中野友加里インタビュー第1回、引退後にフジテレビ社員として過ごした9年間の日々

 元フィギュアスケートの中野友加里さんが昨年3月、勤務していたフジテレビを退社し、再びスケート界で活動を始めた。解説者として競技の魅力を発信する傍ら、「ジャッジ」といわれる審判員としても活躍。世界選手権に3度出場し、05年グランプリ(GP)ファイナル3位など実績を残した、かつての名スケーターがこのほど「THE ANSWER」のインタビューに応じた。

 全3回に渡ってお届けする第1回は「中野友加里、引退後の歩み」。24歳で第一線を退くとフジテレビに入社し、フィギュア選手として異例のテレビ局員に。「すぽると!」などの番組で記者、ディレクターとして従事。あらゆるスポーツを取材し、外から見えたフィギュアスケートとは。そして、2児の母となり、フィギュア界に帰ってきた34歳の今、抱える思いとは。

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 かつて世界一美しいと言われた「ドーナツスピン」で、銀盤を華やかに染めた名スケーターがフィギュア界に帰ってきた。

 中野さんは24歳で引退後、2010年4月に入社したフジテレビを昨年3月31日付で退社。丸9年の会社員生活を経て、新たな道を歩み始めた。一番の理由は、母として抱いた思いだった。

「フジテレビでは五輪の中継に携わり、『現場に足を運んでスポーツを伝える』という入社前からの夢も一つ実現できました。本当に良かったですし、様々な経験をさせて頂きました。その中で2人の子供に恵まれました。わがままですが、仕事がしたいけど、子育てもしたい。仕事をしていると、子供の成長はあっという間。自分で日々の成長を見守りたいという思いが強くなってきたことが大きな理由です」

 2015年に一般男性と結婚。翌16年に第1子となる長男、18年に第2子となる長女が生まれた。現在3歳と2歳。育ち盛りで日ごとに違った表情を見せる子供と時間を共にしたい、という思いを会社も理解してくれた。

 仕事と子育ての両立を目指し、33歳でフリーになった中野さん。フィギュアスケートは3歳で始め、以降は競技一筋で駆け抜けた人生だった。荒川静香、安藤美姫、浅田真央ら多くの名選手としのぎを削り、国際舞台で活躍。五輪の舞台にこそ届かなかったが、女子史上3人目に成功させた3回転アクセルと、代名詞の「ドーナツスピン」の記憶は今なお、ファンの脳裏に刻まれている。

 早大大学院に在籍していた08-09年シーズン。GPファイナル進出(5位)などトップ選手として活躍する傍ら、一般の学生と同じように就職活動に挑み、フジテレビに内定。翌春の入社に合わせ、引退した。なぜ、第二の人生に「テレビ局員」を選んだのか。
 
 通常、中野さんほどの実績と知名度がある選手なら、引退後にフィギュア界で進める道は3つある。プロスケーター、コーチ、振付師だ。しかし、本人は「もともとスケートの仕事に携わるつもりは全然なかったんです。引退したら、1人の会社員として働くつもりで、現役中から第二の人生を描いていました」と言い、氷の世界から“卒業”の決断を下した当時の理由について明かす。

「プロスケーター、コーチ、振付師……どれにおいても、私は向いてないと思いました。コーチについてはマジメ気質な性格なので、自分ができたことが『なぜ、できないのか』と生徒に思ってしまいそうで(笑)、ストレスに感じてしまうのではないか。それで、まずコーチは選択肢の中からは外れました。

 プロスケーターも選択肢にあったけど、いつかは滑れなくなってしまう。どうしても過去の自分と比べてしまい、年齢的なことはもちろん、競技会に出ないことで筋力も落ち、衰えも来る。過去の自分から落ちていく姿を見せるのが私はすごく嫌で、『競技会のままの中野友加里』で終わりたかったんです」

 振付師ついては「芸術性のある仕事は全然向いてないと思っていたので」とあっけらかんと言い、「そうなると、スケートに携わる道がなくなっていました」。決して、競技にネガティブな感情があったから3つの選択肢を消したわけではなく、一個人として自分を客観的に分析していたからこそ。就職活動を始めたのは大学院1年生。23歳という若さで、随分と冷静で大人な思考に映る。

