連載「Voice――今、伝えたいこと」第28回、被災からスポーツの力を知った男のメッセージ

 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽しむことができず、アスリートは自らを最も表現できる場所を失った。

 日本全体が苦境に立たされる今、スポーツ界に生きる者は何を思い、現実とどう向き合っているのか。「THE ANSWER」は新連載「Voice――今、伝えたいこと」を始動。各競技の現役選手、OB、指導者らが競技を代表し、それぞれの立場から今、世の中に伝えたい“声”を届ける。

 第28回はアイスホッケーの田中豪(東北フリーブレイズ)が登場する。2007年のアジア競技・長春大会で金メダルを獲得するなど、日本代表でも長らく活躍したベテラン。9年前、チームが本拠地の1つとしている福島県郡山市は、東日本大震災で甚大な被害を受けた。競技ができない苦しさも味わい、復興に向かう中で競技の価値を知った男は「一瞬一瞬を大切にしてほしい」と語った。

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 9年前の3月11日。忘れもしない本震の瞬間は、アイスリンクで迎えた。

 日本、韓国、ロシアのチームが参加するアジアリーグの2010-11シーズン。田中が所属する東北フリーブレイズはプレーオフファイナルまで進出。翌日の安養ハルラ(韓国)との決戦の地、福島県郡山市の磐梯熱海アイスアリーナで公式練習が始まる直前だった。

「練習前、リンクで着替えているときに本震がありました。経験したことのない揺れ。防具を着たまま外に飛び出しました。中にはスケート靴を履いている選手もいたけれど、そのままコンクリートの上を走って屋外に飛び出したという状況でしたね」

 福島では最大震度6強を記録。衝撃的な大地震に動揺を抱えたまま、安全を確保するためチームバスで待機した。配信されていたニュースは、押し寄せる津波の映像など信じられないものばかりだった。「怖くなりましたし、言葉にならないくらいの出来事だったことを覚えています」。電話取材でも、当時の恐怖が伝わってきた。

 元々宿泊していたホテルも利用できなくなり、付近の旅館に宿泊できることになったものの、3~4日は身動きが取れない状態に。結局プレーオフは中止となり、安養ハルラと同時優勝となった。2008年に発足したチームにとって初優勝だったが、喜びを感じる余裕はなかった。

「試合をやりたいという気持ちはありましたけれど、ニュースや状況を見る中で『今はスポーツをやるのはおかしい』と思いましたし、そんなことを言っているような状況ではなかった。気持ちは複雑でしたが、自分たちにできること、みんなが無事であることや、状況がよくなるということを気にしていました」

 東北フリーブレイズは青森県八戸市に本拠地を置くが、運営会社は福島県郡山市に所在。ホームタウンを2つ持っているチームだ。震災後、八戸に戻ってからは海沿いで浸水した地域の土砂撤去や家屋の清掃など、選手はボランティア活動を積極的に行った。練習も徐々に再開したが、9月からのシーズンが通常通り開幕するのか、選手の契約がどうなるかなど不透明な部分が大きい状態だった。

 結局、チームの体制が整うのが遅れるなど、不安を抱えたままシーズンが開幕。優勝から一転、7チーム中6位でプレーオフ進出も逃した。

「復興、被災地にあるチームということで、いろいろなことを背負って戦わなければならない。結果が必要だったんですけど、あまりよくないシーズンになってしまって、悔しい思いをしました。その思いが『やっぱり自分たちはやらなければならない、このままでは終われない』という気持ちになったんだと思います」

忘れられない福島での試合「涙を流されている方も…」

 捲土重来を期した翌シーズン、東北フリーブレイズはレギュラーリーグ2位で終えると、プレーオフも勝ち抜き、初の単独優勝を果たした。最後の試合が行われた本拠地・テクノルアイスパーク八戸では、満員の観客に祝福を受けた。

「涙が出るくらいうれしかったです……背負っていたものが全部降りたというか。うれしいというのもありましたが、会場も満員の中でそういう試合ができ、結果を届けることができたというところで、すごくホッとしたという気持ちでした」

 続く2013-2014シーズン。「震災は、チームとは切っても切り離せないものになっていた」と話す田中は忘れられない光景を目にする。11月16日、被災してアイスリンクが使用できなくなっていた福島で、2年ぶりに試合が開催された。チームが戻ってくることを待ちわびていたファンが客席を埋め尽くしていた。

