ヤクルト、日本ハム、阪神、横浜の4球団でプレーした野球解説者の野口寿浩氏 マウンドに立つ長髪左腕の姿を、今でも生々しく覚えている。16年前、阪神不動のエースだった井川慶投手は、広島市民球場での広島戦でノーヒットノーランを達成。その試合でマス…

ヤクルト、日本ハム、阪神、横浜の4球団でプレーした野球解説者の野口寿浩氏

 マウンドに立つ長髪左腕の姿を、今でも生々しく覚えている。16年前、阪神不動のエースだった井川慶投手は、広島市民球場での広島戦でノーヒットノーランを達成。その試合でマスクをかぶっていたのが、現役時代にヤクルト、日本ハム、阪神、横浜の4球団で捕手としてプレーし、2017年から2年間ヤクルトでバッテリーコーチを務めた野球解説者の野口寿浩氏だった。Full-Count YouTubeでは、快挙達成の裏にあった生々しい状況を野口氏が回顧。試合後の井川との秘話も披露している。

 04年10月4日。日本ハムから阪神に移籍して2年目だった野口氏はようやく、そのシーズン初めてスタメン出場の機会を得た。岡田彰布監督就任1年目。捕手は矢野燿大(現阪神監督)で固定され、2番手としてベンチにいる時間が長いシーズンだった。前年に沢村賞を獲得した井川は、ペナントレース終盤にかけて調子を落とし気味で、目先を変えたい首脳陣の目論見によりバッテリーを組むことに。左腕復調につながるリードを託されたが、まずは「空回りしないように」という意識が最優先だったという。

 井川とのコンビは「相性という意味ではいい方だったと思う」。後ろ向きな意識はなかった。試合前のブルペン。「真っすぐの走りはそこそこ良かった。変化球もある程度まとまっていた」。だが、直球のコントロールがどうも定まらない。パワーピッチャーにとって、直球は生命線。「どうしたもんかな」と不安を抱えていたため、バッテリー間で「慎重に立ち上がろう」と意識合わせ。今思えば、それが快投を呼ぶきっかけになった。

「(井川の)状態がいい時は、立ち上がり6:4か7:3の割合で真っすぐが多いんですが、1巡目はあえて変化球を多くまぜていました。半々(5:5)前後だったと思います」。いつもとは違う組み立てに、打者たちが戸惑う。序盤にも関わらず、ベンチ前で広島ナインが円陣を組んだのを見た野口氏は「普段と違うなというところを感じてくれたんじゃないか」と推察した。その予想通り、2巡目は変化球を頭に置いたタイミングの取り方をしてきた。相手の対応を逆手に取り、今度は直球を増やした組み立てに。「うまくいった」と、してやったりだった。

 7回まで走者を1人も出さない完全試合ペース。中盤から終盤に進むにつれて、野口氏はベンチ内の“異変”を感じていた。試合の合間にアンダーシャツを着替えていても、誰も近寄ってこなくなった。周囲が気を使っているのが、手に取るように分かった。「どんどん空気が重くなるような感じはしていました。そういう雰囲気をすごく感じて、余計に硬くなる面はありましたね」。ただひとり違ったのは、マウンド上で淡々とアウトを重ねる当の左腕だった。

井川がポツリ…「そういえばランナー1人も出してないですね。まだ1本も打たれてないですね」

 6回か7回が終わったあたりだったと、野口氏は記憶している。飄々とした表情の井川が、ふと言った。「そういえばランナー1人も出してないですね。まだ1本も打たれてないですね」。その一言に、面食らった。「こいつはすごい。こういう状況なのに、冷静に見ているんだなと」。誰よりも地に足がついている姿が、何とも頼もしかった。

 局面が変わったのは8回。先頭の新井貴浩にフルカウントから直球を打ち返され、一塁手の関本賢太郎が打球を弾いた。「ヒットかな」と思った野口氏は、固唾を飲んで電光掲示板を見つめる。記録はエラー。「ランプが『E』ってついたので、すごくほっとした部分はあった」。マウンドの井川に、違いは特に感じられない。そこで代打が告げられ、打席には前田智徳。「一番怖いバッター」と警戒していたが、置かれた状況は悪くなかった。1死一塁。初球に要求した内角への際どい直球が逸れて死球に。「結果的に逃げることに成功しましたね」。そう野口氏は当時を振り返る。2死一、三塁までピンチは広がったが、快音は許さなかった。

 最終回もすんなり終わらない。先頭の代打・木村一喜に四球を与え、不穏な空気が漂う。試合は、7回に奪った虎の子の1点を守りきる展開。被安打ゼロは続いていたが「ものすごくいい試合だったので、まずはこの試合を勝ちたいというのが第一だった」と野口氏は思っていたという。その後、2死までこぎつけ、最後の打者は嶋重宣。首位打者を快走し、当時のセ・リーグシーズン最多安打記録まで5本と迫っていた「赤ゴジラ」を迎えた。

「そろそろ(安打が)出るころかなというくらいに思っていました」。野口氏には嫌な予感もあったが、18.44メートル先から伝わってくるのは痛いほどの気迫。「ものすごい顔をして、とんでもない力感で投げてくる。最後の力を振り絞って立ち向かってくれた」。渾身の直球で左飛に仕留め、マウンドにできた祝福の輪。ナインに担ぎ上げられる井川の頭を、飛び跳ねてポンポンとたたいた野口氏は「終わったーよかったーと、いろんな意味で力が抜けました」と安堵感に満たされたという。

 その余韻に浸ったまま、宿舎へ。クールダウンでフィットネスバイクを漕いでいた井川に話しかけに行くと、さらりと言われた。

「きょうも野口さんのサインに、首を1回も振りませんでしたよね」

 その言葉こそが、快挙を成し遂げた“らしさ”だと思ったという。威力抜群の直球をはじめ好投手なのは言うまでもないが、魅力はそれだけじゃない。「キャッチャーが出すサインの意図をしっかり考えてくれて、力の強弱をつけながらバッターを牛耳ってしまうピッチャー」。8歳下の左腕に、あらためて恐れ入った。野口氏自身にとっても、ノーノーは大きかった。「周囲の目を引きつけることはできた。いいアピールにはなったのかなと」。マスク越しに焼き付けた鮮やかな記憶は、いつまでも色褪せることはない。(Full-Count編集部)