 本人は「現実を見るタイプなのかもしれませんね」と言う。

「地に足をつけるというか、将来は自分でお金を稼いで、生活基盤を立てていかなきゃいけないって思っていたんです。やっぱり、フィギュアスケートをやっているうちは両親に甘えてお金を出してもらい、外から見たら憧れの生活だったかもしれないけど、そのまま行っていたらフィギュアスケートだけしか知らない人間になっていたと思うんです。

 もっと幅広く知識を広げるためにも会社員になり、いろんな人と出会い、吸収しなければいけないなと。特に中学生の頃から憧れていたのがテレビ局。最初、憧れたのはキャスターでしたが、自分が取材される立場になると、次第に『取材する立場になりたい』と思い始め、テレビ局でいう記者、ディレクターの仕事を目指すきっかけになりました」

 こうして「就活生・中野友加里」としての決意は固まった。

記者として触れたスポーツ、第一歩は「野球のスコアブック」のつけ方だった

 テレビ局を目指すにあたり、記者を志望した理由には、かつての自分の“立ち位置”が影響していた。

 中野さんは「一人の選手がいて、ミックスゾーン(試合後のメディアの取材エリア)で記者の人たちがそれを囲んでいるじゃないですか。あの中の一人になりたいと思ったんです」と笑う。柵で隔てられた向こうに立っていた人が、記者が密集した柵の手前に立ちたいというのは、なんとも新鮮な価値観。しかし「選手だからできることがある」の視点は、一つの強みになっていた。

「選手時代には『こういう質問されたら嫌だな』『こういう風に聞けばいいのに』と考えながら、取材を受けていたので、自分が取材する立場になったらこんなことを聞きたいと思っていました。今、振り返ると記者の方々に勉強させていただいた感じです」

 当時は翌年にバンクーバー五輪を控えていた。実際の面接では「五輪に内定したらどうするんですか?」と聞かれたこともあったが「たとえ、五輪が決まっても入社したらテレビ局員として頑張ります」と答え、縁に結ばれた。

 入社後に配属されたのは、映画事業局の映画制作部。「アンフェア」「踊る大捜査線」など人気作のアシスタントプロデューサーを務めるなどバリバリと仕事をこなし、スポーツ局に異動が叶ったのは、入社3年目の10月のこと。

 フィギュアスケート一筋で生きたスポーツ人生。取材する立場となって、ほかの競技に触れると驚いた。「こんなにも私はルールを知らなかったんだ」。テレビ局のスポーツ番組は当然、あらゆる競技を報道する。フィギュア出身であっても、ニュースを作る立場として幅広い競技の知識をつけなければいけない。特に、担当していた番組「すぽると!」は野球色が強い番組だった。

 最初に格闘したのは、野球の試合中に展開、結果を記録するスコアブックのつけ方。野球記者の商売道具の一つだ。

「最初はヒットもゴロも同じに見えたくらいです(笑)。でも、そんなところから野球のルールを一つ一つ勉強し、分かってくると面白く感じ始めたんです。もちろん、理解するまでは大変だけど、だんだんと周りの記者の方々と同じような会話ができるし、ニュースの原稿も書くことができる。原稿が書けるようになれば、今度は現場に足を運ばせてもらうことができます」

 元トップアスリートであっても、もちろん特別扱いはない。アシスタントディレクター、いわゆるADとしてスタジオでアナウンサー、解説者に水出し、合図出しなどの裏方仕事もこなし、体力勝負の日々。しかし、さすがは元トップアスリート。人一倍の「負けず嫌い」と「成長したい」という思いを原動力にして、スポーツのルールを熱心に覚え、取材する競技はどんどん増した。

 特に、忘れられないスポーツの現場は2つあるという。

 1つ目は競泳日本選手権。2013年に当時大学1年だった萩野公介が史上初の5冠を達成した大会を取材した。驚いたのは大会スケジュール。トップ選手は1日で2、3レース出るのが当たり前。「フィギュアスケートは1日1曲、それに集中する。でも、1日に複数の種目、泳法で及ばないといけない。よく集中できるな、と」。アスリート出身で、現場に足を運んだからこそ受けた刺激だった。

 2つ目はラグビー日本選手権だ。当時は大学と社会人がしのぎを削る日本一決定戦だった大会。ルールは知らなかったが、先輩記者に学びながら観戦すると、のめり込んだ。「ラグビーはルールを知ると、すごく面白くて。昨年、ワールドカップ(W杯)が盛り上がる意味が分かっていたくらい。ルールを知ってみると、スポーツをひと味違って楽しめるようになるんだな」と振り返った。

