【写真提供:池永大輔】

-Global Baseball Bizの記事一覧はこちら-

 前回に引き続き、日本・アメリカ・オセアニア・ヨーロッパのプロ野球チームで活躍された池永大輔さんのお話を紹介したい。池永さんは日本の学生野球から、トライアウトを経てアメリカの独立リーグへ挑戦。その後、ドイツ・野球ブンデスリーガのチームや日本の独立リーグでもプレーしている。

>記事前編はこちら
まさに野球アラウンド・ザ・ワールド! 世界中の野球を渡り歩いた日本人選手<前編>【Global Baseball Biz vol.36】

 2009年、前年は大学以来に日本の野球チームに加入したものの「海外でプレーしている方が刺激も多く単純に楽しいなと感じた」という池永さんは、さらなる可能性を求めてオーストラリアへと渡る。ローカルリーグのサーファーズ・パラダイス・ベースボールクラブに入団し、チーム事情もあり内野手兼投手となった。

「当時チームにいた選手の中には、試合開始時間にやってきていきなりプレーするような選手がいたり、自由というかゆるい雰囲気でした(苦笑)それも”行ったからこそわかったこと”で、自分にとっては発見の一つでしたね」

 翌2010年、池永さんは以前プレーしたドイツ・ブンデスリーガのマインツ・アスレチックスに戻り、2011年には、知人であるフランス人野球選手のフレデリック・ハンビ氏の紹介でフランスの野球チームに加入する(余談だが、ハンビ氏はBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスや高知ファイティングドッグスでプレーしており、これは逆に池永さんからの手助けがあってのことだった)。

■フランスで選手兼監督に

【写真提供:池永大輔】

 池永さんが最初にプレーしたチームは、パリから20分くらい離れた場所にあるサヴィーニ・ライオンズというチーム。2011年から2012年まで所属し、これまでの経験と知識を買われ、所属一年目から二軍監督兼選手、二年目の2012年には一軍監督兼選手を務める。さらにフランス代表チームのアシスタントコーチも経験。

 2013年にはフランス二部リーグのフレンチ・シャルトルカブスで監督に就任し、チームをリーグ優勝へ導き一部昇格を果たした。

【写真提供:池永大輔】

「フランスで初めて監督という立場になり人に野球を教えることになったんですが、フランス人の選手って”野球をやりたくて来てる”んですよね。もちろん日本でもそうだし当たり前のことかもしれないですけど、これはマイナースポーツな国だからこその意味合いが強いです。みんながみんなメジャーに行きたいというわけではなかったので、教える上ではいかに楽しむかという要素を大切にしていました」

 シャルトルで一部昇格を果たした池永さんは、満を持して以前から興味があったというスペイン・ディビシオン・デ・オナーのBCバルセロナに移籍。内野手兼投手としてプレーした。

「バルセロナは以前から気になっていたチームで、ずっとプレーしてみたかったんです。現在は外れていますが、元々はサッカーのバルセロナと同じ傘下で、同じデザインのユニフォームだった時代もありました。オリンピックスタジアムを使っていて、環境がとてもよかったです。

自分が所属していた当時はチーム成績が良く、先発投手には元シカゴ・カブス3Aにいたベネズエラ人選手がいて、150キロの球を投げたりしていました。リーグ優勝は逃したもののコパ・デル・レイ(国王杯)では優勝することができました」

この翌年、池永さんは再びドイツに戻りテュービンゲンホークスへ移籍したが、今までプレーしてきた中でもスペインリーグが一番楽しかったという。チーム事情からシーズン途中から先発投手として登板し4勝を挙げるなど、やれることは全部やったというシーズンだったそうだ。

■ヨーロッパで野球をして思ったこと

【写真提供:池永大輔】

 現在は帰国して野球用具メーカーATOMSの営業職に就いている池永さんだが、これまで様々な国とチームでプレーして感じたことはどのようなものだったのか。

「日本を含む6カ国11シーズンをプレーをして思ったのは、大勢の観客の前でプレーするだけが野球選手というわけではないということでした。日本は野球の先進国だからこそ、もっと世界の野球に目を向けて世界の野球のために貢献して欲しいと思います。

メジャーリーグは毎年ヨーロッパでトライアウトツアーをやっていて、どんどんいい選手を発掘していっているんです。チェコやフランス、ドイツからマイナー契約を勝ち取る選手がいますが、日本ではまだそういった試みはありませんよね。

ヨーロッパには、ニュースにこそならないけれど光るものを持ったいい選手がたくさんいます。北米・中南米だけでなく広い目で見てほしいですね。育成組織や外国人枠の問題もあるのかもしれないですが、規制緩和が進めばもっと面白いものになるのではないでしょうか」

文:戸嶋ルミ