-Future Heroes 一覧はこちら-   高校時代に実績を残すことはできず、ふとしたきっかけでアメリカに飛び、現在は独立リーグで腕を磨く24歳。その挑戦は「悪戦苦闘」や「武者修行」と言った月並みな言葉からはかけ離れた前向きなものであ…

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 高校時代に実績を残すことはできず、ふとしたきっかけでアメリカに飛び、現在は独立リーグで腕を磨く24歳。その挑戦は「悪戦苦闘」や「武者修行」と言った月並みな言葉からはかけ離れた前向きなものであり、ただひたむきに最高峰の舞台を目指している。

「じゃあアメリカに行ってみたらどうだ?」
きっかけは高校時代の監督の何気ない一言だった。中学時代は捕手で府大会4強入り。複数の強豪校から誘われた中で、学業成績も良く生徒会副会長もするなどしていたため立命館高へ進学。そこで「硬球は手が痛くて。球受けるの嫌やって(笑)」と投手を始めた。

 1学年上は近畿大会に進むこともあったが、自身がエースとなった3年時は139キロほどを投げていたが、最後の夏は2回戦敗退。
「1学年下も強かったので、僕らの世代は“谷間の世代です”ね。言うたら(笑)」。

 東京の大学に進むつもりだったが、実績を積むこともできなかったためスポーツ推薦は厳しい状況だった。そんな中ふと「プロになりたいです」と口走った赤沼に監督がかけたのが冒頭の言葉だった。
「監督はあしらう感じで言ったのかもしれませんが、“アメリカ良いな”って思って」

 こうしてカリフォルニア州のデザート短大に入学。元駒大苫小牧でナショナルズからドラフト指名された鷲谷修也さんの存在に憧れて同校に決めた。留学を決意した際に英語はまったく喋れなかったが、ホームシックに1度もならなかった。むしろ、アメリカの野球のスタイルが合っていた。
「自主性を重んじるところもあれば、強いチームはメチャクチャ練習していたりするし様々ですね。ただシステムは間違いなく整っていますね。ウェイトトレーニングにしろ、色んな大学が情報を共有するし、専門のストレングスコーチが付きますから」

 短大の2年間で語学と野球のスキルを上達させ、3年時からはテネシー州のリー大学に編入。運動科学で学士号も取得した。野球ではノーヒットノーランを達成したこともあったがMLBから声はかからずに、独立リーグへ。

 大学時代の夏休みに立命館高時代のコーチをしていた武田高校・岡嵜雄介監督から高島誠トレーナーを紹介してもらって以降、筋力もどんどんと向上していき最速は150キロにまで成長した。ただアメリカでは「平均は145くらいですし、球速が足りないんです」と赤沼が話すように、それだけの球速を持つ投手がゴロゴロといる。

 そして昨年、今年と独立リーグで2年間プレー。サラリーは当然薄給で、時にバスで16時間の移動を強いられることもある。約3ヶ月で100試合。休みはほとんど移動日で潰れるが、赤沼は「楽しい」と繰り返す。

「目標はもちろんMLBです。いろいろシビアですけど楽しいですよ。野球が好きで野球選手をやれていますからね。独立リーグでも1万人くらい入る球場もありますし。武者修行?そんなのカッコつけすぎです(笑)」

 どこまでも前向きに野球と向き合い、高みを目指す赤沼。その道のりの先にどんなゴールが待っているかは誰も分からないが、2020年もアメリカの大地の上で腕を振り続ける。
 
文・写真=高木遊