「やっと試合ができるということで楽しみもあり、あの時(2年前のプレーオフ)試合ができなかったからいい試合を見せたいという思いで戻ったのですが、ファンの皆さんが『戻ってきてくれてありがとう』『また試合をしてくれてありがとう』『ずっと待ってました』と……。

 涙を流されている方もいて、また試合ができるようになってよかったと思いましたし、それだけアイスホッケー、自分たちを待っていてくれた。被災されている方もいる中で、そういう風に思ってくださる方がいるということに、改めて自分たちの存在の意義、スポーツ選手としてやらなければならないことの大切さをわからせてもらったと思う」

 震災から9年。現在は新型コロナウイルスの影響で、7月1日の練習開始、9月のシーズン開幕など不透明で、契約面にも不安を抱える選手は多いという。開幕後、多くの観客に試合会場を訪れてもらうため、田中は他の選手とZoomや電話で度々話をしている。

「アイスホッケーは日本ではマイナースポーツ。正直に言うとお客さんに本当に来てもらえるのかとか、そういう不安もあります。ほかのアスリートの方もSNSなどで情報を発信しています。アイスホッケー選手としても、競技の普及発展のため、裏の部分を魅せられるチャンスだと思います。

 競技の認知度を上げたり、子どもたちに練習方法などを伝えたり。試合は見れない時期ですがファンの方に楽しんでいただける企画をやるとか、そういったことはやっていかなければならないかなと思います。プレーだけじゃなくて、違う部分でアイスホッケーの価値を伝えられるようにしたいです」

最も伝えたいこと「一瞬一瞬、目の前のことに無駄なことはない」

 様々な大会が中止、延期となるなどコロナの影響を受けているスポーツ界。アスリートが通常通りの日常が送れない今に、田中は9年前との類似点を見出すとともに「もろさもこの状況で浮き彫りになった」と感じている。

「競技を毎年やれるのは当たり前じゃない。いろんな存在、チームメートもそうですし、指導者、ファンの皆さん、スポンサーさん、リーグを運営されている方……いろんな人の支えがあってスポーツが成り立つというのを再認識させられましたし、世界中の人が大変な思いをしている中で、当たり前にシーズンができるというのはない。本当に周りに支えらえれているというのはすごく感じています」

 東北復興にアスリートとして尽力してきた田中が最も伝えたいことは「一瞬一瞬を大切にしてほしい」ということだ。今までの日常が当たり前ではなかったと感じられる昨今、些細なことでも全力で取り組んでほしいと願う。

「一瞬一瞬、目の前のことに無駄なことはないと思う。『あの時こうすればよかった』とか後悔はあると思うんですけど、次やればいいやとか、今度頑張ればいいやとなると、こういう状況になったときに後悔することになると思う。一瞬一瞬を大切にして、目の前のことに全力で楽しんで取り組むということをやってほしいなと思います」

 被災地の悲しみも、今回のコロナがもたらした被害も「ゼロになることはない」と感じている。それでも、前に進まなければならない。スポーツが持つ力を知る者として、最後にこう語ってくれた。

「スポーツの持つ力は計り知れないものがあると思います。感動してもらったり、喜んでもらったり、勇気を与えられるという力。そういうものを伝えるために自分たちはやっているんだなと、震災後に感じました。

 大変な時期ですけど、家にいる中で今まではゆっくり考えられなかったことを考えてみることもできますし、行動を起こすことで『苦しい時期があったけれど、いろんなことを考えて成長できたな』とか、そう思えれば前向きになれるんじゃないかなと思います。一瞬一瞬を大事にして、楽しむことを忘れないでいたいです」

■田中 豪(たなか・ごう)

 1983年10月6日生まれ。北海道札幌市出身。6歳からアイスホッケーを始め、中学校卒業まで雪印ジュニアに所属。北海高、早大を経て、アジアリーグのSEIBUプリンスラビッツに入団。2007年のアジア競技・長春大会では日本代表の一員として金メダルを獲得。2009年のラビッツ解散を機に、ドイツ2部のESVカフボイレンに移籍。2010年にアジアリーグ・東北フリーブレイズに入団した。2012年からは日本代表ナショナルチームの主将を務めた。ポジションはFW。(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)