 現役時代はルールも知らなかった数々の競技に触れた。すると、フィギュアスケートを一つのスポーツとして客観視できるようになった。そして、それが今の中野さんを形作る大切なピースとなった。

野球取材で得たフィギュア報道のヒント「選手の裏側にある価値を広めたい」

 “外から見たフィギュア”について、率直な思いを明かした。

「フィギュアスケートは繊細なスポーツです。スポーツではあるものの、クラシックバレエのような芸術も兼ね備えていないといけない。非常に繊細で、精神面も問われるスポーツ。心理的につらい部分もあると思います。とても華やかに見えますが、一方で裏側では女の子はダイエットに苦しんでいたり、実はすごいトレーニングを積んでいたりするもの。

 筋力トレーニングも、陸上トレーニングもそうです。そういった部分を取り上げて注目すれば、フィギュア界は華やかに見える一方で、裏側では『努力』という一言で片づけられないくらい、厳しい練習に耐え、取り組んでいるということがもっと多くの人に分かってもらえる。そうなれば、選手たちをもっと応援できる気持ちになれるのかなと思うんです」

 芸術の表現者としての顔だけでなく、アスリートとしての顔にスポットライトを当て、華やかさの裏にあるストーリーに共感してもらう。発想のヒントになったのは、プロ野球の取材現場にあったという。例に挙げたのは、グラウンドで見た風景だった。

「試合前の様子が事細かに映されますよね。打者ならバッティング練習の調子、投手ならブルペンのピッチングの様子とか。フィギュアはちらっと朝の状態が流れるだけ。そういう場面で実は重要な練習をやっていたり、本番より面白みがある可能性もあるんです。選手はみんなが知らないところで鍛錬を積み、表に見せないものですが、選手の裏側にある価値をもっと広めたいです」

 選手が表に見せず、みんなが知らない姿――。それは、選手だった中野さんだから知っていることがある。前述にある「女子選手の体型維持」も、その一つの例だ。「私自身もダイエットに苦しんだ一人です」と言い、現役時代の壮絶な体験を打ち明けた。

「毎日2回、多い日は3回、体重計に乗る。本当は良くないことなんですが、その増減に一喜一憂してしまうんです。本来は体重を落とさずに筋力を増やさないといけない。でも、今度は筋力を増やすと、体重がどうしても増えてしまう。そうすると『落とさないといけない』という固定観念……いや、恐怖心にとらわれてしまうんです。

 とにかく、毎日が体重計との戦い。毎日、体重をつけて増えることが恐怖でしかなかった。朝、増えた日は今日をどう過ごそうか、何を食べて過ごそうかと不安になる。ひどい時は『水を飲んでも太る』と言われていたので、ついにはのどが乾いたら水を口に含んで吐き出したり……ボクサーのような行動をしていた時期もありました」

 女子特有の体型変化の影響が少なく、体重の軽い15、6歳の選手が高難度のジャンプを跳び、有利になることもある。そうした背景もあり、現在、フィギュア界はシニアの年齢引き上げも議論の一つになっているが、中野さんは切実な選手の思いを代弁する。

「今の若い選手も同じように苦労していると思う。それを乗り越え、フィギュアスケートの舞台に立っている。華麗なスポーツではあるけど、精神的にすごくタフなスポーツでもあると踏まえた上で、応援する気持ちが生まれるように伝えていきたいです」

 フジテレビ退社後は子育てに軸足を置きながら、競技の魅力を伝える解説者のほか、大会で選手を採点するジャッジとしても活動。氷を溶かすほど熱い情熱をもって、フィギュア界のために奮闘している。その礎となったのは、9年間で培った経験にある。

「あの時、多くの現場に足を運ばせてもらった。それは記者になり、スポーツニュース番組に携らないとできないことだった。最初は記者として別の競技に取材に行くのは戸惑いもありましたが、その中で多くの人との出会い、経験が今の私に生きています」

 トップスケーターとして活躍したこと、1人の会社員になったこと、外からスポーツの現場を感じたこと。そこで見たすべての景色を糧にして、新たな道を踏み出した今。「中野友加里だから伝えられること」にこだわり、フィギュアスケートと共に歩む。

(16日掲載の第2回は「中野友加里が考えるフィギュアスケートの魅力」)(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)