神戸製鋼の中心選手として日本選手権7連覇を成し遂げ、日本代表のキャプテンと監督を務めた平尾誠二氏が、闘病の末、10月20日に亡くなった。53歳だった。 平尾氏は京都出身で、選手時代はSO、CTBとして活躍。伏見工業高校で全国高校大会優勝を…

 神戸製鋼の中心選手として日本選手権7連覇を成し遂げ、日本代表のキャプテンと監督を務めた平尾誠二氏が、闘病の末、10月20日に亡くなった。53歳だった。

 平尾氏は京都出身で、選手時代はSO、CTBとして活躍。伏見工業高校で全国高校大会優勝を遂げ、同志社大学に進み史上初の全国大学選手権3連覇に大きく貢献した。1986年に神戸製鋼に入社し、1988年度から94年度にかけて日本選手権7連覇を達成。抜群のリーダーシップと華麗なプレー、そして甘いマスクとスタイルでも多くの人々を魅了し、“ミスター・ラグビー”と呼ばれた。

 1982年に史上最年少(当時)の19歳4か月で日本代表に選出され、35キャップを獲得。ワールドカップ3大会でプレーし、主将も務めた1991年大会ではジンバブエから歴史的なワールドカップ初勝利をあげている。1999年大会は監督としてワールドカップを戦った。

 1997年に34歳の若さで日本代表監督に就任するや、全国から広く代表候補を発掘する「ジャパン・プロジェクト」を発足するなど、独創的な強化をおこなった。
 神戸製鋼コベルコスティーラーズでは、総監督やゼネラルマネジャーとしても強化に力を注いだ。
 2019年のラグビーワールドカップ成功へ向けても尽力され、組織委員会の理事や事務総長特別補佐を務めていた。

 また、NPO「スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構(SCIX)」を旗揚げし、スポーツと地域社会の振興に取り組んできたことでも知られる。