-野球女子の記事一覧はこちら- 

 日本の高校で最初に女子硬式野球部を立ち上げたのが神村学園である。創部は1997年4月。2003年に創部して、05年春センバツ甲子園で初出場準優勝の快挙を成し遂げた男子よりも、6年長い歴史がある。全国大会の優勝回数は9回あり、これまでに女子プロ選手を22人輩出した。著名なOGには厚ケ瀬美姫(京都フローラ)、里綾実(愛知ディオーネ)らがいる。女子硬式野球界の「老舗」だが、全国大会優勝は07年春選抜以降遠ざかっている。10年以上、全国制覇から遠ざかるが、橋本徳二監督は「次の10年が本当の勝負になる」と気合を入れている。

【 キャッチボールの前は肩肘のストレッチから】

 「当時に比べれば、女子野球のレベルは格段に上がりました」と橋本監督。さかのぼること22年前、部員8人の1期生とともにスタートした頃は、野球経験のある女子は少なく、ほとんどがバレーボール、バスケットボールなど全く別の競技からの転向組だった。唯一のソフトボール経験者がのちに明治大に進んで東京六大学リーグで初めて女子でマウンドにあがった小林千紘だ。当時、小林は「女子で130キロを出した!」と騒がれたが「実際は115キロぐらいだったのでは? その頃は90キロぐらいの投手しかいなかったので、速く見えたのでしょう」(橋本監督)。

【 ウオーミングアップ】

 今は小中学生で軟式、もしくは硬式野球経験者が大半を占める。10年に女子プロリーグが発足してから女子の競技人口が増えた。高校の硬式野球部は、全国で神村学園も含めた5校しかなかった時代が続いたが、プロリーグ発足以降、準備中も含めて38校になった。

 競技人口が増え、競技レベルが上がったことは球界全体にとって好ましい話である。ただ老舗の神村学園としては、発足当初全国各地から野球をやりたいという志と能力のある選手が集まってきたが、今や関東、関西を中心に多数のライバル校がある。15期生が3年生だった頃は最多の3学年で55人いたが、19年現在は3学年で22人。地元・鹿児島など九州の選手が大半である。

 今や九州にも折尾愛真(福岡)、秀岳館(熊本)とライバル校が登場。選手獲得競争は厳しさを増す一方だが、希望はある。来年の入学予定者が現時点で14人。うち8人は鹿児島出身で7人は軟式の選抜チーム経験者だ。鹿児島の中体連は各野球部に所属する女子選手を集めて選抜チームを結成し、全国大会に出場するなど女子野球の普及・強化に努めている。「今年の中3はレベルが高い」と期待を寄せる。

【バッグ、グローブ、スパイク…道具はきちんとそろえるのが基本】

 長く橋本監督が1人で指導していたが、今年4月から男子硬式野球部出身の江口拓也コーチがスタッフに加わった。休日には江口コーチの同級生も外部スタッフで指導に来てくれる。1、2年生は12人と少数精鋭だが「コーチたちが鍛えてくれたおかげでだいぶ力がつきました」と橋本監督は感じている。

 今年の全国大会は春、夏ともにベスト8。8月の全日本選手権ではクラブチームに2つ勝って、高校で唯一ベスト4に勝ち進んだ。左腕の2年生エース泰美勝が安定しており、粘り強く守ってロースコアの接戦を勝ち抜く。橋本監督は「いつも後攻を取る」と守備からリズムを作る野球を身上としている。

【 神村学園は女子硬式野球の「老舗」】

 橋本監督は奈良出身で天理高、大と進み、卒業と同時に指導者として鹿児島にやってきた。そろそろ鹿児島で過ごした時間が、関西で育った時間を越えようとしている。長く女子の指導に携わることができたモチベーションは「野球が好きだということ。素直に一生懸命やる選手がいること」とシンプルだ。老舗の「貯金」で創部から10年間で9回全国優勝できたが、それ以降は勝てていない。全国に増えたライバルたちに勝つために「やらされる練習ではなく、自ら考え、動ける選手を育てる」必要性を感じている。「今や選手が学校を選べる時代。だからこそここ1、2年で結果を出して、選手が『ここで野球がしたい』と思わせるチームを作りたい」と張り切っている。

取材=政 純一郎