F1記憶に残るドライバー列伝(8)ジョバンナ・アマティ史上5人目の女性ドライバーとして1992年にF1参戦したジョバンナ・アマティ 今、女性ドライバーが世界各地でF1を目指して活動を続けている。 2020年シーズン、日本最高峰スーパーフォー…

F1記憶に残るドライバー列伝(8)
ジョバンナ・アマティ



史上5人目の女性ドライバーとして1992年にF1参戦したジョバンナ・アマティ

 今、女性ドライバーが世界各地でF1を目指して活動を続けている。

 2020年シーズン、日本最高峰スーパーフォーミュラにコロンビア出身の27歳、タチアナ・カルデロンが参戦。F1直下のF2選手権にも参戦経験のある彼女は、17年からF1アルファロメオ・チームで、開発およびテストドライバーを務めている。

 19年には女性ドライバーだけが参戦する国際的なフォーミュラカーレースのWシリーズがスタート。日本からは、「夢はF1ドライバー」と公言する22歳の小山美姫がエントリーした。



2019年Wシリーズで好成績を収めた小山美姫

「将来、女性F1ドライバーを輩出すること」を目標に掲げるWシリーズでランキング7位という好成績を残している。

 また元F1ドライバーの野田英樹を父に持つJuju(樹潤)も注目を集める日本人女性ドライバーのひとりだ。F1で勝つことを夢見る14歳のJujuは今シーズンからデンマークのF4選手権に参戦。家族そろってヨーロッパに渡り、F1へのステップアップを目指している。

 F1には過去に5人の女性ドライバーがエントリーしたが、そのうち予選を通過し、決勝に出場したのは2人だけ。1958年に初めての女性F1ドライバーとして歴史に名を刻んだマリア・テレーザ・デ・フィリッピス(最高位10位)と、75年のスペインGPで6位に入り、女性として初めて入賞を飾ったレラ・ロンバルディである。
 
 2014年には当時31歳のスージー・ヴォルフがイギリスとドイツの両GPでF1マシンを走らせたが、あくまで練習走行でのことだった。



練習走行で、F1マシンを走らせたスージー・ヴォルフ

 最後に女性ドライバーがレースに挑戦したのはもう30年近くも前のことになる。1992年にブラバムから参戦したジョバンナ・アマティだ。

 ローマ出身のアマティはイタリアF3を経てF1直下の国際F3000で4シーズンにわたって戦っていたが、入賞経験はゼロ。F1に乗れるだけの実績はなかったが、ある日、当時のF1を取り仕切っていたバーニー・エクレストンから電話があり、突如、ブラバムからデビューすることが決まったという。

 ブラバムは元F1チャンピオンのジャック・ブラバムが設立し、合計6度の世界タイトルを獲得した名門チームだが、資金難のために存亡の危機を迎えていた。そこで著名な映画プロデューサーであり、映画館チェーンを経営する父を持つ彼女に白羽の矢が立ったのだろう。しかもアマティは、映画女優の母から受け継いだ美しさも兼ね備えていた。

 彼女のデビュー戦となった1992年シーズンの開幕戦、南アフリカGPは大いに盛り上がった。

 しかしセッションが始まると、アマティへの期待は急速にしぼんだ。彼女は予選でポールポジションを獲得したナイジェル・マンセルより約9秒も遅く、チームメイトに対しても約4秒遅れ、決勝に進出できなかった。

 続くメキシコ、ブラジルも同様のパフォーマンスしかできず、アマティは後にF1チャンピオンになるデイモン・ヒルにシートを明け渡す。

 F1を離れた後のアマティは、ポルシェやフェラーリのワンメイクレースやスポーツカーの耐久レースに活動の場を移した。99年には現在のFIA世界耐久選手権の流れをくむスポーツレーシング・ワールドカップのSR2クラス選手権でランキング3位の成績を残した。

 アマティは18歳の時に、武装集団による身代金目的の誘拐事件に遭い、2カ月以上も監禁された後、両親が約100万ドルを支払って解放されたという過去がある。「この経験が私を強くした」と本人は語っているが、かつて完全な男社会だったレース界で彼女がF1までたどりついた強さの理由のひとつかもしれない。

 ドライバー引退後は、F1中継などのテレビ解説をしていたアマティ。当時フェラーリのアドバイザーを務めていた元世界チャンピオンのニキ・ラウダとの交際でも話題を集めた。ラウダは昨年5月に亡くなったが、その直後にアマティの公式フェイスブックには、若き日の彼女がビキニ姿でラウダと肩を寄せ合いながら浜辺を歩く写真が掲載された。親密な関係がうかがえるが、ふたりが恋人以上になることはなかった。

 現在60歳となったアマティだが、現役当時と印象がほとんど変わらず、セレブとして華やかな生活を送っているようだ。

 アマティがF1を走ってから長い月日が流れたが、その間にレースを取り巻く環境は大きく変わった。92年当時のF1はピットに16チーム32台のマシンが並んでいたが、チーム数は減少の一途をたどり、現在は10チーム20台しかない。

 その狭き門をくぐるために、世界中のF1を目指す子どもたちは10代で自動車メーカーやチームなどのドライバー育成プログラムに加入し、ライバルたちと切磋琢磨している。その中に多少といえども肉体的なハンディをもつ女性が食い込んでいくのは簡単ではない。

 それでもWシリーズの初代チャンピオンに輝いた22歳のジェイミー・チャドウィックは、昨年に引き続きF1のウイリアムズ・チームの開発ドライバーを務めた。各メーカーやチームの育成プログラムに女性を加えようという動きも出始めている。




Wシリーズ初代王者のジェイミー・チャドウィック

 ただ、ドライバーの育成には長い時間がかかる。アマティが「最後の女性F1ドライバー」と呼ばれる時代はもうしばらく続くのかもしれない。

【profile】ジョバンナ・アマティ Giovanna Amati
1959年イタリア・ローマ生まれ。イタリアF3や国際F3000を経て、92年にブラバムからF1に参戦を果たす。彼女のシートにはもともと日本人ドライバーの中谷明彦が座る予定だったが、現在の国際自動車連盟(FIA)の前身FISAからスーパーライセンスが発給されず、アマティに急遽チャンスが巡ってきた。現在60歳だが、相変わらずの美しさ。