福田正博 フットボール原論■長谷部誠がブンデスリーガでアジア人最多出場記録を更新。浦和レッズ時代から彼を見つづけてきた福田正博氏が、その成長とドイツでの変化、今後への期待について語る。ブンデスリーガのアジア人最多出場新記録をつくった長谷部誠…

福田正博 フットボール原論

■長谷部誠がブンデスリーガでアジア人最多出場記録を更新。浦和レッズ時代から彼を見つづけてきた福田正博氏が、その成長とドイツでの変化、今後への期待について語る。



ブンデスリーガのアジア人最多出場新記録をつくった長谷部誠

 長谷部誠が、ドイツ・ブンデスリーガにおけるアジア選手の最多出場の新記録を樹立した。

 2008年1月に浦和レッズからヴォルフスブルクに移籍し、そこから約13年間でニュルンベルク、フランクフルトと移りながら、6月6日のマインツ戦で309試合目の出場を果たした。

 2002年に藤枝東高から浦和レッズに入団した頃の長谷部を知っているだけに、”あの少年”がドイツで記録をつくり、これほど長くプレーできていることは感慨深い。浦和に入団した頃の長谷部は気が優しくて、あまり自己主張しないタイプだった。プロの世界で生き抜いていくには、その優しさはネックになるかもしれないなと思っていたほどだ。

 もちろん、才能は間違いなくあった。

 長谷部が1年目の浦和レッズは、監督がハンス・オフト、コーチがビム・ヤンセンで、彼らは私に「長谷部が今後、チームの中心になる」とたびたび語り、期待していた。

 それはアウェーでの試合に表れていた。1年目の長谷部はリーグカップ戦に1試合出場したのみだが、遠征にはいつも17番目の選手として帯同していた。ベンチ入りできる16選手に何か起きた場合の備えでもあったが、それ以上に、試合に向けた流れや、先輩選手たちの気持ちの持っていき方などを身近で長谷部に経験させようという狙いがあった。

 しかし、高校を出たばかりの選手が、それを理解するのはなかなか難しい。遠征に帯同しても試合に出られるどころか、ベンチにも入れないし、練習も満足にできない。そのため「残って練習したい」と不満を漏らすこともあった。ただ、2年目から試合にコンスタントに出場するようになった時、この経験が彼を助けたと思う。

 浦和時代の長谷部は、ゴール前にドリブルで持ち込むプレーも多いMFだった。ピクシー(ストイコビッチ)やロナウジーニョ、ネイマールのようなトリッキーさはないけれど、無駄を削ぎ落としたプレーで推進力を発揮した。そのプレースタイルと端正な顔立ちから、仲間内では”和製カカ”と呼ばれたりもした。

 ただ、そうしたプレーがドイツでは通用しなかった。欧州に渡ったことが、彼にとってターニングポイントだったと思う。

 攻撃的なポジションは、チャレンジ精神が旺盛なタイプの選手に合う。長谷部は攻撃的な能力を持っていたが、リスクを背負ってチャレンジするよりは、どちらかといえば堅実に仕事を遂行するタイプ。それだけにドイツに行ってポジションを後ろに下げたことが、彼の持ち味を最大限に引き出すことにつながった。

 日本代表にはジーコ監督時代の2006年1月に初招集されたが、代表に定着したのはドイツに渡った2008年以降。代表に定着していなかった頃に、浦和レッズで結果を残したことでドイツに行くチャンスがめぐってきた。長谷部はブンデスリーガ挑戦の理由を「自己主張できない自分を変えたかった」と、以前語っていたが、こうした自己分析力も長谷部が長くプレーできている要因だろう。

 長谷部のすばらしさは、思い描いている将来のビジョンに対して、そこに到達するために何が必要で何が足りないかを客観的に見る目を持っている点だ。環境を変える必要性があれば、そこに飛び込むこともためらわない。

 さらに、単に高みを目指すだけではなく、そこで生き抜くための努力を惜しまない。だから、ドイツに渡って半年あまりでドイツ語を習得し、その後はチームのキャプテンを任されるまでになった。

 そして、いまでは長谷部の最大の武器はコミュニケーション能力と言っていい。これは単に言葉が喋れるということではない。長谷部は以前、様々な言語が飛び交う多国籍軍のフランクフルトでのチームメイトとの会話について、笑いながら「最終的には日本語で怒っています」と語っていた。

 身振り手振りで伝えるのとはワケが違う。ドイツ語を話せたうえで、最終的には言語を超えたところでコミュニケーションを成立させる。自己主張ができるようになりたくてドイツに渡った長谷部が、それをできるようになった。だからこそ、監督やチームメイトから絶大な信頼を寄せられているのだ。

 また、長谷部がドイツで評価される理由は、監督の考えを理解し、他の選手がやりたがらない役割に徹することができる点だ。監督が一を言えば十を理解し、チームの勝利のために規律を守って献身的に働く。日本人の特長をヨーロッパでも失わずに、強みとして発揮している。

 今シーズンの長谷部は、昨年途中から存在感を発揮した3バックの中央でスタートした。しかし、チームの攻撃的な戦力が落ちたこともあって結果が出ずに、途中からチームのシステムが4バックに変更されて出番を失っていた。ただ、新型コロナウイルス感染拡大による中断後、リーグが再開してチームが3バックに戻ってから出場機会を得て、存在感を示している。

 長谷部の契約は来年5月まで延長されたが、長谷部のポジションは肉体のみならず、経験がモノを言うポジションなだけに、彼自身がプレーをつづける気持ちを維持できれば、さらに延びる可能性はある。

 ただ、長谷部のプレーをもっと長く見たいと思う一方で、長谷部だからこそ切り開ける日本サッカーの新時代を見たいとも思っている。

 これまで日本の指導者が、手腕を評価されて欧州主要クラブの指揮をしたケースはまだない。ヨーロッパでの指導者ライセンスを持っている日本人はいても、監督や強化担当など責任ある役割を任された例はあまりない。

 多くの場合、語学力がネックになるが、長谷部にはその心配がない。さらに、若くしてドイツに行き、複数のチームを渡り歩きながら多くの指導者の下でプレーしてきたので、様々なノウハウを蓄積できているはずだ。

 4、5年前に会った時、長谷部は「引退後は寿司屋になりたいです(笑)」と冗談で語っていたが、最近では指導者という選択肢も入ってきているようだ。本場ヨーロッパのトップリーグのクラブで日本人が監督として活躍する夢を、長谷部なら実現してくれる気がしてならない。

 少し気の早い話しをしてしまったが、長谷部は今シーズンも来シーズンも現役でプレーする。来シーズンはコロナ禍が終息に向かって”これまでどおり”のスタジアムでプレーできるようになることを願うばかりだ。サッカーができる喜びを満喫しながら、”長谷部らしさ”を存分に発揮してほしい。