僕はこうして逆境を乗り越えてきた 〜塩谷司(アル・アイン)前編〜 塩谷司がサンフレッチェ広島からUAE(アラブ首長国…
僕はこうして逆境を乗り越えてきた 〜塩谷司(アル・アイン)前編〜
塩谷司がサンフレッチェ広島からUAE(アラブ首長国連邦)のアル・アインFCに移籍して、3年の月日が過ぎようとしている。世界的に新型コロナウイルス感染症が広がっている今、UAEで生活する彼にも大きく影響が出ているという。

外出を制限されて自宅でトレーニングに励む塩谷司
自宅から画面越しにインタビューに応じてくれた塩谷は、開口一番、こう言った。
「今は日本よりも、こっちのほうが被害は拡大しているかもしれないですね」
WHO(世界保健機関)による世界各国の感染拡大状況を確認すれば、5月24日の時点でUAEの感染者数は2万8000人を越えているとの報告がある。
「僕自身、国内における正確な感染者数を把握しているわけではないのですが、かなりの検査を実施しているとは聞いています。UAEは約8割が他国から出稼ぎに来ている人たち。そうした人たちは大部屋で生活していたりと、感染しやすい状況にあるみたいなんです。
国としても、そうした状況からさまざまな規制を設けていて。たとえば、クルマには3人以上で乗ってはいけないし、お店でもソーシャルディスタンスを守らなければ罰則があったり、マスクをせずに外出したら罰金があったり。ラマダンの時期は少し規制も緩和されたんですけど、それが終わるということで再び規制が厳しくなってきたところはあります」
とくに夜間は、医療従事者をはじめ、国から許可を得られた人でなければ外出することはできないという。実際、塩谷も食事はデリバリーサービスを利用するなど、可能なかぎり外出を控え、家族と自宅内で過ごす日々が続いているという。
「3月中旬にトレーニングも中止になって、選手も自宅待機になったんです。それで家でトレーニングができるようにと、急いでトレッドミル(ルームランナー)やエアロバイクを買いに行ったんですけど、その翌日に外出禁止になったので、本当に買っておいてよかったなと。
当初、リーグは5月くらいに再開する予定で話が進んでいたんですけど、それも難しくなり、さらに自粛期間が延長され、今は8月の再開を目指して取り組んでいくことになりました。これも現時点での発表なので、変更になるかもしれないですけどね」
所属するアル・アインFCが参加するアラビアン・ガルフ・リーグは、シーズンの佳境を迎えていた。2019−20シーズンのリーグ戦は残り6試合で、アル・アインFCはカップ戦の決勝も戦う予定だった。
「当初はトレーニングしていたんですけど、再開が8月に伸びたので、今は負荷をかけるトレーニングは一旦、やめています。本来なら5月中にはリーグ戦も終わって、日本に帰国している時期なんですけどね。こうした状況では、帰国するわけにもいかないですから。
ただ、6月中旬にチームが再始動するという連絡があったので、そろそろ本格的に動き出そうかなとは思っています。リーグ再開後、残りの公式戦を戦うのか、それとも新シーズンとして始まるのかは、まだ決まっていないみたいなんですけど」
普段、家事などは妻に任せっきりだという塩谷も、自粛期間中は手伝うなどして分担していると教えてくれた。また、UAEでの生活が長くなっている子どもたちは、英語を話す機会が多く、いずれ日本に戻った時のことを考えて、日本語の読み書きを教えているとも話してくれた。
「日本でプレーしている選手たちとは、それほど連絡は取っていないですね。広島時代のチームメイトだと、少し前に(佐藤)寿人さん(ジェフ千葉)と連絡を取ったかな。(清水)航平とは『Instagram』でライブ配信をやろうという話になったんですけど、UAEは規制があってできなかったんです(苦笑)。
ほかには、東京ヴェルディの小池純輝くんと『zoom』で会話しました。あとは地元・徳島でサッカースクールを開設したんですけど、オンラインで子どもたちと一緒にトレーニングをしています」
日本の状況は、サッカーを通じた仲間や知人たち、ニュースを通して確認しているという。遠く離れた場所で生活する塩谷だが、自分がお世話になった土地や人々に、何か力になることはできないかと行動を起こしていた。
「生まれ育った徳島や、長くプレーした広島には、家族もいれば知り合いもいて、病院では1週間続けて同じマスクを使用しているという話も聞きました。そうした状況を何とかできないだろうかと思っていたところ、知り合いを通じてマスクをまとめて購入できるという話をもらったんです。
徳島の感染者は比較的少ないみたいですけど、それでもマスクは不足しているという。広島も含めて、お世話になった土地や人たちの力に少しでもなれればなと」
その思いから、塩谷は広島市に8000枚、徳島市に1万枚のマスクを寄贈。約1年前に地元・徳島にサッカースクールを開校したことも含めて、そこには常に「感謝」の気持ちがある。
「関東近郊ならば、子どもたちがサッカーをする選択肢は、たくさんあると思うんです。チームもたくさんあって、いろいろな指導者もいる。でも、地方になると、活動しているチーム数も限られてくる。
僕が育った徳島は、グラウンドもかなり少ないんです。そうした環境を少しでもよくできたらいいなという思いは、ずっと、ずっとあった。だから、スクール事業を通して徳島のスポーツ界を活性させられたらいいなと」
立ち上げたばかりということで、まだスクール生はそれほど多くないというが、コロナ禍で行なったオンラインによる交流では、子どもたちのうれしそうな顔を見て、自分が起こした行動が力になっていることを実感できた。
「本来なら6月には日本に帰って、子どもたちと一緒にサッカーをする予定だったんですけどね。一緒にボールを蹴ることはできないですけど、今は毎週のようにオンラインで交流している。子どもたちみんなの顔を見ながら一緒にトレーニングをして、いろいろな話をする機会もできて、コロナ禍で大変ではありますけど、いいこともあったのかなって、前向きに考えています」
塩谷が生まれ育った故郷や長く住んだ土地に感謝を示すのには、理由がある。彼はこれまで歩んできた人たちによって、背中を押され、人生を導いてもらってきたからだ。
近況を聞き終えて話題を変えると、画面越しでもわかるくらい表情を変えた塩谷は語り出した。
「俺、大学を途中でやめて就職しようと思っていたんですよね……」
さらに言葉は続く。
「もともと、性格的にはネガティブなところもあって、物事を悲観的に考えてしまうことが多かったんです。とくに学生時代は、世代別の代表に選ばれることもなければ、何かに引っかかるような選手でもなかったので。それでも、絶対にそうした選手たちよりも上に行ってやるんだという思いだけは持っていたんですけど、やっぱり……自分的に一番きつかったのは大学時代かな……」
それこそが、塩谷にとってのターニングポイントであり、人生で最も逆境に立たされた時期だった。
(後編につづく)