東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第12回 競泳・瀬戸大也
リオデジャネイロ五輪 400m個人メドレー(2016年)

 アスリートの「覚醒の時」――。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。

 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく――。




リオ五輪の400m個人メドレーでは、同世代の左から瀬戸大也、萩野公介、チェイス・カリシュの3人が金メダルを争った

  瀬戸大也は2019年世界選手権で、個人メドレーの200mと400mで優勝して東京五輪内定を勝ち取り、200mバタフライでも銀メダルを獲得した。いまや名実ともに日本競泳界のエースとなった彼の飛躍のきっかけは、オリンピック初出場の2016年リオデジャネイロ五輪だった。

 瀬戸には、幼い頃から同学年のライバル・萩野公介という存在がいる。中学2年で出場したJOCジュニアオリンピックカップ400m個人メドレーで、瀬戸は萩野に初勝利をおさめたが、萩野は高校1年でパンパシフィック選手権の代表に入ると、高校3年の2012年にはロンドン五輪に出場。400m個人メドレーで銅メダルを獲得し、ライバルは常に瀬戸の一歩先を行っていた。

 萩野はさらに、2013年の日本選手権で個人メドレー200mと400mで日本記録を更新。史上初の5冠を達成して日本のエースに成長した。8月の世界選手権では800mリレー以外の個人で5種目に出場し、そのすべてで決勝進出を果たした。そして、400m自由形と200m個人メドレーで銀メダルを獲得する充実ぶりを見せた。

 一方、瀬戸もその世界選手権で、初出場ながら勝負強さを見せていた。

 大会最終日の400m個人メドレー決勝では、序盤から飛ばす萩野と競り合った。300m折り返しでは3位に1秒半の大差をつけており、ふたりの1位と2位は確実に見えた。しかし、350mを折り返してから、14本目のレースで疲労が出たのか萩野が大きく遅れ始めるという予想外の展開になった。対して瀬戸はペースを維持し、自身初の4分10秒突破となる4分08秒69で同種目日本人初の金メダルを獲得した。

 2015年の世界選手権は、萩野が大会直前に肘を骨折して欠場を決めたことで、瀬戸にプレッシャーがかかったのか、大会前のキックの練習中、踵に痛みが出るアクシデントもあった。そんな状況下で出場した最初の種目は、前年から記録を伸ばしてきた200mバタフライだった。しかし、結果は6位。続く200m個人メドレーも準決勝敗退と不本意な結果になった。

 だが、最終日の400m個人メドレーは平泳ぎで抜け出すと、自己ベストのタイムで大会連覇を達成して、リオデジャネイロ五輪代表内定を勝ち取った。

「絶好調でないことはわかっていましたが、コーチからは『2年前よりも確実に力がついているから、自力で内定を獲ってこい』と言われました。100%ではない状態で4分8秒50が出たので、4分6秒くらいの自力はついているのかなと思います」

 大舞台での実績に加え、記録もライバルに追いついてきたことで、自信は深まっていた。そして迎えたリオ五輪。200m個人メドレーで出場権を取れなかった瀬戸は、初日の400m個人メドレーに賭けていた。

 午前の予選では、同組で同い年のチェイス・カリシュ(アメリカ・13年世界選手権2位、2015年世界選手権3位)が、平泳ぎからの強さを見せつけて自己新でゴールした。瀬戸は、カリシュから遅れたものの、4分08秒47の自己新で好調ぶりを見せた。

 一方、萩野も前組で4分10秒00だったが、「大也が速かったから、逆に気が楽になりました。決勝は普通にいけば4分5秒台は出ます。今は相当流していましたから」と、余裕を見せていた。

 同日夜に行なわれた決勝は、この3人の優勝争いとなった。

 最初のバタフライで先頭に立ったのは瀬戸だった。100m折り返しは、予選より0秒43遅い55秒23。予選では前半を飛ばしすぎたというイメージがあったからだ。しかし、次の背泳ぎで萩野にかわされて2位に落ちると、200m折り返しでは1秒46差をつけられた。そして、平泳ぎではカリシュにも抜かれる展開になった。

 最後の自由形で、萩野とカリシュがそれぞれ29秒台と、28秒台に上げてきたのに対し、予選の疲労が残っていた瀬戸は30秒台と盛り返すことができず、3位でゴールした。4分06秒05のアジア新を出した萩野と、4分06秒75の自己新で泳いだカリシュのふたりに大きく水をあけられ、4分09秒71での銅メダル獲得だった。

 初出場の五輪で獲得したメダルについて瀬戸は、「初めてなので素直に喜びたいと思います。世界選手権のメダルより重たいんだなと思いました」と笑顔を見せた。一方で、こうも語った。

「公介やチェイスが大ベストを出したように、やっぱり五輪の金メダルは簡単ではないし、この大舞台で全力を出し切った人こそが(金メダルを)獲るものだと思いました。自分もコンディションはすごくよかったんですが、自己ベストを出せなかったのは、まだ金を獲れる器ではなかったからだと思います。この悔しさは4年後の東京で返すしかないし、その時は絶対に世界記録更新を賭けた勝負をするつもりなので、それを目指して頑張りたいと思います」

 その後に出場した200mバタフライは、世界ランキング2位の記録を持って臨みながらも自己ベストを更新できず、5位に終わった。早大の後輩・坂井聖人が自己記録を大幅に塗り替えて2位になったことと比べても対照的な結果だ。メダルを獲得した安堵感こそあったものの、勝負をかけた400m個人メドレーで同い年のふたりに大差をつけられて完敗し、世界選手権連覇のプライドさえ吹き飛ばされてしまった。目標にしていた大舞台で本物の悔しさ味わったことが、瀬戸の心を覚醒させた。

 瀬戸はその後、9月からW杯を転戦し、アジア選手権、世界短水路と毎月のように大会に出場した。東京五輪で優勝するためには何をすればいいのかと考えた結果の取り組みだった。17年世界選手権は200mバタフライと400m個人メドレーの銅に終わったが、18年は世界短水路200mバタフライを短水路世界記録で制し、400m個人メドレーは4連覇を達成。結果は徐々に出始めていた。

 厳しい耐乳酸トレーニングも自ら志願して練習に取り入れ、19年の世界選手権に臨んだ。結果的に2冠を果たしたが、400m個人メドレーはライバル不在のレースで、記録は4分08秒95と悔いの残る内容だった。

 だが、12月にアメリカで400m個人メドレーの短水路世界記録を樹立すると、1月のFINAチャンピオンズスイムシリーズ北京大会では、200mバタフライで松田丈志の持つ日本記録を更新する1分52秒53を出し、200m個人メドレーでも萩野の日本記録に0秒48まで迫る1分55秒55の自己ベストをマークした。

 翌週のKOUSUKE KITAJIMA CUPでは400m個人メドレーで、リオで萩野が出した日本記録にあと0秒04まで迫る4分06秒09を記録した。

 4分05秒90のベストを持つカリシュに対しても自信を持って、「短水路の自己ベストを長水路に換算すると、今の自分には400m個人メドレーで、4分4秒台を出せる実力が備わっていると思います」と言えるまでになった。

 東京五輪が1年延期になった今、瀬戸大也の課題は昨年から一気に上げてきた勢いの維持だ。それをクリアできるのならば、リオで口にした、「世界記録での勝負を目指す」という言葉を実現できる可能性もまた、大きくなるだろう。