらしめる核となっているんだ」

 かつてトレードマークにしていた黄色いヘルメットのカラーリングは、アイルトン・セナへの憧れだけではなく、コースサイドに立つ父が息子を見つけやすいようにとペイントしたものだ。

 父が60歳を迎えた誕生日に、ハミルトンはこんなメッセージをInstagramにつづっている。

「僕らは本当に、何もないところからスタートした。だけど父は息子のために、もっといい人生を歩ませるためのビジョンを持っていた。そしてそれを実現するために、誰よりも懸命に働き、誰よりも全力で戦い、自分のすべてを犠牲にしてくれた。

 どんな逆風のなかでも、父はあきらめなかった。僕と弟の今があるのは、父のおかげだ。キャリアも、強い心も、素晴しい人々に囲まれているのもそうだ」

 2006年にGP2で参戦初年度にチャンピオンに輝き、翌年F1にマクラーレン・メルセデスからデビューした頃は、アンソニーが付きっきりでマネジメントを手がけていた。

 ハミルトンがキャリアを進め自立するに従って、ふたりの間に溝ができ距離を置いたこともあったが、今は親しさを取り戻しているどころか、絆がより一層強まったという。

 デビューイヤーからフェルナンド・アロンソ(マクラーレン・メルセデス)やキミ・ライコネン(フェラーリ)を相手にチャンピオン争いを繰り広げ、2年目でタイトル獲得。しかし、その後はマクラーレンのチーム力低下とともに、タイトルから遠ざかっていった。

 だが、2013年にメルセデスAMGへ移籍すると、ハミルトンのキャリアは再び輝き始めた。

 翌2014年に最終戦アブダビGPまでもつれ込みながら、6年越しでようやく2度目のタイトルを獲得。その時、ハミルトンは安堵の表情を浮かべてこう語った。

「2008年の時は、今ほどの知識がなかった。だから今日のように、いつものアプローチができなかったんだ。ただ、スタートは落ち着かなくてナーバスになるものだけど、今日はものすごく落ち着いてレースに臨むことができた。

 昨日ここで、『明日はタイトルが決まるレースだ。マシンに何かが起きてタイトルを失うことだってあるかもしれない』と考えたりもした。すべてがネガティブな考え方に支配されてもおかしくなかった。でも、僕はそれをポジティブに変えるよう全力を尽くし、それをやり遂げたんだ。ここまでに積み重ねてきた経験と知識が、僕をここまで導いてくれた」

 ネガティブなエネルギーを、ポジティブに変えて前へと進む。それを思い出させてくれたのは、やはり父だった。

 予選Q3でミスを犯してニコ・ロズベルグ(メルセデスAMG)にポールポジションを奪われたあと、ハミルトンはビーチで、父アンソニーと携帯電話のテキストメッセージで会話をしていた。

 今とは違い、あの時のハミルトンは6年ぶりのタイトル獲得のプレッシャーと戦うために、家族は呼び寄せず、ひとりでアブダビに来ていた。

 少なくとも、本人はそのつもりだった。

「夜、ビーチに出て父とメッセージのやりとりをしていて、『みんな、ここに来てもらいたいけど、僕は自分の仕事に集中しなければならない。夕食をともにしたり、みんなのために時間を割くことができない。みんなに誇りに思ってもらえるようにがんばるよ』って伝えたんだ。でも(翌日の)朝食の時、家族が揃って(アブダビに来ていて)僕を驚かせてくれたんだ」

 ハミルトンは6度の王座を獲得した今でも、王者にだけ許されるカーナンバー「1」は使用せず、頑なに「44」をマシンに掲げ続けている。

 カート時代に使用し、初めてのタイトルを獲得した時にもつけていたカーナンバー「44」。それは、どれだけ成功を収めようとも、父と二人三脚で歩んできたその道のりを決して忘れないという意思の表われであり、今も父とともに歩んでいるという感謝と絆の表われだ。

「父はどこでもない普通のところからやってきて、自分が経験したような苦しみを自分の子どもたちに味わわせたくないという思いで、とてつもない努力をした。

 苦しい時にも、父は僕のために多くを捧げてきてくれたし、父が僕のためにしてくれたことは絶対に忘れない。ひとりの人間として、黒人として、父として彼のようなすばらしい人間になりたいと思っている」

【profile】
ルイス・ハミルトン
1985年1月7日生まれ、イギリス・スティーブニッジ出身。2007年、マクラーレン・メルセデスからF1デビューし、開幕戦オーストラリアGPで3位に入って表彰台に登る。2008年、史上最年少でワールドチャンピオンを獲得。2013年にメルセデスAMGに移籍し、7年間で5度の王座に輝く。175cm、66kg。